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クリシュナとアルジュナの愛の営み(BL?)

 先日、バガヴァッド・ギーターについて仲間内で話していた時に、アルジュナとクリシュナでBLが描けるんじゃね?という話になった。その時は爆笑して大盛り上がりになった。
 だけど、ヒンドゥ教徒にとって聖典ともいわれるギーターでBLなんて、恐ろしくてその手の話をネットに公開することなど想像もできなかった。
 でもねぇ、マハーバーラタって『ここに書かれていない話は無い』と大見得をきっているんですよ。

ダルマ(使命)、アルタ(経済)、カーマ(欲望)、モークシャ(解脱)に関し
この本に書かれていることは他にも存在する
この本に書かれていないことは他のどこにも存在しない

マハーバーラタ

 ホンマに有るんかぁ?と思っていましたが、有るんですねー😅(マハバ本編ではないけど)
 最初に思い浮かんだエピソードは、アルジュナが天界で修行している時に、アプサラス(天女の一種)のウルヴァシーから求婚された時に、それを断ったので男性でなくなる呪いを受けてしまった話です。
 当時アルジュナはカウラヴァ側との約束で13年間放浪の暮らしをすることになっていて、その最後の年は正体を誰にも知られることなく過ごすことになっていました。アルジュナはその1年間を女性(正確には中性、というか去勢された男性)として過ごすことにしたのです。(ウルヴァシーからの呪いはインドラ神により1年間だけに短縮されて、しかもその時期はアルジュナが決められるという都合の良いものになっていました)この時期にクリシュナとやっちゃったのかなぁと思ったのですよ(日本語訳のマハーバーラタに記載されていないエピソードってインドの各地で描かれており、新しいエピソードも知らないうちに追加されていることが有るそうなので、そういうのも有るかも?)ってね。でも別のエピソードでした。

 まずクリシュナ物語って異様にエロいお話が多いのです。
①幼児のクリシュナが雷を怖がって避難する途中、ラーダーという綺麗なおねいさん(後に愛人関係になる女性)に手を引かれているうちに、いつのまにか身体が成長してラーダーとやっちゃう話とか
②女たちが女性専用の沐浴場で衣服を脱いで水浴びをしていると、クリシュナはその衣服を隠してしまいます。返してほしければその身体をよく見せろ!手で隠すとは何事か、それはお前たちのエゴだ。私はお前たちのエゴを鎮めるためにやっているのだ!とのたまうとか
③クリシュナが笛を吹くとどんな女でもふらふらとクリシュナの元へやって来る(洗濯していようが食事の支度していようが牛糞を捏ねていようがお構いなしの汚れた手のまま来てしまいます)それらの女はクリシュナのなすがまま。それでもクリシュナは言います「女が家のことをほっぽり出すとは何事だ!」と、それまでの行動を『攻めて』『許して』って洗脳の基本です。女達はクリシュナに愛を捧げ、肉体はクリシュナを受け入れます。

 まぁなんてうらや(ゲフンゲフン)けしからん奴なんでしょう。でもクリシュナ様の信者の女であれば夢のようなひとときだと言います。
 女達は皆、ゴーピー(牛飼娘)になってクリシュナと遊び戯れることが許されています。
 じゃあ男は?男もクリシュナ様に身を任せたい。それでこそバクティの究極の在り方です。でも男の身体のままでは無理なので、女性に性転換してクリシュナ様に抱かれることこそが至高の夢だとか。
 ハレクリシュナと歌い踊るヒンドゥ教チャイタニア派の人々(この人達が13世紀初頭に滅ぼされたといわれるインド仏教の、最後の残火を消し去ったとも言われています)彼らも心は牛飼娘なのでしょう。ハレクリシュナと歌い踊る人々は、日本に置き換えたら「踊念仏」の熱心な信者のようなものですね。ビートルズのジョージ・ハリスンも『マイ・スゥィート・ロード』や『アイ・ミー・マイン』等で熱く激しいクリシュナへの想いを歌い上げています。愛する人と一心同体となり共に過ごすのは、それはそれは素晴らしいことなのでしょう。
 んでアルジュナも女性に性転換して、、、というのがネット検索して見つけた次のお話の骨子です。といってもほとんどはアルジュナの沐浴ばっかりですけどね。

マハバでもなくてプラーナ文献だったか😅
嗚呼、饅頭怖い😱

読んでいて思ったのですが、まるで理趣経だなぁと

  • 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である

  • 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である

  • 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である

  • 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である

  • 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である

  • 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である

  • 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である

  • 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である

  • 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である

  • ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である

  • 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である

  • 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である

  • 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である

  • 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である

  • 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である

  • この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である

  • 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である

 空海さんと最澄さんが仲違いするのは、この理趣経の解説書を貸す貸さないがきっかけだったし、佛教やヨーガで生きる苦しみを生み出すのは『無明(煩悩)』であり、さらにそれは『渇愛』という生存本能により生み出されるとも言われています。その抗いようのない強いエネルギーを、解脱のためのエネルギーとして利用しようとしたのが佛教密教、ヒンドゥタントラ、ハタヨーガ。
 そこまで昇華すれば単なるエロとは違うと思うけどアルジュナは昇華できたのでしょうか?


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