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大人になりきれず悩むあなたへ…茨木のり子「汲む-Y・Yに-」

茨木のり子さんの詩が、大好きです。

国語の教科書にも、よく作品が掲載されているから、ご存知の方も多いんじゃないでしょうか?

「わたしが一番きれいだったとき」など、その強くもしなやかな言葉の数々に、どれだけ奮い立たされたか計り知れません。

なかでも特に好きなのが、「汲む―Y・Yに―」
Y・Yというのは、新劇女優の山本安英さんのイニシャルです(「夕鶴」の舞台のヒロインを、1000回以上も演じた大女優です!)。

山本安英さんが、若き日の茨木のり子さんに仰った言葉が、元となって生まれた詩……それが「汲む―Y・Yに―」です。

明日(6月12日)の茨木のり子さんの誕生日に寄せて、この詩を紹介します。大人になりきれずに悩んでいる人に、特におすすめしたいです。

茨木のり子「汲む―Y・Yに―」全文

大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

茨木のり子「汲む―Y・Yに―」

大人になりきれなくても大丈夫

私自身はASDとADHDがあるせいか、大人になりきれない自分に落ち込むことがあります。

初めてのことにどぎまぎしてしまうことも、本当に多いんですよね。人の気持ちや状況を察したり、臨機応変に対応したりするのが、とにかく苦手。

ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう

茨木のり子「汲む―Y・Yに―」

「これ、みんな私のことだ!」と思えるくらい、これらの仕草には共感を覚えます。

「なんで大人なのに、こんな簡単なこともできないんだろう……」そう落ち込んで、さらにドツボにはまることも、しばしばです。

それでも、「汲む―Y・Yに―」を読んでいると、そんな頼りなさもまるごと受け入れられているような気がしてならないのです。この詩に触れて、同じように励まされる方もいるかもしれませんね。

初々しさや弱さは長所

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても

茨木のり子「汲む―Y・Yに―」

初めてのことに、いつまでもときめいていられるのって、逆に考えると素敵ですよね。初々しさは、むしろ長所にもなります。

年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……

茨木のり子「汲む―Y・Yに―」

弱さを内に秘めたまま、外に向かって開いていくような姿勢は、それこそ難しいと実感しています。それでもこの詩に触れるたび、このような生き方をしたいと、思わずにはいられません。


※もしかしたら、茨木のり子さんの詩や、そもそも詩自体が苦手な方もいらっしゃるかもしれません。それでも、私自身が本当に好きなので、今回取り上げさせていただきました。よろしくお願いいたします。

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