【文化財紹介】大阪市の莫大小(メリヤス)会館
【2022年6月1日/大阪歴史倶楽部】
大阪歴史倶楽部です。
大阪市福島区にあります莫大小会館をご紹介いたします。
莫大小会館
大阪市福島区福島3丁目にあります莫大小会館は、1929(昭和4)年に「大阪輸出莫大小工業組合」のビルとして建てられました。鉄筋コンクリート造りで、もとは地上3階、地下1階建て。設計は建築家の宗兵蔵(宗建築設計事務所)さんです。
外観の写真
以下は莫大小会館の現状での外観の写真です(2022年5月 大阪歴史倶楽部 撮影)。
莫大小会館は、完成から8年後の1937(昭和12)年に増築が行われました。しかし1945(昭和20)年前後には上記の大阪輸出莫大小工業組合が解散し、その後はテナントビルとして貸し出されて現在に至ります。
また、正確な時期は分からなかったのですが(おそらく戦後だと思いますが)、さらに4階部分が増築されたり、外壁もきれいに直されたりしています。
宗兵蔵さんについて
宗兵蔵さんは、1864年に江戸(東京)に生まれ、1890(明治23)年に東京帝国大学工科大学造家学科(現在の東京大学工学部建築学科)を卒業しました。
彼が手掛けた現存する他の大阪市内の著名な建築としては、
などがあります。
衝撃のニュース
2022年5月に大阪歴史倶楽部が入手した情報によりますと(すでにインターネット上でも流布しはじめていますが)、この莫大小会館は今年(2022年)の夏に閉館となる予定だそうです[※]。その後に解体されるかもしれないという話もあるようです。閉館の理由は、老朽化に加えて耐震性にも問題があるからだということです。
※一部の外部の情報では2022年7月31日閉館と言われていますが、莫大小会館に入居されているスタジオさんは2022年6月30日閉館と広報されています。また同じく入居されているギャラリーさんは6月30日で閉店して7月1日から移転準備に入ると広報されています。さらに同じく入居されている手芸店はすでに休業されています。何れにしても今年(2022年)夏には閉館するという事のようです。
莫大小会館の歴史まとめ
莫大小会館のこれまでの歴史を年表形式で簡単にまとめてみますと、以下のようになります。
増築の状況を図示しますと、
という状況です。このように増築を繰り返しましたので、内部の階段の配置などは迷路のようになっています。
内部の写真
以下は莫大小会館の現状での内部の一部の写真です(2022年5月 大阪歴史倶楽部 撮影)。
※建物内部の写真は許可を得て撮影いたしました。
メリヤス産業について
メリヤスとは、いまで言う「ニット」のことです。戦前の大阪市とくに現在の福島区周辺(旧・北区の一部、旧・西淀川区の一部、旧・此花区の一部)などは、このメリヤス産業が盛んだったようです。
参考のために、手元にあります1926(大正15)年の『大阪市商工名鑑 ―大正15年度用―』を確認してみましたところ、これには当時の大阪市内の事業者155業種(約1万3,000事業者)が掲載されているのですが、このうちメリヤスを扱う1業種だけで367事業者が掲載されています。
莫大小会館への行き方
莫大小会館へのアクセスには、おもに3つのルートがあります。
(1)大阪メトロ四つ橋線「肥後橋」駅から肥後橋とそれに続く渡辺橋とを渡って堂島川沿いに南西へ約1.3km(徒歩約25分)のルート。
(2)JR大阪環状線「福島」駅もしくはJR東西線「新福島」駅から南西へ約800m(徒歩約15分)のルート。
(3)京阪電鉄「中之島」駅から堂島大橋を渡って北東へ約300m(徒歩約5分)のルート。
オスゝメのルート
このうち大阪歴史倶楽部がオススメしたいのは(もっとも距離がありますが)、(1)の大阪メトロ四つ橋線「肥後橋」駅から堂島川沿いを歩くルートです。キラキラ光る堂島川の川面を見ながら、川沿いの遊歩道を歩くのはとても気持ちが良いと思います。
またこのルートですとすぐ近く(数百メートル)の範囲内に、1930(昭和5)年に建てられた「山内ビル」(国の登録有形文化財)や、同じく1930(昭和5)年に建てられた「中央電気倶楽部」などがあります。
莫大小会館の周辺地図
おわりに
1929(昭和4)年に「大阪輸出莫大小工業組合」のビルとして建てられたこの莫大小会館は、今年(2022年)の夏に、その93年の歴史に幕を閉じます。
思えば戦前の「糸へん」の産業の一角として栄えたメリヤス産業を象徴するようなこの莫大小会館も、時代の流れとともに我が国の産業構造の変化に伴い、その機能を失いました。それでも戦後はテナントビルとして今日まで生き残ってきたのは、関係者の方々や街の人たちに大切に守られてきたからだろうと思います。
しかし老朽化には勝てず、また耐震性にも問題があるとなると閉館も致し方ないことだと思います。現状を見ると、歴史的な評価や文化財としての価値については良い状態とは言えないと思いますが、戦争を乗り越え、あの猛烈な大阪大空襲からも免れて90年以上もよく残ったものだと思います。
ここに、そのかつての栄光の時代を讃え、微力ながらも記録と記憶に残したいと思います。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
【参考にしたおもな文献】
『大阪市商工名鑑 ―大正15年度用―』1926年
『広辞苑』第四版 岩波書店 1991年
(『大阪歴史倶楽部』第1巻 第3号 通巻3号 2022年6月1日)
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