人有る処、悪口有り〔マキシム〈ブッダ〉【金言の再現】3〕
悪口を言われない人はいない
この世のどんな人でも、必ずどこかで誰かの怒りを買っている。
誰かに悪口を言われるのが当たり前。
昔も今もこの先も、未来永劫、それは当たり前の事実なのだから、悪口なんて涼しく聞き流すのがよい。
法句経228
『超訳 ブッダの言葉』00四 (小池竜之介編訳 ディスカバー)
悲しいかな、それが真理。
仮に、特定の人間の怒りを買わないように行動したとしても、その姿がまた別の人の怒りを買い、悪口となる。「イヌ」だの、「金魚のフン」だの。
自分の好きなように生きている人、夢や目標に向かって努力をしている人はなおさらだ。
好きに生き、夢目標に向かって行動しながらも、同時にすべての人間に嫌われないようにする。こんなことまず不可能だし、また不必要なことだ。
なので、誰かしらの気に触り、なにかしらの悪口を言われることなど、もはや不可避。
これが、昨今の情勢云々ではなく、紀元前から存する人間本来の性質というなら"割り切る"しかないだろう。
そうはいっても、「悪口なんて涼しく聞き流すのがよい」だの、「スルースキルを身につけよう」だのが、簡単にできるなら苦労は無い。
なので、そのための一助となる心構えを2つほど提案。
①「誰かに悪口を言われるのが当たり前」と心得る。
ショックというのは、「ない」と思っているところに「突然来る」から、大きいものになる。
最初から「ある」と思っていれば、心構えができるし、対処しやすい。
なにせ、数千年の時を経ても消滅しない
人の性質。そう簡単にはなくならない。
いわゆる「アンチ」は必ず出る。どれほどの善行を行おうが、非凡なる業績を残そうが。
②「悪口を言っている"そいつ個人"は全無視できる」と心得る。
中学時代の偉そうにしていた先輩や先生に、"今"仕事や生き方で口出されても「フルシカト」なはず。なんか悪口をいっている馬の骨が、それ以上の存在ではありえないだろう。
自分の行動が人としてよくないことならば、もっと合理的かつ集中的な非難、いわゆる「炎上」の形で否定されるはず。
「炎上=正義」ではないが、少なくともそれに至っていないのならば、あくまで悪口言っているソイツ個人の好みに沿わないからだ。
ならば「お前のために生きる気ねぇから」の一言で迎撃できる。
以上、この2点を踏まえておけば「完全消滅」は難しくとも、「軽減」くらいはできるだろう。まったく無傷は、よほどの自信がなければ難しいだろうから。
なお、以上に述べたロジックは、そのまま相手にも当てはまる。
なので、せめて自分は相手の悪口を極力言わないようにしよう。「お前のために生きる気ねぇから」と撃退されるだけだから。
(参考図書)
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