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映画「敵」夢と認知症とタイムパラドックス

今週日曜は封切り間もない映画「敵」を観に行ってきた。原作はSF作家として名を知られる筒井康隆、監督は「桐島、部活やめるってよ」の吉田大八。原作者の筒井康隆はセールストークかもしれないけど「すべてにわたり映像化不可能と思っていたものを、すべてにわたり映像化を実現していただけた。」とコメントしている。ちなみに自分は原作の小説は読んでない。PVには目を通したけど内容に関してはほとんど知らずに鑑賞した。
みんな言ってるけど長塚京三がすごく良かった。キャスティングの時点で優勝というか、演技力とかっていうより存在感とか佇まいがこの映画の主人公のイメージにしっくりきてる気がした。あとは教え子役の瀧内公美も絶妙な色気があって良かった。この人どこかで見たことあると思ったら「大豆田とわ子と三人の元夫」にも出てた。冴えないカメラマンの角田に色仕掛けする女優役だったな。
終始シリアスなタッチなんだけど、随所にかなり笑えるポイントが散りばめられてるところも良かった。劇画タッチのギャグ漫画というか、不意に挟まれる白昼夢みたいなシーケンスが馬鹿馬鹿しくていい。そしてそれを長塚京三がやるからいちいちおもしろい。
丁寧な生活シーンを軸にした冗長なテンポの序盤にうとうとしかけた折、カウンター気味に訪れる夢と妄想、せん妄、幻覚、SF的クリシェの洪水のような展開。いつしかこの映画の主人公同様自分も現実という軸を見失っていた。
仮に死や認知症を具現化したものが「敵」なのだとしたら、主人公の無意識が顕在化したような露悪的で儚くも美しいシーンの数々が比喩や妄想の積み重ねに過ぎないのだとしたら、安直すぎてつまらない。
しかしこの映画はどうも主人公の一人称視点というわけではなさそうだ。監督の吉田大八は「桐島、部活やめるってよ」で同時間軸の現実を多人数視点でパラレルに描いていた。
つまり、この物語の時間軸を夢とSF文脈的な現実が複層的に展開しているのだとしたら…そう考えると、この映画はもうどうしようもなく奥深くおもしろい。だからもう一度映画館に足を運びたくてしかたがなくなるのだ。

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