何も無い今日1日の鬱記録
幸せとは何だろうか。
尊敬する「物語シリーズ」というアニメを観ながら思う
パチスロの当たり演出などに感動を覚えたのが、最近の喜びの1つではある。
物語シリーズのパチスロの当たりは、何だか芸術センスの塊のような、心から技術的に尊敬出来るような、正しくファインアートの領域で、純粋な価値を両立してしまった、ような感動を覚えたものである。
…それはさておき
今日はやたら料理動画…具体的には、サバイバル動画のような、ウシガエルを焼いて食べたり、カメを焼いて食べたり、イモムシを焼いて食べたり、臭そうな魚を焼いて食べたり…と、何かを焼いて食べる、動画を見ていた。ただ見ていた。
生きるって、なんだろうな…と、回らない頭で考えたりもした。
今日の予定としては、積まれている本を無造作に読み始め、読み進める中で得られるヒントを元に、新しい閃きをnoteの記事として書きまくる事により、有意義で生産的で建設的な一日を過ごそうと思ったわけである。
実際は、パチンコ動画を見たり、ガチャのスロットを回して10万円ぐらいを課金する動画を見て、泣いているオジサンが、俺みたいになるな、俺が若いうちに何か有意義な事をしていれば、今みたいな多重債務&高齢フリーターにならずにすんだ…
みたいなことを聞き、あー、まー、俺も何かしなきゃ、と思い立ったわけである。
アルバイトをしてみても、人というのは、簡単に狂気に落ちるというか、人が狂うのは案外あっさりしたものだな、と、感じたわけである
つまるところ、バカでもなく、何か大切なものも無い俺は(足枷はある)、簡単に豚箱行きのような事件を起こしてしまいそうなポテンシャルを持っているという話であった。
なので、悠長に、脳死ゲームなどをしている場合では無いのである。そりゃ、脳死ゲームをしながら、タバコを吸って、酒を飲んでいれば楽しいだろう。
しかし、現実というのはいつも不安定である。
現実逃避をしていれば、つまり目を塞いで歩いていれば、そう、足を踏み外して、落ちる所まで落ちていって、最終的に多重債務パチカスヤニカスアル中フリーター前科持ち執行猶予付き病気オジサンになってしまう、というわけである。
現実に抗うべく、俺は本を読んだりして、いずれ出会うであろう、大切なものを待ちわびるわけである。
頭を使って、勉強をして、自分を出来るだけ甘やかして、寿命を前借りしたりして、若いうちぐらいは生き続けられるように努力しなければならないのだ
死んでしまえばそれまでであるが、生きていて誰かに出会えばそれまでなのである。
他人に期待するのはあまり期待出来ないのだが、アニメばかり見て現実離れした人物を求めるなど、王子様を待つお姫さま気分の痛い少女のようだが、何かしら希望を持って生きるしか今のところ存在理由がむずかしいのである。
まだ知らぬ可能性を追求したい気持ちはあるのだが、まあ、今日は休日にも関わらず鬱であった。ちなみに平日は苦しみである。
とにかく明日は、パチンコで溶かした金を思い出しつつ、コーラとポテチぐらいは買えるだろう…か。