まず信じよ。それから疑え。
批評することが目的であって、何かを言わずいはいられない。実際には経験のないことも、知識や関心のないことも、まだ読んだことのない本についても、なにか「コメント」しなければ気が済まないのは、講演『私の人生観』が行われた1948(昭和23)年当時も、令和の現在も、それほどは変わらないのかもしれない。
ここで思い出すのは、「講演文学」の一つである『信ずることと知ること』で、ベルクソンの講演から小林秀雄が引用した、戦死した夫の夢を見たという妻の話である。
ある婦人が医者に対して語る。夫が遠い戦場で死んだときに、パリにいた自分は、ちょうど夫が戦死した時刻に、夫が塹壕で倒れたところや、それを取り巻く兵士たちの顔を夢に見た。あとから調べてみると、夫は、その夢と同じ姿かたち、状況で亡くなったという。
その話を聞いた医者は、夢を見たことは信じるが、その婦人が見たという正しい幻だけに気を取られて、実は無数にある正しくない幻を放っておくわけにいかないと言う。
そこで、ベルクソンはどう考えたのか。小林秀雄はベルクソンの考えを紹介しているに過ぎないが、実際は小林秀雄自身が痛切に感じていることを、ベルクソンの言葉に託して述べているように思う。
まず経験を信じよ。信じるから疑うことができる。批評もできる。他方、経験もせずに軽々しく信じるな。疑うことで、経験していない事実を覆い隠すな。
(つづく)
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