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「自分で考えろ」第一形態:忖度クイズ〔クリシェ【凡百の陳腐句】19-2〕

第一形態「忖度クイズ」(続)

「自分で考えろ」とは、「"私が何を正しいと考えるか"を自分で考えろ」。

つまり、「"私の正解"を忖度して当てろ」という「忖度クイズ」である。

これを言う者の頭の中に「正解の枠組み」があって、それに向かうよう、外れぬよう「考えろ」ということだ。

筆者は昔、

「俺の目から見て、お前のやり方は間違っている。何が間違ってるか自分で考えろ」

と、"なんとも思ってない奴"から突然言われた経験がある。

筆者の「解答」は無論、

「知るか」

の"一蹴"一択。

かかる忖度クイズを「赤の他人」や「尊敬されていない人間」に仕掛けたならば、

「『自分の頭は唯一絶対かつ森羅万象の理ゆえ、こう考えて然るべきだ』と自称するのは勝手だけど、俺は"なんとも思ってない"。なんでそんな奴の頭ん中を読んで考えなければいかんのだ?」

という「忖度なき答え」が返ってくること請け合いである。

それにもかかわらず「自分で考えろ」と"言うことができる"とすれば、考えられる状況は二つ。

①親、教師、監督、上司、運営本部など、相手より立場が上、

「自分の方が正しいに決まってる」と思い込んでいる、

のどちらか若しくは両方(筆者のケースは②)。

「忖度すべき答え」の"合理性"は無関係であり、また担保されているわけでもない(筆者はその人と袂を分かった今、無視して問題なく業務を遂行できている)。

もし、その「答え」が本当に重要で、従った方がいいものならば、言葉をもって指示、教示もしくはルール化すればいいだけの話。

「クイズ」にする必要はない。

「自分で考えろ」忖度クイズ形態は、「自分は正しいゆえ、それに沿って然るべき」という"増上慢の証左"である。

およそ「人徳のある人物」の所業ではない。   


(2022/10/16投稿記事の続編)

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