ただ「物」がある。それがおもしろい。
美は人を沈黙させる。その言うに言われぬ感動を言葉にせずにはいられない激情に身を委ねたのが詩人である。そして小説も、現実を緻密に描写、分析した贋の芸術化ではなく、visionすなわち心眼により、おのずから湧き上がる言葉で書かれるべきだ。
さらに小林秀雄は、美は人を沈黙させることから、美学者は沈黙のなかに美の観念があるのではないかという誤解について、リルケの考えをもとに説明する。
リルケは詩人としてはもちろん、評伝『ロダン論』を書いたり、ロダンの芸術観をみずからの詩作に反映したりと、彫刻家のロダンの熱心な信奉者としても知られている。
リルケはいう。「美」を作り出そうと考えている芸術家は、美学の影響を受けた空想家でしかない。この空想家は、独創性の過信、職人性の侮蔑を生む。芸術家は、「美しい物」を作るのではなく、一種の「物」を作っているだけだ。苦心してさまざまな道具を作り、みずからの手を離れて置かれると、それは自然物の仲間に入り、物の持つ平静と品位とを得るという。
このようなリルケの視点から影響を受けたのか、それとも「美」を求める者として偶然に同調したのかは分からないが、小林秀雄は数学者・岡潔と語り合った『対談/人間の建設 岡潔・小林秀雄』においても、自分を主張している絵はつまらない、くたびれる。ただ物が描いてある絵がおもしろいと述べている。
対談で小林秀雄がおもしろいと言っているのは、1956(昭和31)年、日本橋における個展で知った洋画家の地主悌助の絵である。ただ大根が描いてある。ただ石が描いてある。ただ紙が描いてある。そんな絵を小林秀雄と一緒に見た洋画家の林武の感嘆から、「真っ正直な、一目瞭然たる写実主義も、その実際の技術は、他人にはまるで見透しの利かぬ魔術である」(『地主さんの絵Ⅰ』「小林秀雄全作品」第26集)だと受けとめ、それを楽しんでいる。
地主悌助が「物」としての大根や石、紙に描く意欲を引き出され、在るがまま、見えるがままに写している。そんな絵を、小林秀雄も在るがまま、見えるがままに眺めている。逆に絵の側から、自分をじっと見詰められるような趣があり、気持ちよいとまで感じている。
さらに小林秀雄は、このような視覚芸術における経験を、やはり文学に求める。再び、『井伏君の「貸間あり」』である。
この「文学を解するには、読んだだけでは駄目で、実は眺めるのが大事なのだ」とは、いったいどういうことだろう?
(つづく)