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【ショートショート】 『ひじき』

修了式を目前に控えた3月23日。この4時間目の家庭科が、最後の授業になる。私は気を引き締めて3年4組の児童達に問いかけた。

「ひじきが何なのか、この中に知ってる人はいますか?」

場が少しざわつく。皆、答えを知らないのか、もしくは自信が無いのか、直ぐに手を挙げるものはいなかった。少しの間があった後、クラスでお調子者の鹿島が、両手を目いっぱい挙げた。

「はい、鹿島君」                           私は、グリコのように両腕を掲げている鹿島に回答を促した。

「消しカスで〜す」

鹿島は間延びした大きな声で言った。普段の教室より少し広い家庭科室にどっと笑い声が響く。私は、わざと困ったような顔を作り、       「消しカスではないですよ」と言った。

なおも児童たちは口々に話し合っていたが、手を挙げて答えを言おうとするものは現れなかった。このままでは埒が明かないと思い、私は方針を変えた。

「では、 今日は23日なので出席番号23番の曽根くん。 ひじきが一体何なのか分かりますか?」

私は、曽根の少し内気な性格を考慮し、できる限り優しい声音で問うた。

「えっと、や、野菜ですか?」                     その声は小さく、回答というより質問と言った方が正しかった。

「うん、惜しい」                          その回答は正解とはかけ離れていたが、曽根のクラスでのポジションを想像した私は、要らぬ波風が立たぬよう、そう答えた。話す前に考えてしまうのは、これまでの経験から得た私の癖であり、防衛手段だった。

「じゃあ次は曽根君の後ろの島田さん、分かりますか?」        
続いて次の児童にも問う。

「うーん、かまぼことかの仲間ですか?」               磯の香りから連想したのか、島田は練り物の一種だと考えたらしい。

「その答えもとても惜しいです だんだん答えに近づいてきましたね さらにヒントを1つ ひじきは海と関係があります」              私は授業のペースを考え、次で答えが出なければ、自分で答えを言うつもりでいた。

「では最後に、上林君 分かりますか?」                上林はクラスで、いや、学年で最も賢い児童だと職員室で聞いていた。自分以外の同級生が馬鹿に見えるのか、それとも分かりきったことをわざわざ聞いてくる授業自体に嫌気が差しているのか、上林は普段から授業には積極的に参加しない。もう既に高校受験のための勉強を始めているという話も耳にしたことがある。そんな上林が気だるそうに、しかしはっきりと口を開いた。

「海藻です」                            上林は、それが唯一の答えであり、それ以外に解は無いと言わんばかりに言い切った。


私は少しそれが可笑しかった。
頭の良い児童でも、ひじきが何なのか分からない。その事実が、教師としては決して褒められたものではないが、私には滑稽に映った。

「たしかに、海藻と間違える人は多くいます。でも違います」      私はクラス全体に聞こえるように、上林の間違いを訂正した。続けて、教室を見渡しながら言葉をつなげる。


「ひじきは隕石に付着してこの地球にやって来た地球外生命体です。」

絶対嘘だ、とヤジを飛ばす者、口をあんぐりと開けている者、児童たちの反応は様々だった。上林が突然立ち上がり、私に反論する。       「そんなわけないだろ、ネットにもそんなことは一言も書いてない!」  いつの間にか、その手にはスマートフォンが握られていた。      「授業に必要のない私物は持ち込み禁止です」             私は上林に歩み寄りながら、なおも授業を続ける。          「ひじきは一般的に食べ物だと思われていますが、それは大きな間違いです」                                目の前にいる上林を私は見下ろす。上林が後ずさるが、その反応は生物として正しい。しかし一目散に逃げなかったのは理性が邪魔をしたからだ。  その獲得物は人間の進化を促したが、常に退化の象徴でもあった。    特にこの場においては。わたしは努めて冷静に言う。

「ひじきは被食者ではなく、捕食者です」

震える上林の顔に私は手をかざす。途端に上林は波打つ黒に吞まれてゆく。それは全て、ひじきだ。児童たちの窓を割らんばかりの叫び声が、家庭科室に響いた。丸い木の座面を持った椅子がいくつも転がる。ドアを開けようとする者もいるが、それは徒労に終わる。ドアレールにはびっしりとひじきが詰まっている。もちろん窓のレールにも、私はぬかりなくひじきを詰めていた。家庭科室の中心あたりで、無数のひじきが寄り集まり黒い柱となった。それは遠目に見ると、一つの巨大なひじきにも見えた。おびただしい数のひじきは、たった一つの本能によって体を成す。             喰え、喰い散らせ、我々が貪り喰らう側だ。               巨大なひじきは有機的にうごめき、しめ縄のような触腕をいくつも形作った。衝動に任せて鞭のように振るう。

叫び声は幾分か小さくなっていた。それは、児童たちの声が小さくなったことを意味していない。音を発する人間の数が減っていただけであった。

私は考える。我々は人間によって身勝手に類別され、名付けられ、ただの食品として扱われてきた。海藻に似ているというだけで、構造が人間にとってシンプルであるというだけで、そこに意思は無いと決めつけられた。人間に知覚できないだけで、我々には高度な知性があるというのに。

私は考える。故郷では私たちは何という名だったのか。どんな暮らしをしていたのか。自らを定義する材料は、DNAに刻まれた宇宙からやってきたという遠い記憶、そして人間に与えられた「ひじき」という名だけであった。 ならば私が、いや我々「ひじき」が、畏怖の対象となるまで力を振るう。 いつか、人間にとって代わるまで。


気づけば、家庭科室はしんと静まり返っていた。割れたガラスと転がった椅子以外、その部屋は普段とまったく変わりなかった。          ひじきは、“獲物たち”の血肉を余すことなく吸収した。         この4時間目の家庭科が、彼らにとって最後の授業となった。      用の無くなった部屋から出ようとする。そのとき、がたっ、と壁際の調理用具入れの中から音がした。備わった感覚器官で、それが曽根であると理解するのに数秒もかからなかった。                    ふいに、給食の時間に残された野菜を連想する。

 
「今日は23日、か」                         私はひとりごつ。
私は何もせずそのまま部屋を出た。ひじきに本来の力を取り戻させることができるのは、私だけだ。この世界の全てのひじきを解放する。      次は、どこへ行こうか。


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