丁寧さとは愛である
なんだか久しぶりにnoteを書いている気がする。最近は遊びやインターンに忙しく、自分の考えをまとめる暇も無かった。ようやくひと段落して、またおばちゃんの家に帰ってきたので、こうして取り留めもない考えを纏めている。
この家に帰ると、いつも感じることがある。
それは、暮らしの丁寧さだ。
玄関の靴を綺麗に揃え、リビングの窓をほとんど開け放って風や光を部屋に行き渡らせ、毎日お風呂の掃除をし、時折リビングの模様替えをする。
YouTubeで紹介できるほどの作り込まれたこの家は、帰ってくる度にちゃんと生活するって、こういうことなんだなあと毎度感嘆させられる。
この家をこんな風に丁寧に作り上げているのはおばあちゃんで、70代とは思えない現代的なオシャレな感性を持っている。
私はおばあちゃんを尊敬している。おばあちゃんは、まだ時代の最前線を走ろうとすることができる。どこにでも行って、たくさんの刺激を得ようとする。私たち若者の意見を聞き、自分の間違いをきちんと正せる。こうした人間になりたいといつも思う。
そんなおばあちゃんが、私の誕生日プレゼントとしてお金をくれた。私ももう21歳なので、物を貰うよりもお金の方が良い、と考えてくれているのだ。
そのお金は美しい真っ赤な富士山のポスターと共に私の手元にやってきた。
こういう美しさだ。こういった少しの丁寧さが、人間の美しさを作り出すのでは無いのかと強く感心したものである。
貴方を大切にしている、という事をどうしたら伝えられるのだろうか。といつも考える。
それはこうした、1つの手間なのではないか。
貴方が喜ぶように、貴方に少しでも美しいものが届くように、貴方の心にこの1枚のポストカードが思い出として残るように。そういう本当に小さなことが、貴方への愛として伝わるのでは
無いかと思う。
丸裸ではなく、ショッパーやリボンが施されているプレゼントや、1枚の手紙を優しく包む、鮮やかな色の封筒。バラバラになってしまう資料を纏めている、クリップやシール。あとはわざわざ用意した貴方が好きなキャラクターのお弁当袋とか。
小さな小さな相手への丁寧さは、貴方の大きな愛の証なのだ。大切にしたいという、貴方の思いそのものなのだ、なんて思いながら赤富士のポストカードを大事にしまう。これから誕生日を迎える度に、私はこの富士山を思い出せるんだなと思う。
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