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▼高野豆腐ばりの吸収力を手に入れる方法

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▼前のめりな姿勢と高野豆腐ばりの吸収力
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最近お金を払うことで得られる対価ってモノが買えるとかサービスが受けられる以外に何かあるかなーなんて考えてます。
#タイトルですでに答え出てる
車の免許を持ってる人なら同じ経験があるかと思いますが、あの数年に一度来る免許の更新って正直めんどい。
なのでいつも「次回はゴールド免許目指そう!」と心に誓うものの、けっこう早い段階で軽微な違反をしてしまい心が折れるという状態がもうかれこれ20年以上続いています。
#だって白バイの人隠れてるんだもん
免許の更新で一番きついのはなんといってもあの長い講習。
友人もいない、そこまで興味がある内容ではない(講師の皆さんごめんなさい)、寝れない、早弁できない。。
若い頃は学生時代に培った「教科書を見ている感じを装って寝る技術」を使って時が過ぎるのを待っていましたが、万が一寝ていることがバレると免許の更新を認めてくれないためそこまで熟睡もできません。
そこでいつからか忘れましたが、「丸一日使うわけだしお金もそこそこかかるわけだし、どうせ同じ時間過ごすならこの講習から何かしら得て帰ってやろう」という発想に切り替えました。
こう切り替えるといろいろ見えてくるものがあります。
大きく分けると講師は以下の2パターンに分かれます。
・やっつけ仕事的な感じでこなす人
・少しでもこの講習を楽しいものにしようと努める人
このどっちが来ても学べます。
前者が来れば反面教師にし、後者が来ればそのまんまパクります(笑)
あの最強に眠気を誘う薄暗い教室の中で見るDVDの視聴や、そのあとに行うテキストを元にした講習からも学べるものがあることに気づきました。
免許の更新に行くという行為は、スタートは受動的であるものの自分次第で能動的に変えることが出来ることに気づきました。
何かをする際、それを能動的なものにするのにいちばん簡単なのは「お金(時間)を払う」ことなんだなと。
自ら進んでお金を払ったものに対して「前のめり」になるのは当然だとして、免許の更新のように自らの意志でお金を払ってなくても、お金を払ったことで「どうせお金払ったなら」という気持ちになる。
私たちはなんとなく無料のものは質が低い、高価なものは質が高いと感じがちです。
Amazonで以前は100円で売っていた古本が、しばらくしたら9000円になっていたりすると瞬間的に「やっぱあの本良い本だったんだ」と考え、慌ててポチって一心不乱に読んだりします。
でもその本の内容は当たり前ですが100円のときも9000円のときも変わっていないはずなのに、おそらく9000円出して買って読むときのほうが「真剣」に読むはずで、値段分「吸収」しようとするはずです。
心理学の世界では認知的不協和とか言うやつだったかと思うんですが(間違ってたらすみません)、要は「お金を払った」「時間をかけた」「自分で決めた」のだから、そこから何かを(主体的に)得よう、より吸収しようと私たちは思うようにできている気がします。
こう考えていくと、「コスパ(が良い悪い)」の定義も変わってくるかと思います。
#私はこの言葉好きくない
先ほどの本を100円で買った人は「100円だし参考になる点が一つか二つあればいっか」となる可能性が高く、9000円で買った人は「9000円もしたんだからこの本から得られるものはすべて吸収しよう」と思っても何ら不思議ではありません。
こうなるとどちらがコスパが良いかは簡単には言えなくなります。
「ただより高いものはない」という言葉がありますが、これは時間のことを指しているのかなと最近思うようになりました。
高い値段で買った人(吸収率が良い人)だと一回で全部吸収できるのに、ただもしくは安い値段で買った人は吸収率が悪いので何度も時間をかけないと吸収できない。
こう考えるとただより高いものはない気がしてくるので、最近はサブスクに課金したり、図書館には行かず多少値の張る古本に対してもあまり躊躇せずポチっている自分がいます(笑)
以上、認知的不協和のループにハマっているオジサンの独り言でした。
ではまた。

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