非一般的読解試論 第四回「図式論2 開くこと・ワクワク・分からなくすること」
こんにちはデレラです。
第四回 非一般的読解試論をお送りします。ようやくです。第三回から間が空きまくりました。
非一般的読解試論では「読書感想文を書く」という個人的で非一般的な営みについて考えています。
前回から図式論に挑戦中。図式論を論じるための助走として「意味を閉じること・意味を開くこと」について考えています。
前回から読んでくれると嬉しいですが、今回から読み始めても大丈夫!!
ではさっそく!スタートです!!
よろしくお願いします!
1.「分からないこと」の二重性
突然ですが、「分からないこと」ってあるじゃないですか?
行ったことがない場所、読んだことがない本、観たことない映画、会ったことのない人、まだ体験していないこと。
「分からないこと」を、ここでは丸っとまとめて「未体験」と呼びましょう。
分からないこと=未体験
では、あなたは未体験に対してどんなイメージを持っていますか?
例を出して考えてみましょう。
昨今は外出しにくいですし、せっかくだから「行ったことがない場所に出かける」ことを例にします。
想像してください、行ったことがない場所、知らない街、いっそのこと、初めての海外旅行を想像してみましょう。
予約したホテルまでの行き方はグーグルマップだけが知っている。ちゃんとたどり着けるだろうか。この道は治安良い?車通りは多い?いざとなったらタクシー拾える?
ホテルにチェックインする前から分からないことがいっぱい。もうどんなトラブルが起きるか分からなくて不安!!(わたし自身、初めての海外旅行はマジで不安でした 笑)
そう、未体験は「不安」なのです。
前回はこの「不安」について考えました。
わたしたちは「未体験」に出会ったら「不安」になります。
そして「不安」を解消するために「未体験=分からないこと」の意味を確定させようとします。
「選択肢が多すぎるとき、代わりに誰か決めてくれー」と思うこと、ありますよね?
どれを選んでいいか分からない。正しい選択をしているか不安。
そんなときは、誰かに決めてほしい、そうすれば安心できる。
前回、わたしはこれを「意味を閉じること」と呼びました。
わたしたちは未体験に出会って不安になったら、意味を閉じたくなるのです。
一方で、未体験のトラブルこそ旅の醍醐味じゃんか!!という言う人もいるでしょう。
全く予想していなかった出来事。その場の機転でトラブルを乗り越えた時のドーパミン!脳内麻薬!
非日常的な体験が待ち遠しくてワクワクが止まらない!!
そう、未体験は「ワクワク」なのです。
つまり未体験には、「不安」と「ワクワク」の二重性があると思います。
さて、今回はもう一つの「ワクワク」について考えていきます。
「不安」の反対、意味を閉じるのではなく、意味を開くこと。
2.唯一神から多神へ
「ワクワク」は「不安」の反対です。二項対立です。
「不安」が意味を閉じることなら、「ワクワク」は意味を開くことです。
たくさんの選択肢の中から一つに決めてほしいと思うのが「不安」です。
一つではなくて、たくさんの選択肢を用意してほしいと思うのが「ワクワク」です。
そんな「不安」と「ワクワク」の二項対立を体現したような映画があります。
それはトイ・ストーリーです。(以下、トイ・ストーリーのネタバレあります)
トイ・ストーリーは、オモチャが人間が知らないうちに動き出して、大冒険をする物語。
ディズニー&ピクサーの大人気シリーズです。
シリーズ1作目が1995年、そして2019年にシリーズ4作目が放映されました。
ウッディとバズの名コンビに、個性豊かなキャラクターたち。
笑いあり涙ありの痛快冒険劇は、世の子どもたちに大人気です。
では、この映画のどこが「不安」と「ワクワク」の二項対立と関係するのか。
その関係は、シリーズ全体を見渡すと見えてきます。
「シリーズ1作目から3作目まで」と「最新シリーズ4作目」の間には、ストーリー上の明確な切断線があるのです。
「不安」と「ワクワク」は、この切断線と関係しています。
まずは「シリーズ1作目から3作目まで」のストーリーを確認しましょう。
1作目から3作目までのストーリーは、以下のようにまとめることができます。
【1~3のストーリー】
オモチャたちは、何かしらの理由で子ども部屋の外へ持ち出されてしまうが、力を合わせて持ち主のもとに帰ってくる。
ポイントは、「持ち主のもとに帰ってくる」ということです。持ち主は必ず「特定の一人」なのです。
※ここで一応、注釈を入れておきます。シリーズ3作目は、正確には「特定の一人の持ち主」のもとには帰りません。今までの持ち主が大学生になり、近所の子どもに自分の大切なオモチャを譲るという物語です。つまり、持ち主の継承です。とはいえ、今回の論点は「特定の一人の持ち主」です。持ち主が変わったとしても、特定の一人であることには変わりないので、今回の例としては適当と考えます。
さて、なぜ持ち主が「特定の一人」出なければならないのか。それは、オモチャの存在意義(=オモチャの意味)が関係しています。
オモチャたちの存在意義は、「子どもを楽しませる」ことです。
そして、オモチャたちは「持ち主(=アンディ少年)に大切にしてもらうこと」で、その報酬を受け取ることができるとされます。
オモチャの存在意義は「アンディ少年の愛情」によって承認されるのです。
換言すれば「神の寵愛」と言えるでしょう。唯一神=アンディの寵愛です。
物語上では、オモチャたちの足の裏に「ANDY」と書かれていることが、愛情表現として描かれています。
だから、オモチャが「子ども部屋の外に出ること」は、自分の存在意義が否定されることを意味します。いわゆる失楽園です。
つまり、自分の存在意義を否定されたオモチャが、自分の意義が分からなくなってしまう不安から逃れるように、持ち主のもとへ帰ってくるのです。
このように、「シリーズ1作目から3作目までの物語」は、オモチャたちが力を合わせて持ち主(唯一神)のもとに帰ってくる物語なのです。
帰りたいという動機付けとして「特定の一人の持ち主」が必要なのです。
一方で、トイ・ストーリー4では、「特定の持ち主一人のもとに帰る」というストーリーラインが崩れます。
これはすごいことだと思いました。
なぜなら、トイ・ストーリーの必勝法を敢えて封じているからです。すげえな。野心的な脚本です。
ではシリーズ4ではどうなったかと言うと、ウッディは最後に「野良のオモチャ」になることを決意するのです。
オモチャの存在意義は「唯一神アンディに愛され、尽くすこと」。そうウッディは確信していました。
そんなあるとき、かつてアンディの家にいたオモチャ「ボー・ピープ」と意外な再会を果たします。
ボーは、以前、別の子どもに譲れらてしまい、ウッディたちと離ればなれになってしまったオモチャです。感動の再会ですね。
でも再会したのは、外の公園。そう、ボーは野良のオモチャになっていました。
さらに驚くべきことにボーは野良になったことにショックを受けている様子はありません。
ウッディが驚くのも当然です。なぜなら、子ども部屋から出て野良になることは、ウッディの中では「失楽園」と同義だからです。
しかしボーは、生き生きと、勇敢に、逞しくオモチャの使命を全うしているではありませんか!!
ボーは特定の持ち主を喜ばせるのではなく、その時に偶然に公園にやってきた子どもたちを喜ばせることを使命としていたのです。
外には喜ばせるべき子どもがたくさんいる!!
ボー・ピープが体現するオモチャの存在意義は、ウッディとは全く異なるものでした。
ウッディはそれを知って、驚きました。そんな生き方があるのか。
最後のシーン、テーマパークのメリーゴーランドの屋根上で、ウッディは家に帰るべきか、それとも野良になるべきか悩みます。
そこで親友のバズは一言こういいます。
「内なる声を聞け」
そしてウッディは「野良」になる決心をしました。
帰りの車に揺られる残りのオモチャたちは、メリーゴーランドの屋根上に残ったウッディを見つめながら、バズにこう聞きます。
「ウッディは迷子のオモチャになったの?」
バズはこう答えます。
「迷子じゃない。もう違う。無限のかなたへ、、、」
ウッディは無限のかなたへと向かって行ったのです。
特定の持ち主に限らない、たくさんの子どもたちに尽くす道へ。唯一神から多神へ。
映画のカメラはゆっくりと、メリーゴーランドの下で遊ぶたくさんの子どもたち、そして空へと移り、物語は終わります。
一人の持ち主に尽くすのであれば、オモチャとしての自分のポジションは確定しています。
しかし、外の公園で偶然出会った子どもたちを喜ばせるのであれば、話は異なるでしょう。
遊ぶ子どもが違えば、遊び方も異なる。今日はおままごと、明日はヒーロー、明後日は、、、
子どもたちに遊んでもらえる日もあれば、遊んでもらえない日もある。
大切に扱われることもあれば、乱暴に扱われることもある。
あらゆる遊ばれ方に開かれている。
このときウッディの存在意義は、一つの意味に閉じるのではなく、たくさんの意味に開かれていると言えるでしょう。
ウッディは、未体験のワクワク感により、自分自身の存在意義を開いてしまったのです。
簡単にまとめましょう。
トイ・ストーリー・シリーズには、「シリーズ1作目から3作目まで」と「最新シリーズ4作目」の間に、ストーリー上の明確な切断線があります。
【1~3のストーリー】
自分の存在意義を確定してくれる持ち主(唯一神)のもとに帰ってくる物語
つまり、不安からの回復の物語。
【4のストーリー】
持ち主をつくらず、世界にいるたくさんの子どもたち(多神)を楽しませる旅に出かける物語
つまり、ワクワクへの出発の物語。
3.分からなくすること
敢えて意味を分からなくすること。意味を開くこと。
意味を開くことで、偶然性に身を晒して、トラブルを楽しむこと。
わたしは「家に帰る物語」だと決めつけた上でトイ・ストーリー4を観ていました。
しかし、物語が進むにつれて、「え、、、もしかして帰らないの?」と予感し、わたしは大興奮しました。
今回は、わたしの知らない「トイ・ストーリー」が観れるかもしれない!!
そして案の定、わたしは「いままでの物語を脱臼させたトイ・ストーリー」に出会ったのです。
今まで分かっていたことが、分からなくなる。未体験の体験。
わたしたちは、未体験を目の前にすると、「不安」になることもありますが「ワクワク」することもあるのです。
わたしがトイ・ストーリー4を観ているときの「ワクワク感」は、まさに、世界中の子どもたちを楽しませることができるかもしれないと感じたウッディの「ワクワク感」と同じなのです。
自分の中の既存の知識が脱臼してしまう時に感じるワクワク感。
ワクワク感は、わたしたちの新たな意味を開いてくれます。
4.開くことと閉じること
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
今回は「未体験の二重性」のうち「開くこと」について考えてみました。
しかし、閉じることの後に開くことを論じると、「閉じること」は良くない、「開くこと」は良い、と暗に示しているような気がする。。。
そんなことはない!!
どっちが良いかを説明するために書いているんじゃない。
これは非一般的読解試論!そして図式論の途中なのです!
次回は、「閉じること」と「開くこと」を並列に書くことで、もっと掘り下げてみます。
ではまた次回。