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2024年10月の生活記録

1年後の自分が1年前に何をしていたのか、思い出すために生活記録を書くことにしました。

10月1日「くしゃみが止まらない」

 とにかくくしゃみが止まらなかった。喉も痛いし、風邪かと思ったが、どうも花粉症のようだ。くしゃみをいくらしても花がムズムズする。鼻を取って洗いたい。というよりどこかにしまっておきたい。
 私の花粉症は、毎シーズン発症するのではなく、忘れたころに発症するから厄介だ。「花粉症の季節が来たな~」ではなく、今日みたいに風邪かもしれないと思ってから「いや、これは花粉症だ」となるぐらい忘れたころに思い出す。今回はくしゃみだけで、目のかゆみがないだけマシだ。
 それでも、ただくしゃみが止まらないだけで、なんだか身体全体の調子が悪いような気がする。以前もらったアレルギーの薬を飲もうか迷っているうちに夜になってしまった。数時間後に寝るのに薬を飲むのはなんだかもったいないような気がする。寝るまでくしゃみに耐えることに決めた。

10月2日「辛いソース」

 家の畑で辛いピーマンが摂れたのでソースにした。私は辛いのが大好きだ。ついつい何でも辛くしてしまう。おそらく胃や腸は悲鳴をあげているだろう。
 年々辛いものへの耐性ができている。おかげで家族と"辛い"の認識がズレてきた。私は食べられるけど辛いかもというレベルではなく、私が辛くないと感じていても家族には辛いケースが出てきたのだ。私基準でピリ辛を作ると大変なことになる。
 だから、我が家では七味唐辛子や島唐辛子の粉末、プルタックソースなどは後から個人個人でかける。今回作ったソースもかけたいと思った人がかける。
 作り方は至ってシンプル。みじん切りした辛いピーマンを鍋に入れ、油と味の素を入れる。何となく全体がしんなりしたら完成だ。元々味についている料理にかけるので味の素以外は入れない。油はオリーブオイルでもいい。作った後は毎回手がヒリヒリして、お風呂でイタァ〜となる。ここまでがセットだ。

食べ過ぎ注意

10月3日「マカロニグラタン」

 夕食はマカロニグラタンだった。子供の頃はお弁当に入れる小さなカップに入ったものが私の中のグラタンだった。高校生ぐらいからはコンビニのグラタンが私の中のグラタンになった。
 グラタンにはホワイトソースが必要だ。ホワイトソースは気をつけないとダマになる。焦げてしまう。そう紹介している料理番組が多かった気がする。その影響でホワイトソースは素人では作れないものだと思い込んでいた。
 数年前、何かの拍子にホワイトソースを作った。ダマになること焦がすこともなく完成した。「なんだ、ホワイトソースって簡単じゃん!」そう思ったのを覚えている。
 そこからたまにグラタンが食べたくなると自分でホワイトソースから作るようになった。毎回適当に作るので詳しい分量は覚えていない。それでも何となく形になるんだからグラタンってすごいよね。
 家族からも好評。祖父が想像以上のスピードで食べてくれていたので嬉しかった。いっぱいお食べ。

取り分けた後なので半分だけ

10月5日「痛風」

一昨日の夕方に左足の親指の付け根が痛み始め、あぁこれは痛風だなと思った。
 痛風の95%が男性であり、女性が痛風になるのは珍しい。しかし、祖母も母も痛風の経験があり、素質は十分だった。いつか来るそう思ってついに今年きた。
 痛風といえばプリン体が思い浮かぶ人も多いと思う。ビールではプリン体ゼロの商品も多い。私は普段ビールを飲まない。というか外食しない限り基本的にお酒は飲まないので、お酒からのプリン体はほぼ摂取していない。そもそもここ数日、暴飲暴食した記憶がない。なぜ今なのか。腑に落ちない。先日のグラタンが引き金だったのか?
 とりあえず今日は採血をして痛み止めをもらった。もうピークは過ぎているようでそこまで痛みはない。どちらかというと、足を庇ったせいでふくらはぎや太もも、腰が筋肉痛だ。足首も痛めた気がする。足の裏は攣りそうだ。痛風で松葉杖をつく気持ちが分かる。
 暴飲暴食で痛風になったという認識ではないので、帰りにラーメンを食べた。

シンプルでうまい😋

10月9日「ミートボールパスタ」

夕食はミートボールパスタに決めた。何となく久しぶりに食べたくなったからだ。
 我が家のミートボールパスタはかなり手抜きである。1つ1つ丸めてミートボールにしようとなんかしない。細長い一本の棒にして、鍋に突っ込む。

分量は適当。ナツメグは必須。

何となく火が通ってきたらキッチンバサミで適当な大きさにカットする。

多少ボロボロしても気にしない。

6人分でも30分もかからず作れるからおすすめ。2人分とかならパスタの茹で時間を入れても15分ぐらいでできるんじゃないかな。

ミートボール以外の具材は、玉ねぎ、ナス、チンゲンサイでした。きのこを入れてもよかったかも。

とろみをつけて完成

10月12日「妻籠宿」

 昨日から九州に住む親戚が家に来ている。ひいおばあちゃんの妹とその娘夫婦だ。多分。
 特にTHE観光地というところはないのだが、長野県南木曽町にある妻籠宿へ向かった。妻籠宿は「つまごじゅく」と読む。似た名前に馬籠宿(まごめじゅく)があるが、こちらは岐阜県。この2つは徒歩で2時間ほどの距離にある。妻籠宿の方がなだらかで歩きやすい。

なんかご利益ありそう
秋だねぇ

 妻籠宿の後は蕎麦を食べた。1軒目は予約でいっぱい、2軒目は蕎麦が終了。3軒目でようやく入れた。何とか見つけたのは「寿命そば 越後屋」日本で2番目に古い蕎麦屋であり、今年400年記念という素晴らしい時に来た。

寛永元年(1624年)創業

おじいちゃんに創業年数を伝えると「俺の生まれる前だなぁ」と言っていた。めちゃくちゃ前だよ。

エビの天ぷらが4つもあった

おじいちゃんが食べられなかった分も食べたので蕎麦を3枚食べるという大食いになってしまった。だが、やはり蕎麦は美味しい。

 その後は、浦島太郎が夢から覚め、お爺さんの姿になったと言われる寝覚めの床を訪れた。

階段降りれば下まで行ける

天気も良く、雄大な景色が広がる。浦島太郎の伝説が、どうして海のない長野県に、そしてこんな山奥にあるのか不思議でならない。
 ちなみにここには、マジックミラーになっている女子トイレがあり、雄大な景色を見ながら用を足せるというよく分からないスポットもある。実際入ってみると、思ったよりクリアに見えないので熱にうなされた時みたいにふわふわした景色が見られる。

 夜は焼肉を食べた。一応日本一の焼肉の街なので。

赤身が1番美味しい

10月13日「お祭り」

 母の知り合いに花火師がいるということでお祭りに来た。打ち上げ花火だけでなく仕掛け花火もあるお祭りだ。というより仕掛け花火がメインらしい。何の知識もないせいでよく分からないまま現地に行った。

「7:30から開始し、終了予定は10:00です」

そのアナウンスに耳を疑った。花火って9:00以降も打ち上げていいんだっけ???地元のお祭り色が強く屋台も出ていない。ずっと同じ場所に留まって花火を見た。幸いそこまで寒くない。ただ、夜になるにつれ、人が減り、すぐ後ろの山から降りてくる風が直接当たるようになってきた。秋だ。

地元のお祭りだからゆるいのか、安全性を高めるためか、花火と花火の感覚が長い。7:30〜10:00なのに、アナウンスする人が「花火の時間で言ったら30分もないですけどね」と言い始めて、いやそうだよなぁ。暇な時間ありすぎるもんと思った。
 仕掛け花火は迫力満点で、あまりにも近い距離に花火があるので熱さを感じるほどだった。花火の下では、半被姿の人々が掛け声を上げながら火の粉に耐え、足踏みしていた。ちょっとミニオンみたいで可愛い。火の粉を浴びていない少し離れた半被姿の人も足踏みしていた。全員が同じ格好でヘルメットを被っているもんだから余計にミニオンに見えた。
 母の知り合いがどこにいるのかは全く分からなかった。
 久しぶりに祭りに参加した。昼間の祭りに親戚の子を連れて行ったことはあったが、夜は多分、大学以来だ。そういえばお祭りデートしたことないな。

ほぼ火事

10月14日「17回忌」

 ひいおじいちゃんの17回忌だった。正確には来年だったのだが、祖母が「来年17回忌ですよ〜どうしますか?」というハガキを「今年17回忌だ!」と勘違いした影響で今年になった。
 横浜に住む母の妹夫婦もやってきて、お坊さんを呼んで17回忌を行った。ひいおじいちゃんは96歳で亡くなった。多分。よくふざけて私を笑わせてくれた人だった。晩年は寝てばかりであまり話した記憶はない。最後に会った時もベッドで寝ていたからさよならも言わずに家に帰った。話しておけば良かったという後悔は特にない。もしあの時、話していたら「あぁ、あれもいえばよかった」と後悔していたかもしれない。
 17回忌の後は、地元の寿司屋でご馳走を食べた。祖父の横に座り、汁物にはとろみをつけ、詰まらせないように家から持ってきたハサミで食材を切る。飾りにつけられている葉っぱ類は間違って食べないように取り除く。祖父ももう89歳だ。

最後のお寿司

10月17日「野良猫」

 家の周りには野良猫が何匹もいる。基本人がいる時は開けっぱなしのサンルームから、野良猫が侵入してくる。確認できているだけでも2匹は入ってくる。茶色の猫と白色に茶色の模様がついた猫だ。
 いつも人間と鉢合わせて逃げていく。人間を警戒しているのか、人の家だという自覚があるのかは分からない。
 今日は今朝から白色に茶色の模様の猫が椅子で寝ている。この猫はこの家を寝る場所だと判断しているようだ。前は祖父のベッドの上で寝ていた。
 遠くからじっとこちらを見ている。そして目を瞑って寝る。2m、1m、50cmと近づいても動く気配がない。20cmの距離になりようやく、動いた方がいいかもという姿勢をとった。私としては別に害はないと思ったのでそっと離れてその場を後にした。猫は再び寝始めた。
 どうやらそのまま夜を迎え、朝になっても寝ていたようだ。寒いだろうと毛布をかけようとした祖母に驚いて逃げるまでは。
 驚かせてしまったしもう来ないだろうと思っていたら数日後、祖父のベッドで寝ていた。慌てる様子もなく、お邪魔しましたと言った様子で開けっぱなしのサンルームから出て行った。
 どこの野良猫なのかは分からないが、この先寒くなるからまたおいで。鍵がかかっていたら鳴いてくれていい。

ご飯はどこでもらってるの?

10月18日「ナポリタン」

ナポリタンを作った。と言っても簡単なものである。正式な作り方はよく分からないので適当に作る。それでも美味しい。

ナポリタン懐かしい響き♪

10月19日「ラーメン」

妹とマクドナルドに行くはずだったのにラーメン屋に来てしまった。カロリーでいえばトントンなのだろうか。
 
妹が実家に帰って来て外食する回数が増えた。さらにラーメンを食べる回数も増えた。

元々私はあまりラーメンを食べないタイプだった。といってもカップ麺は好きで結構食べている。猫舌かつ麺を啜るのが苦手な私は、お店で食べようとすると「早く食べないと麺が伸びるぞ」言われているような気がして食べにくい。さらに回転率の速いラーメン屋では、後ろで待つ客になんだかより急かされているような気がする。
 そんな私でも愛知にある「侍」といいラーメン屋のラーメンは好きだ。ライブ終わりにたまに食べていた。また食べに行きたい。

もやしが多いから健康

10月24日「なんちゃってチーズ」

 牛乳が大量に余ると、なんちゃってチーズを作る。
 牛乳を鍋で温めて沸騰3歩手前で火を止め酢を入れる。ぐるぐるとかき混ぜると自然と牛乳が分離していく。少し時間をおいて落ち着かせてから、細かい目のザルでチーズと水分に分ける。十分水分が落ちたら、タッパーに入れ塩で味を整えて完成だ。
 ブラックペッパーやバジルを入れるのもいい。残った水分は栄養豊富なのでスープやカレーにする。少し酸味があるので酸辣湯麺のスープにするのもいい。

いつも塩を入れすぎてしまう

10月27日「マーボーラーメン」

 マーボーラーメンが人気らしいと聞いて注文した。餡のおかげでずっと熱々。猫舌の私はかなり苦戦した。しかし美味しい。ここのラーメン屋はスープ絶品なのだ。そのスープと上にかけられた麻婆豆腐が合わさり、優しさの中にピリッとした厳しさを感じる。
 
 しかもこのマーボーラーメンは細かく切られた玉ねぎとナルトが入っている。麻婆豆腐の部分ですら珍しい。どんぶりの底に沈んだナルトを掬い上げ、全て食べた。

 このお店はシンプルなラーメンも美味しいがマーボーラーメンも美味しい。次はどちらを頼むか迷ってしまう。野菜ラーメンとやらも人気らしい。

初めて食べたマーボーラーメン

10月28日「痛風じゃなかったらしい」

10月5日に痛風だと言われたが、その後血液検査の結果を見て「痛風ではなさそうだ」と言われた。

 どうやら「偽痛風」というものらしい。偽痛風は整形外科だかの分野で内科ではこれ以上分からないと言われてしまった。ちょっと偽痛風について調べたら

偽痛風の場合には若年性は稀で,60歳以上に多く10歳増えるごとに発生率が倍ほど高まる。 ピークは80歳で90歳以降は人口が減るため発生も減る。

特集:偽痛風とはどのような病気?

と書かれていて驚いた。後期高齢者がなりやすいのか偽痛風は。身体年齢は80歳なのかもしれない。まだ痛いといえば痛いが騒ぐほどでもないので放置している。

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団子。
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