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小説家になりたかったが、書きたくはなかった。

去年から小説を読むようになって思い出した。

中学3年生のとき、「私は小説家になりたい」と口走っていた。

そこまで本を読んだことがない、小説なんて1文字も書いたことがない、そんな人間が急に小説家になりたいと言ったのだ。

現在、私は小説家ではない。

小説家になるために何かをした記憶もない。なぜ小説家になりたかったのか。少し考えて答えが出た。


現実から逃げたかった。


小説の世界に逃げ込みたかったのだ。

今になって気づく。家庭環境も何もかも恵まれている私だったが、なぜかこの頃から精神を病み始めていた。中学時代は自覚が全くなかったが、どうにかして現実から逃げる術を探していたのだろう。


ではなぜ、小説を書かなかったのか。いや、書けなかったのか。


私は言語化しないことで自分を守って生きてきた。


おそらくこれだろう。

世界をぼやっと見て、自分の輪郭をはっきりさせないことでこの世界を漂っていた。言葉の全てを受け止め、言葉で全てを吐き出してしまえば私が壊れてしまうと思ったのだ。

当時の私は全ての言葉を拒否し感情を動かさないことで自分の形を保っていたのである。

高校生になると私は文芸クラブに入った。俳句や短歌を作った。苦戦した。どうしても自分の内面を言語化することができなかった。

クラブでは作品を応募する際に、顧問の先生に見せるのが流れだった。私が必死に絞り出した言葉たちが修正される度、何かがすり減っていく気がした。

自分が生み出した言葉を見られるのが怖くなっていったのもこの頃だ。

どんどん私は言語化することが苦手になり、言葉が怖くなった。自分で発する言葉も自分に向けられる言葉も、全部怖かった。

高校を卒業すると俳句も短歌もやめた。

それからしばらく何があったのだろうか。とても精神を病んでいたことは覚えている。

ある程度思い出したらまたnoteを書こう。

年月は流れ、今私はnoteで自分の内面をさらけ出している。短歌も詠んでいる。本もたくさん読むようになった。

あんなに言葉が怖かったのに人生とは不思議なものだ。

相変わらず精神を病む日もあるけれど、昔よりは自分を表に出せている。

もしかしたら、小説を書く日がやってくるのかもしれない。小説家を書きたくて小説家になる日がくるかもしれない。

言葉って面白いね。


そう思える未来に辿り着けて良かった。

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