『謎解きサリンジャー 自殺したのは誰なのか』
【ネタバレしそうな箇所があるのでご注意願います】
20世紀を代表する名作『ライ麦畑でつかまえて』を生み出したアメリカの作家J・Dサリンジャー。本書はサリンジャー作品の謎を探究したものである。
これがとにかく凄いのだ。自分は今ままでサリンジャー作品の何を読んでいたんだ・・・青春時代に読んだ数々のサリンジャー作品。好きな作家と豪語していた自分があまりに恥ずかしい。映画の中で、主人公が鈍器か何かで頭をガツンとやられ、その後の人生が一変してしまう(特にアキ・カウリスマキの映画)、そんなことがよくあるが、まさに自分の頭をガツンとやられた、それ程の衝撃がこの書にはある。
この著書の副題「自殺したのか誰なのか?」。強烈である。
著書は、グラスサーガなる作品群から「ライ麦畑でつかまえて」への過程を辿り、自殺の問いから作品の真髄へと迫っていく。
サリンジャーは、謎解きとも言える巧妙な記述を数多く残している。7歳のシーモアの予言、ビリヤードやビー玉遊びのエピソード、バナナとリンゴについて、そして俳句、禅についてなど。
それらの記述(謎)をロジカルに探究していく様は、さながら探偵のようでもあり、サリンジャーの公案(禅宗の問い)を受けた弟子のようにも見受けられる。
謎を解き明かすうえで鍵(作品の核でもある)となるのが、「ナインストーリーズ」のエピグラフに掲げられている禅の公案である。
サリンジャーの意図とは・・・そして伝えたかったこととは・・・
突然だが、皆さんは「9つのドット(点)」という問題をご存知だろうか。これは、9つのドットを一筆書き(直線で)でなぞるという問題なのだが、枠に囚われていては決して解けない問題である。
私がこれを提示した理由というのは、本を読むことも、一般的とされている論理から思考を解放しないと、作者が意図していること、行間に隠されていることは分からない、ということを言いたかったからである。そのことを私自身、痛感したのだ。
この著書を読み、サリンジャーの作品というのは、現代人に突きつけた一つの公案のように思えてくる。
果たして、私たちは、「隻手(せきしゅ:片手の意)の音」を聞くことができるのだろうか、そして「ライ麦畑」のホールデンのように開眼することができるのだろうか。
戦争で分断している世の中、今こそ、「隻手の音」の公案を切実な問いとして受け止めなくてはいけないのかもしれない。かく言う私はと言えば、まだまだ修行が足りないのであるが。