デレラのマンガ本棚#2「『北極百貨店のコンシェルジュさん』ー ホスピタリティという方法」
デレラのマンガ本棚#2をお送りします。
この連載では、「マンガを成立させている世界観」をテーマに、マンガついての感想を書いております。
マンガには、描線やセリフなどの言葉が、たくさんのコマに描かれているでしょう?
つまり、マンガとは「描線と言葉が書き込まれたコマの集積体」なのです。
読者は、そのコマを順番に読むことで、物語を読み取ります。
でもなぜ、バラバラのコマに描かれた線と言葉から、わたしたちは「物語」を読み取ることができるのだろう?
そこには、「物語」を成立させるための「世界観」があるから、なのではないだろうか?
それがこの連載のテーマです。
さて、今回取り上げるマンガは、こちら。
西村ツチカ 『北極百貨店のコンシェルジュさん』 2020年 小学館(第2巻出版年)
このマンガの世界観はどのように描かれているのか。
「物語」と「絵=描線」の「繋がり=世界観」について、一緒に考えましょう。
よろしくお願いします。
今回は、まずは「描線=絵」から見ていきましょう。
1.動物の絵
このマンガでは、たくさんの動物が描かれます。
動物を描く作品はたくさんあるでしょう?
たとえばアンパンマン。動物たちは、特徴を強調され(例えばウサギなら耳が長いなど)、デフォルメされ、服を着て、言葉を話し、二足歩行する。
また一方で、『ゴールデンカムイ』のように、動物を動物として忠実に描く作品もあります。二足歩行はせず、ヒト語をしゃべらず、服も着ない。
このように、マンガで、動物を描くとき、二つの極があるでしょう。
アンパンマンのように「擬人化された絵」で描くか、ゴールデンカムイのように「忠実な絵」で描くかの両極です。
「擬人化された絵」ー「忠実な絵」
では、『北極百貨店のコンシェルジュさん』ではどのように描かれているでしょうか?
(『北極百貨店のコンシェルジュさん』第2巻 p.7-8)
このマンガは、どちらかと言えば「擬人化された絵」に近いと言えそうです。
でも、アンパンマンのようなに、デフォルメされているわけでもなさそう。
たとえば、「手足」は、ヒトの手のように五本指になってるわけじゃないですし、「体の大きさ」も、小さいウサギは小さく描かれ、大きい熊は大きく描かれているようです。
でも、二足歩行したり、服は着ている。
以上を、図式化にすると、以下の通り。
「擬人化された絵」ー「アンパンマン」ーー「北極百貨店」ーー「ゴールデンカムイ」ー「忠実な絵」
擬人化はされているけど、完全に擬人化されているわけではない。
このマンガの動物の絵は、両極の間にある。
この描き方はどのように「物語」に関係しているのでしょうか。
次は、物語について見てみましょう。
2.百貨店であるということ
北極にある巨大百貨店。
主人公は、この百貨店に務める新人コンシェルジュ秋乃さん(ヒト科)。
(コンシェルジュとは、お客様のリクエストに答え、お客様の買い物をサポートする、百貨店に精通したスタッフのこと)
秋乃さんは、訪れる様々なお客様に、最高のホスピタリティをお届けするため、毎日奮闘中。
ただし、この百貨店は「普通の百貨店」とは大きく違う。
何が違うと言えば、訪れるお客様は全て「動物」であるということ!!
(逆に、百貨店スタッフは全てヒトです)
体の大きさや、性格が違う動物たちは、それぞれ「要望」が大きく異なる。
秋乃さんは、創意工夫でお客様の要望に応えていく、ドタバタ奮闘コメディ物語です。
この創意工夫が面白い!!
この物語をみて、あなたはどう思うでしょうか?
わたしは、2つ疑問があります。
ひとつは、「なぜ、百貨店なんだろう?」ということ。
そして、「なぜ、動物がお客様なんだろう?(あるいは、なぜヒトがコンシェルジュなだろう?)」ということ。
この答えは、物語の中で開示されます。
先端技術の粋が集められた百貨店は、
人間たちが欲望を欲望しあう舞台として、
大量消費社会の嚆矢となり、
最盛期の人間を特徴づけた。
『北極百貨店のコンシェルジュさん』第2巻 p.114-115より
簡単に言い換えると、百貨店とは、「お客様の欲望を叶える場所」なのです。
つまり、お客様である動物が「欲望を叶える場所」、それが、北極百貨店なのです。
では、なぜ動物たちの欲望を叶える物語なのか?
その理由は、かつて人間たちが、剥製を作るために動物を絶滅させたりしたことの、その贖罪のためなのです。(第2巻 p.107-117より)
人間は、動物の毛皮や剥製を作るために、つまり、人間の欲望のために、たくさんの動物を絶滅させてきた。
動物たちは、常に、人間の欲望の対象だったのです。
それを逆転させて、贖罪する。
そのために、動物がお客様となり、その欲望に人間が応えるのです。
3.償いは可能なのか
この『北極百貨店のコンシェルジュさん』は、動物たちへの、人間による贖罪の物語でもあるのでした。
しかし、ここでもう一つ疑問があります。
そもそも、贖罪って、どうやったら可能になるのでしょうか?
絶滅してしまった動物たちへの贖罪は、どうしたら可能になるのか。
うーむ、かなり難しい話です。
そもそも、人間が人間に贖罪するのだって難しい。
それが、相手が動物なわけです。
動物は、本来はしゃべることができません。
ましてや、絶滅してしまった動物は、もう存在しないので、もし、動物がしゃべることができたとしても、その言葉はもう聞くことができません。
動物の本当の欲望とは何か?
これは、とても深く遠大なテーマです。
さて、ここで思い出しましょう。
まずは、描き方から。
このマンガでは動物は、極端にデフォルメされていないが、完全に忠実に描かれているわけじゃない、そういう描かれ方がされているのでした。
そして、物語はどうか。
このマンガの物語は、動物の欲望を叶える、ということでした。
この「描き方」と「物語」接続する世界観とは何か?
それは、「ホスピタリティ」なのだと、わたしは思います。
ホスピタリティ。歓待するということ。
相手の「本当の欲望」を真摯に受け止め、考え続けること。
人間が「動物」にできることは、ホスピタリティだけなのではないか。
そのためには、動物が「なにか欲望があるはずだ」ということを前提にする必要があります。
本来、動物たちはしゃべることができません。
だから、動物が「叶えてほしい欲望」があるかどうかは、原理的に分かるはずがない。
だから、ある程度、擬人化して、動物にも「欲望がある」と前提するしかない。
相手は「こうして欲しいと思っているはずだ」と前提するしかない。
この「前提条件」が、「完全にデフォルメされた絵(人間の欲望を叶えた完全フィクションな動物の絵)」ではなく、
また、「完全に忠実な絵(動物が欲望を持っているかどうかわからない本来的な動物の絵)」でもない、
その間にあるような「動物の絵」を実現しているのだと思います。
4.おわりに
さて、いかがだったでしょうか?
『北極百貨店のコンシェルジュさん』は、ドタバタコメディでありながら、とても深い世界観が根底にあると、わたしは感じました。
もし未読の方がいらっしゃいましたら、ぜひ!!(全2巻なので、すぐに読めます!笑)
短編集『アイスバーン』や『さよーならみなさん』も良いですぞ~。
次回は何を扱おうか。。。迷ってますが、ちまちま書いていきます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
ではまた次回!
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