オールウェイズ・カラーグラス〔マキシム〈ニーチェ〉【金言の再現】8〕
事実が見えていない
多くの人は、物そのものや状況そのものを見ていない。
そのものにまつわる自分の思いや執着やこだわり、その状況に対する自分の感情や勝手な想像を見ているのだ。
つまり、自分を使って、物そのものや状況そのものを隠してしまっているのだ。
「曙光」
『超訳 ニーチェの言葉』GEISTGKEIT-055 (フリードリヒ・ニーチェ著 白取春彦訳)
「人は見たいようにものを見る」
これは、ジュリアス・シーザーからアルフレッド・アドラーまで、様々な賢人によって語られている。ニーチェもしかり。
彼らの影響を受けているかはわからないが、『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー著 キングベアー出版)や『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎 マガジンハウス)にも、この理が投影されている文章が見受けられる。
「人は見たいようにものを見る」は、限りなく絶対に近い真理であるように思う。
しかし、
人間がとかく自分を中心として、物事を考えたり、判断すると言う性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている。
『君たちはどう生きるか』p31
と吉野源三郎先生も述べられておるように、多くの人は「自分はありのままに、正しくものを見ている」と思いたがる。この点は現代においてもまったく変わりないだろう。
あたかも、「孔子曰く、『過ちを改めないのが過ち』」の理が、数千年経った令和の世においてなお、ほとんど改まっていないように。
となれば、「人は見たいようにものを見る」を認めながらない、というのは人の本質なのだろう。時代や地域関係なく。
だから、「自分は見たいようにしかものを見ていない」ことは諦めざるをえないのだろう。
これを「否」とする反論を、少なくとも僕は持っていない。
(参考図書)