「漢方」の由来に迫る
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こんにちは、デジャヴです。
さて、今回のタイトルにある「『漢方』の由来に迫る」ですが「漢方」という名前は漢方薬として耳にすることが多いと思います。
今回はこの「漢方」とは何者なのか、漢方の歴史に沿って名前の由来について調べていきたいと思います。
大陸医学の伝来
大陸から日本への医学は5~6世紀において朝鮮半島から渡来人を通して、そしてその後も遣隋使・遣唐使により伝来したと伝えられています。
有名な鑑真も医学に精通していたとされ正倉院に多くの薬物が所蔵されています。
その後、日本の医学は日本の風土・日本人の体格に合わせた独自の発展を遂げていきます。
江戸時代とオランダという国
時は移って江戸時代、幕府によるキリスト教の禁教令が敷かれる中、オランダはカトリックではなくプロテスタントであったことからオランダ東インド会社は
・布教しないこと
・島原の乱の鎮圧を支援したこと
・ポルトガル人が全滅したこと
などの理由により、長崎の出島での国際貿易をオランダが独占することになります。
このことから1849年に蘭書翻訳取締令が出されるまで日本にオランダ語の書籍が入るという状況が形成されます。
オランダ語の書籍は日本の学者に新たな知的好奇心をあたえ、前野良沢・杉田玄白による『解体新書』、稲村三伯・宇田川玄随・岡田甫説による蘭和辞書『ハルマ和解』などオランダ書籍からの知見を基礎とした学問が発展します。
この学問のことをオランダの和名から
蘭学
と呼びました。
西洋医学と日本医学の区別
蘭学には当然医学分野も含まれており、いままでの解剖図もまともでないような東洋医学に西洋医学が加わるようになり、日本の伝統医学とオランダより伝来した医学を区別する必要が出てくるようになりました。
そこで当時の医学者はオランダより伝来した医学を
蘭方
日本の伝統医学のことを中国から入ってきた医学ということで
漢方
と呼び、この医学で用いる薬のことを「漢方薬」と呼ぶことにしました。
漢方の対義語は蘭方ということになります。
不思議なことに中国の伝統医学は漢方医学と呼ばずに「中医学」と呼び、韓国の伝統医学のことは「韓医学」と呼びます。
漢方のその後
今回のタイトルからしてここで終わってもいいのですが歴史好きな方のためにもう少し続きます。
蘭方が学ばれる江戸時代であっても当時の主流はあくまで漢方でした。
流れが変わるのは明治時代、欧米諸国の力強さと日本の遅れを知った明治政府が富国強兵政策を行うとなったときに明治7年、下記写真の(甲)数學から(庚)動物学及ビ鑛(鉱)物学ノ大意からなる西洋7科目による試験と医業の開業資格を制度化する法律(『医制』)を施行し、明治16年の太政官布告により、国家試験に合格しなければ医業開業の許可を与えないとする医師免許規則を制定。漢方は壊滅の危機に瀕することになりました。
これに抵抗して浅田宗伯らが政府に提出した1895年の医師法改正案における『漢医継続願』はわずか28票差で否決されており、この影響で現在の医師国家試験の課目に漢方医学は含まれていません。
漢方の復興
明治43年、医師の間に「漢方は本当に劣った学問なのだろうか」という疑問が湧いてくることになります。和田啓十郎は『醫界之鐵椎』を出版し、漢方は復興の道をたどることになります。
日本における漢方の教育は明治16年以降100年以上行われてきませんでしたが2001年の文部科学省 医学教育モデル・コアカリキュラムに「和漢薬を概説できる。」が採録、翌2002年に文部科学省 薬学教育モデル・コアカリキュラムに「現代医療の中の生薬・漢方薬」が採録されたことで教育が徐々に復活してきたというのが今の現況となっています。
以上が日本の伝統医学、漢方の由来と歴史でした。
最後に
無事に大学受験も終わり、今後は薬学部の学生として薬剤師になるため勉学に励むこととなりました。
今後はこういった薬学系の投稿があるかもしれません。
東京や京都など各地に散らばる高校の同期に別れを告げ、新しく出会うことになる人々に胸を膨らまし、法改正により成人として大人の一員になる複雑で忙しい春となりますが今後ともよろしくお願いいたします。
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(本題は以上で終わりですが下に文章が続きます。)
編集後記
今回の話題と異なりますが本文で資料として用いた国立国会図書館デジタルライブラリーには『解体新書』のような歴史の教科書に出てくる有名なものがクリアな写真として閲覧ができ、また写真のダウンロードもできますので一度見てみると面白いかもしれません。
今回引用した『解体新書』の他のページにはより詳細な臓器など興味深い内容が載っていますのでお勧めです。
また、本文では触れていませんが「漢方のその後」の節でとりあげた『医制』ですが(甲)数學は旧字体で書かれているのにそれ以降の「学」は新字体で書かれているのはなぜなのかと資料を見ているとまた新しい疑問も湧いてきます。
数學は古くからあってその他は新しく作られたものなのでしょうか。
下の写真は『解体新書』の別ページで取り上げられている手の平側から見た手の解剖図です。
ためになるnote執筆者のご紹介
最近のnote執筆者のなかでNightingale氏の記事が大変おもしろく、興味深い内容となっておりますのでここで紹介させていただきます。