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文学は、文学にあらず。
文学というものはみんなが考えているほど、文学ではないのだね。
この言葉が、気になる。
戦争について一億総懺悔が求められる世相のなかで「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放ち、舌禍を招いた座談会『コメディ・リテレール』は、講演『私の人生観』の2年前であることから、小林秀雄の考え方や言葉に共通するものが多い。
文学は、文学にあらず。小林秀雄らしい逆説であり、文字面だけでは、さっぱり分からない。人は、自分の主張や意見を述べてから、それが抽象的だと自覚があったときに、より明確な表現に言い換えることがある。小林秀雄も、それを「文学は又形である、美術でもある」と言い換えてから、「造形美術に非常に熱中したということから、そんな風に考えて来たということもあるらしい」と付け加える。鉄斎や雪舟といった絵画も思い浮かべただろうが、最も影響が大きかったのは、1930年代後半からしばらく陶器や刀の鍔に耽溺した骨董趣味だ。
私は、一時、原稿も書かず、文学者としての交際も殆ど止めて、造形美術を見る事に夢中になった事がある。その当時、痛感した事は、私の様に久しい間近代文学の饒舌の中に育って来た者にとって、絵や彫刻の沈黙に堪えるという事が、いかに難かしいかという事であった。ただ黙って見て楽しむのが難かしいといのではない。ある絵に現れた真剣さが、何を意味するか問おうとして、注意力を緊張させると、印象から言葉への通常の道を、逆に言葉から知覚へと進まねばならぬ努力感が其処に生じ、殆どいつも、一種の苦痛さえ経験した。
美は人を沈黙させる。その起点は、感動することにある。その言うに言われぬ感動を、どのようにして言葉にするか。それが詩人の挑戦である。しかし、骨董に耽溺していた当時の小林秀雄は逆だった。陶器を見る、または観るという営みに集中すればするほど、言葉にせずにいられない衝動、胸の底から言葉がせり上がってくるような情動があったのだろう。
これは、詩人も同じではないか。言うに言われぬ感動を、どのようにして言葉にするか。たしかに詩人はそれに挑んでいる。しかし、挑むのではなく、その感動を言葉にせずにはいられない激情に身を委ねたのが、詩人ではなかったか。
だから小林秀雄は、骨董趣味に埋没する日々から、文学に戻ったのだろう。言葉にしようと試みる文学ではなく、おのずから言葉になる文学を思い描いた。「真っ白な原稿用紙を拡げて、何を書くか分からないで、詩でも書くような批評も書けぬものか」(『コメディ・リテレール(座談)』)と述べたのだ。
文学は、文学にあらず。されど、文学である。
(つづく)
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