37.自炊奮闘記 〜肉じゃが死す〜

 高校を卒業後、大阪へと上阪。一人暮らしを始めた。
 一人暮らしを始めてから、俺は人生で初めて自炊というものと対峙した。それまで作ったことがあるものといえばインスタラーメンのみ、あとは家庭科での調理実習、それだけが俺の調理経験。上阪初日の晩は、地元の先輩・ホッピー先輩を自宅に招き、初めての自炊に挑んだ俺は焼きそばを作った。初めてのわりにはちゃんと作れたと思う。俺はセンスがあるのかもしれない――。
 初めての一人暮らし、なにもかもが新鮮で楽しかった。自炊も。俺は自炊に対してあるこだわりを持っていた。それは「レシピを見ない」「味見をしない」ということ。まずかろうがなんだろうが自分が食べるだけ、人に迷惑をかけることはない。レシピを見ない、且つ味見をしない、そんなスリルを楽しむ俺の頭の中はアドベンチャー。
 テレビで料理関連の番組は見たことがある、家庭科の調理実習で覚えた知識もある。まったくの無知ではない。俺を舐めないでくれ。

 野菜の皮は、剥くことぐらい知っている。
 炒め物をするときは、フライパンに油を引くことぐらい知っている。
 煮物には、大概みりんが入ってることぐらい知っている。
 塩を入れすぎたからといって、砂糖で中和することは間違いであることぐらい知っている。

 舐めないでくれ。

 火が通るべき食材に火が通り、何かしらの味付けがあれば万事オッケー。味付けなんて塩コショウだけでも十分だ。もし味が物足りなければ、マヨネーズか焼き肉のタレをぶっかければいい。要は、米飯が進めばいいのだ。たとえ作ったものがまずくても、まずさをかき消すために米飯をかき込めばいいというポジティブシンキング、万事オッケーだ。
 食材を火にかける順番は、「これ食べるときに火が通ってなかったらイヤだなぁ」という物から順に火にかければいい。野菜であれば硬そうなやつからだ。調味料の分量、そんなもんは勘という名の目分量。
 なんとなくのペラッペラッな知識と、なんとなくの感覚だけで、なんとなく調理に挑んだ。なんとなくで出来てしまえば、これをきっと「センスがある」というのだろう。
 そんななんとなくで、食べられるレベルでかたちになった。ハンバーグ、オムライス、カレー、焼きめし、焼きそば、親子丼、肉野菜炒め……俺が作るものといえばそんなものばっかりだ。味の濃淡は毎回違う、美味しいのか、美味しくないのか、もはやよく分からんが食べられるという事実。しかし、明らかにひとつだけ「なんか違う……」そう思うものがあった。

 親子丼だ。

 食べれないということはないが、明らかに俺の知っている親子丼の味ではないのだ。めちゃめちゃ違和感を感じなからも同じ内容で親子丼を作り続けた。みりんや醤油、水の量を調整してみる――それでもやっぱり何か違う。ここで一旦レシピを……なんてことはしない。「まぁ、食べられるし、これはこれでええわ」そう納得させ「親子丼もどき」を作り続けた。

 ある日、俺は肉じゃがを作ることにした。もちろんレシピは見ない。とりあえず材料は、玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、豚こま切れ肉、そんなもんでいいだろう。テキトーに切った食材と、醤油、みりん、水、すべてテキトーな量を鍋にぶち込み、火にかけた。

 ――完成。

 うん…… 見た目……

 まずそう……。

 俺が知っているさわかな肉じゃがの顔色ではない。疲れ切ったうえに、1ヶ月ぐらい風呂に入っていないうえに、自分の現状に絶望し生気を失ったような顔色をした肉じゃがだ。

 実食――

「・・・・・・」

 肉じゃが…… うん…… これ……

 肉じゃが…… では…… ない……。

 食べれなくはない。しかし、まったく肉じゃがではない。まったくだ。「肉じゃがもどき」とも言えないレベル、「偽じゃが」だな。

 なんだ? なにがちがう……。んん……。

 わからん……。

 ギブアーーーーップ!!!!

 とほうに暮れた俺は、ついに、レシピを調べた。
 そして、謎は解けた。盲点だった。それを入れる概念は俺にはなかった。すべてこれが足りなかったんだ!! 

 みなさんは、お気付きかな?

 俺に足りなかったもの……

 そう! それは、






 「出汁」だ。

 出汁を入れるという概念。
 当時19歳。19年の人生、俺は「出汁を入れる」を覚えた。「最初からレシピを見ればよかった」を覚えた。知能が1上がった。モラルが1上がった。センスが10下がった。冒険心が10下がった。少し大人になった。
 センスだけで調理していた俺の自炊ライフに「出汁を入れる」が加わる、それはつまり最強になることを意味するような、鬼に金棒的なあれだ。鬼に金棒、猫に小判、豚に真珠、新たに『jiiさんに出汁』を、ことわざ辞典に追加で。意味は……お好きなように解釈して下さい。
 親子丼も何かが違った。それは出汁だった。出汁を入れるを覚えた俺は、再び親子丼を作ってみた、出汁を入れて――

 はぁぁぁぁぁぁぁあ

 親子丼だ! 
 俺の知る親子丼の味だぁぁぁ!!

『jiiさんに出汁』俺は再び肉じゃがに挑んだ。今回はざっくりとレシピを見ながら。俺は少し大人になった。
 それにしても、肉じゃがを作るのはめんどくさい……。じゃがいも、にんじんは切らなあかんうえに、皮は剥かなあかんし、煮上がるまで待たなあかんし、めんどくさい……。自分が食べるだけのものにこんなに労力と時間をついやすなんて……。パッと作ってパッと食べてしまいたい……。作る前から億劫おっくうな気持ちではあった。しかし、これはリベンジマッチ。今度こそ「偽じゃが」ではなく「肉じゃが」を、真の肉じゃがを作る。生き生きとさわやかな顔色をした肉じゃがを呼び起こすんだ。やるしかねぇ!!

 前回同様、食材は玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、肉、さらに糸こんにゃくも追加した。醤油、砂糖、みりん、水、そして『出汁』。レシピどおりに各分量を入れ、それぞれ鍋にぶち込み、火にかける――。

 ふわぁぁぁぁああ

 いい香りが、俺の知る肉じゃがの香りが……。
 鍋を覗くと俺の知る肉じゃが、さわやかな顔色をした肉じゃががそこにいた。

 よっしゃーーー! 完璧だぁ!!

 いい具合に煮上がってきた。
 ここでまだ1つ、入れていない食材があった――糸こんにゃくだ。俺は初めて糸こんにゃくというものを自らの手にかける。「入れるタイミング知らんけど、なんとなくすぐに火通りそうな感じするから最後でいいか」という独断で終盤まで入れずに置いていた。最後の仕上げという万感の思いで鍋にぶち込んだ――。

 ――めんどくさいと思いながらも作り始めた肉じゃが。前回は失敗に終わった肉じゃが。もうすぐ完成だ。出汁を入れることを覚えた俺は肉じゃがに成功。じゃがいもやにんじんなどの食材たちも喜び、生気に満ちている。前回の失敗を負けだとするならば、今回は勝ちだ。そうだ、この状況を『jiiさんに出汁』という。肉じゃがが特に好きというわけでも、料理が好きというわけでもないが、俺は達成感と満足感に満ちた。嬉しい嬉し……い……




 えっ……





「くっさぁぁ!!!!!!」



 なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで?

 なんでぇぇぇ????

 犯人は糸こんにゃくだ、糸こんにゃくを入れてからだ、くさくなったのは。
 俺は糸こんにゃくの袋を開封し、中の液体を捨て、そのまま糸こんにゃくを鍋にぶち込んだ。知らなかった……糸こんにゃくがこんなにくさいなんて……。糸こんにゃくは、くさみを取るための下処理が必要であったのだと、この失敗により学んだ。
 しかし、後の祭りだ。

 それでも完成は完成。
 見た目はさわやかな肉じゃが。

 実食――

 くっさぁ! まっずぅ!!

 くさくて食べれたものじゃない。くさみ&えぐみがすんごい……食えん……むり……。俺はそれまで多少まずくても自分が作ったものを残したことはなかった。俺は初めて残した……それもほぼ全部……。
 肉じゃがは死んだ。糸こんにゃくによって。
 見た目は、生気に満ちたさわやかな肉じゃが。なにごとも、見た目や表向きがすべてではないんだな。そして、失敗しないためには準備や下調べが必要なんだな。俺は少し大人になった。

『jiiさんに出汁』
[意味]
 そもそも能力や知識が劣る者が、己を過信し調子に乗ると、何かを見落とし失敗すること。準備不足。
(出汁を入れることを覚え、調子に乗り、失敗したことからのたとえ)


 この話はもう10年以上前の話。
 それ以来、肉じゃがを作ったことはない。めんどくさい。


 夜間の学校に通い始めた頃、生活をルーティン化したことで、自炊もルーティン化した。[23.勤労学生な生活②  ルーティン  参照]
 その名残で、食べ物に対する飽きる・飽きないという感覚は薄れ、同じものを毎日食べ続けることができる。仕事の日は、夜に予定がなければルーティンのごとくほぼ毎日同じものを作り食べている。つい最近までおよそ半年間、焼きうどんを作って食べていた。ちなみに今は、決まった野菜、肉、うどんを入れた鍋。最近はカット野菜が販売されているのでありがたい。

 この記事を書いている最中、
「久しぶりに肉じゃが作ってみようかなー」
 って、そんな気持ちにはまったくならなかった。うん、めんどくさい。肉じゃがよ、さようなら。

 肉じゃがとの思い出を俺は忘れない。

 肉じゃがのことを想いながら、今日も俺はメシを食う。

 キムチ鍋うんまぁ!!

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