公共空間は誰のもの?
土曜の夜、ホテルに帰ろうとバスに乗っていると屋台が並ぶ賑やかなストリートがあったので立ち寄った。鍾路3街駅(종로3가역)から清渓川(청계천)に向かう敦化門路(돈화문로)大通り沿いの片側に屋台が出ていた。
土曜の夜のソウル屋台街
一方通行3車線のうち1車線+駐車帯1車線、つまり車道の約半分を通行止にして屋台が出店され、路上にテーブルや椅子を並べている。ネットで調べてもこの屋台街についての記事が日本語では出てこなかったので、正確な名前が分からないのだが、テーブルや椅子が比較的新しいので、もしかしたら新しい屋台街なのか、どこからか移動してきた屋台街なのかもしれない。
街路灯には電源ボックスが設置されていて、ここから屋台に向かって電源コードが延びている。これを見る限り、屋台の設置は公的に認められ、サポートされているようである。
年々減っていく日本の屋台
日本では、路上で継続的に営業する屋台の数が減っている。第二次世界大戦後の混乱期から、不法占拠あるいは当局の黙認という曖昧な状態で営業していたものの、警察や議会、周辺住民による問題提起によって撤去を命じられたり、一代限りの許可制になるなどして、継続的な営業認められなくなる例が多い。中には福岡や高知のように、新たな制度を作って合法的・継続的に運営される屋台街もあるが、街から徐々にその姿を消していっているのが現状だ。こうした流れは日本に限らずフィリピンやタイなどでも起きているようで、2019-2020年に東京上野のアメ横で作品を作ったときに、日本に住むフィリピン出身の人から、マニラ中心部の有名な屋台街がここ数年で撤去されたという話を聞いた。
韓国のプロデューサーにその話をしたところ「ソウルから屋台が撤去されることはない。もし撤去されるという話になったら私がすぐ政府に抗議するし、たぶんデモが起きるだろうから撤去できない。」と言っていた。
ちなみに、先日遭遇したデモについても彼女に話をしたが、その時の反応としては「デモはその時の政治と関係している、今デモをしている人たちは前政権(文在寅政権)とは仲が良かったが、現在の政権とは政策が合わないから彼らのデモが増えている。私は今の政治に関わろうとは思わない。」と言っていた。
そんな彼女ですら、屋台が撤去されることになったら政府に抗議する、ということなのだから、ソウル市民にとって屋台はすっかり「市民権」を得ているということなのだろう。市民が反対すれば市の政策は変わる、というマインドセットが垣間見えたことも印象的だった。たとえデモに参加しなくても、前の記事で書いたような、国やソウル市に対する「オーナーシップ」を持っているということなんじゃないかと感じた。
夜の清渓川に集う市民たち
本当は屋台で少し飲み食いをしたかったのだが、1人で入れる雰囲気ではなかったので、ホテルに戻ることにした。清渓川(청계천)にかかる橋を渡りながら川を見下ろすと、何やらたくさんの人が川沿いに座っている。すぐ近くに階段があったので、清渓川の川沿いを歩いて帰ることにした。
韓国のプロデューサーの話によると、この川は昔からあったが一度は暗渠となり、李明博元大統領がソウル市長だった当時、道路を撤去して川を再生する政策を打ち出したことで、2004年に清渓川が復元され、市民の憩いの場になったという。この写真は土曜の夜9時くらいに撮影した。ソウルのみなさん、少し涼しくなった夜を楽しんでいるようだ。遅い時間なのに子どもが多かったのも印象的だった。
夜の川沿いにたくさんの人が集まってトラブルにならないのか
僕は大学の途中まで建築のゼミに入っていたこともあって、川沿いを親水空間としてリノベーションし、市民がくつろげるスペースにしようといった計画段階のプランをよく見ていた。実際にそのようにして川沿いを活用している自治体もあるのだが、実際に行ってみると禁止行為を掲げる看板が何本も立っていて、あまり歓迎されていない雰囲気だったりする。特に夜の時間帯に人が集まると、飲酒して騒ぐ人がトラブルを起こしたり、ゴミが散らかって問題になったり、近隣住民から治安上の懸念がクレームされたりして、結果として立て看板が立つことになるようだ。結果として、誰もいない静かな公園が一番いい、という状態になり、利用しにくい場所になってしまうことがある。
あれだけの人が夜に集まってトラブルや苦情が発生しないのか、と韓国のプロデューサーに質問したところ、それは時々起きるかもしれないけれど、場所に問題があるわけではなくて問題を起こす人が悪いのだから、それにしっかりと対処して場所自体は残していけばいい、トラブルが起きるからといって何かを止める必要はない、という答えが返ってきた。
川沿いを歩いていると賑やかな音楽が聞こえてきた。橋の上ではライブ演奏が行われ、男女のボーカルと楽器の4人組が軽快なポップスや少しメローなバラードを演奏していた。この時点で夜の10時半。人は少しずつ少なくなってきたが、土曜日のソウルはまだまだ眠らないつもりのようだ。
公共空間は、少数意見に配慮する
さて、日本の公共空間では、さまざまな禁止事項が書かれた看板が至るところに掲示され、ふるまいが制約されていることが多い。特に分かりやすいのが公園で、喫煙禁止や犬の放し飼い禁止などに加えて、キャッチボール禁止、大声禁止、集会の禁止など、様々な禁止事項が書かれている。僕が小さい頃は、公園でよくキャッチボールしていたが、この記事(公園でのキャッチボールやサッカーは禁止へ)によれば、日本公園緑地協会が2003年に調査したところ52%の公園がキャッチボール禁止であり、近年では禁止の公園がさらに増えているという。
公園でキャッチボールができなくなったことを嘆く人も多いが、その一方で、周囲に響き渡るボールの音がうるさい、ボールが家の方まで飛んできて危ないと言った周辺住民の声もあり、そうした声を調整した結果、キャッチボールできる公園を限定する、という形になっているようである。
他にも、小学校の運動会でスピーカーや音や生徒の声が大きいという苦情がで周辺住民から寄せられて、音量を下げる対応をしたり、大晦日の除夜の鐘が周辺住民の苦情によって打てなくなった、というようなニュースもある。毎年恒例の行事だからいいじゃないか、という意見も多いようだが、たとえ昼間の音出しであっても「夜間勤務で昼は寝ているので音が大きいと寝れない、そうした人がいることも知って欲しい」といった声もある。運動会や除夜の鐘撞は、これまでも地域行事として慣習的に行われてきたことだが、現在の日本では結果として、少数の声に配慮して禁止や自粛といった対応がされる場合が多いだろう。
こうした経緯から、日本の公共空間では禁止事項が増えているようだ。ソウルの公共空間といっても、屋台と川沿いの公共空間でのふるまいしかまだ見ていないけれど、周囲の苦情を気にする日本の状況と比べるとソウルは「なんだか自由にやっているなあ」という感じがする。屋台が堂々と営業できているのは「屋台はやっぱり必要でしょう」という価値観がソウル市民のあいだで共有されている、社会的コンセンサスが取れているということなのかもしれない。僕が前の記事で書いたような「東京の通勤ラッシュで車内が混雑していたら前の人を背中でぐいっと押しながら乗っても失礼に当たらない」というのもまた、一種の社会的コンセンサスである。
ふるまいは、社会的なコンセンサスを体現している
僕が今回、ソウルが東京より自由だという印象を受けたのは、実際に自由かどうかということよりも価値観の問題、つまり僕自身が「路地の屋台でご飯を食べるっていいな」とか「夜の川沿いで自由に座ってくつろげるっていいな」と考えていることが、東京だと社会的コンセンサスがなかなか取りにくいが、ソウルでは合意が取りやすいということだろう。そして、それぞれの国や都市で暮らす人たちのそうしたふるまいの背後には、そのような暗黙的な合意があると考えた方が良いだろう。屋台を例に出すと、僕は屋台が大好きだし東京には屋台好きもそれなりにいると思うけど、それでも東京の屋台営業が縮小されてしまうのは「屋台は不衛生である」という認識や「屋台に限らず飲食店で食中毒が発生しないよう保健所が指導すべき」といった意見も反映されているのだろう。
僕は東京という大都会が息苦しく感じるときがある。それは、東京という大都市には多様な価値観を持つ人たちが住んでいるけれど、あまり寛容な社会ではなくて、誰かにとって楽しいことは誰かにとっての不幸せになっていて、他人の迷惑にならないよう気をつけてふるまわなければいけない、と感じるからだ。だからソウルの屋台や川沿いの賑わいを見て、公共空間で節度を保ちつつ自由にふるまう人たちを見ると、羨ましく感じてしまう。
しかし社会とは、それを構成するメンバーが少しずつ折り合いながら形作られていっているわけだから、きっとソウルにも別の息苦しさがあり、他の都市にもそれぞれあるのだろう。特に近年では、価値観やライフスタイルが多様になってきているから、民主主義の制度で社会のあり方を決めること自体が難しくなってきているのかもしれない。
答えはないけど、知ることからはじめる
「多様性を大切にしよう」というようなスローガンを見るたびに僕は思う。今の社会には多様な考え方を持っている人たちがたくさんいて、その言葉通りにすると最終的には「多様性を大切にしよう」ということですら、様々な考え方の中で合意が取れないような状況に行き着く。「自分らしく生きる」ということも同じだ。自分らしさを大切にしたところで、自分と異なる意見を持つ人が多ければ社会の中でのコンセンサスが取れず、うまくふるまえない。社会との間でうまく折り合いがつけられればいいが、そうでなければ社会で生きることが窮屈になる。自分らしく生きるなんてそもそも詭弁だ。僕たちは歴史的な流れで決まった「慣習」に従って生きている。前近代的な慣習は廃れたというけれど現代社会にも規範があり、ほとんどの規範は自分が生まれた時に既に決まっていて、物心がつく前にそれが刷り込まれ、変えることは本当に難しい。そして自分が変えたと感じたとしてもそのほとんどは時代の趨勢に従っただけで、自分がやらなくても他の誰かがやったことなのかもしれない。エジソンが電気を発明しなくても、科学革命・産業革命の時代の流れを踏まえれば、きっと別の誰かが電気を発見したのだろう。そうやって歴史や社会の成り立ちを知れば知るほど「自分ひとりで何をやっても仕方ないじゃん!」という無力感を感じることもある。
僕がこの The Behaviour Project を始めた動機は、人の「ふるまい」の背後にどんな歴史や社会的制約があるか知りたいということだった。どんな社会にしたいか、自分はどうふるまいたいか、そこに答えはないし、変えられるかどうかも分からない。けれどまず自分が日々の社会活動の中でどんなふるまいをしていて、なぜその動作をするのか、まずはそれを知ることで、その先が見えてくるかも知れないと思っている。「現状を何も変えられないなら知っても仕方ないじゃん!」という考え方もあるだろうが、人は知ることで行動を変えるということを僕は何度も目にしてきた。だから、どう変えたいかよりも、どう知るか、ということに僕は興味がある。何かを知ったその先に何があるか、僕は知らない。だからこの記事をどう締めくくったらいいか悩んで、何度か書き直して時間がかかってしまって、結局どう締め括ったらいいか分からないのだけれど、暗黙のうちに合意されている社会的なコンセンサス、自分たちのふるまいを制御する仕組みを知ることで、公共空間が少しずつ変化していく可能性はあると思う。
記事のタイトルとした「公共空間が誰のものか」ということ、そして公共空間はどうなっていくべきか、それは分からないけれど、もうしばらく、背景を知るということのために、時間を使っていきたいと考えている。
中澤大輔
芸術家、デザイナー、物語活動家
The Behaviour Project の記事一覧(6件)