日本の国家安全保障2000年代 166
#自分で選んでよかったこと
第4章 日本の危機
第1節 日本の危機 アメリカ
2000年代 5
ニクソン大統領
の
スピーチライター
をつとめ、
1992年
の
共和党大統領予備選挙
の
ニュー・ハンプシャー州予備選挙
で
トップ
となり、
その後
は
政治評論家、
ポリティカル・ディスク・ジョッキー
などを
正業
としている
アイルランド系カトリック教徒
の
パット・ブキャナン氏
は、
自らを
「ネオ・アイソレーショニスト」
と名乗る
アイソレーショニスト(鎖国主義者)
である。
宮沢喜一・内閣総理大臣
は
共和党大統領予備選挙に出馬した
パット・ブキャナン氏
を
「泡沫の人」
と
論評したが、
直後に
パット・ブキャナン氏
は
重要州、
重要予備選挙州
の
ニュー・ハンプシャー州予備選挙でトップとなり、
現役
の
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領
の
選挙戦略
に
大打撃を与えた。
パット・ブキャナン氏
は
「アメリカ・ファースト」、
「バイ・アメリカン」
を訴え、
アメリカ企業製品の購入、
アメリカ国内での生産、
輸入製品への高関税付加
をもとめる
経済・通商の保護主義者
である。
パット・ブキャナン氏
は
外交・防衛政策
では
海外駐留のアメリカ合衆国軍の全面撤退
と、
大幅な軍縮政策
を
主張している。
コリン・パウエル氏
は
ニュー・ヨーク市立大学に入学、
ROTC予備士官訓練制度
により
陸軍士官
となり
ベトナム戦争に従軍した。
その後、
ロナルド・レーガン大統領政権
で
国家安全保障担当大統領補佐官
となり、
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領政権
で
統合参謀本部議長
に
就任した。
ジョージ・W・ブッシュ政権
では
国務長官
となり
東アジアに対しても影響力を発揮した。
ジョージ・W・ブッシュ大統領政権
は、
ディック・チェイニー副大統領、
コリン・パウエル国務長官、
ドナルド・ラムズフェルド国防長官、
リチャード・アーミテージ国務副長官、
ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官、
トーケル・パターソン国家安全保障会議アジア上級部長、
ジョン・ボルトン国連大使
の助言で、
中国
を
「戦略的パートナー」
から
「戦略的競争相手」
に変更し、
中国に対する
警戒感
を高めた。
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