【文化財紹介】薬の街のレトロビル ~武田道修町ビル~
【2024年6月1日/大阪歴史倶楽部】
大阪歴史倶楽部です。今月は大阪市中央区道修町にあります、1928(昭和3)年に建てられたレトロなビル「武田道修町ビル」(旧武田薬品工業本社ビル)をご紹介いたします。
武田道修町ビル
今回ご紹介する武田道修町ビルは、1928(昭和3)年に武田薬品工業本社ビルとして建てられました。
設計者は辰野金吾氏の弟子で、京都府庁舎旧本館などを設計し、1927(昭和2)年に辰野金吾氏の盟友であり関西建築界の重鎮であった片岡安氏の率いる片岡設計事務所へ入所した松室重光氏です。
この建物は、当初は鉄筋コンクリート造り地上3階、地下1階建でしたが、2013(平成25)年に新館の建築および4階・5階部分の増築と耐震補強工事が行われ、現在の姿となりました。
この武田道修町ビルは「生きた建築ミュージアム大阪セレクション」に選定されています。
外観の写真
以下は武田道修町ビルの外観の写真です(2024年5月 大阪歴史倶楽部 撮影)。
建物の特徴
武田道修町ビルは、鉄筋コンクリート造り地上3階、地下1階建てで、北面部分を玄関としています。この玄関より西側壁面下部には古代ギリシア風の装飾が施されています。
建物外壁全面には褐色(レンガ色)のタイルが貼られています。当時、ビルの外壁には黄褐色のスクラッチタイルを貼ることが全国的に流行していましたが、この建物ではあえてスクラッチタイルを用いずにシンプルなタイルを使用したところが特徴的だといえます。
また、建物全体もシンプルで重厚かつ古典的な印象を与えています。建物北西角部分は小さなアール(曲面)を用いていて当時の流行を少し取り入れたようです。
武田道修町ビルへの行き方
武田道修町ビルへは、大阪メトロ堺筋線または京阪電車の「北浜」駅6号出口から南西へ約250m(徒歩約3分)です。
行き方の目安は簡単です。「北浜」駅6号出口を出て、堺筋沿いに南へ100mほど行くと「道修町1」という交差点があります。
その「道修町1」交差点を右折し、真っ直ぐ西へ150mほど行くと左側(南側)に武田道修町ビルが見えて参ります。
おわりに
今回ご紹介した武田道修町ビルは、薬の街である大阪船場の道修町の象徴といえる近代建築です。
それは、かつて大阪市が繁栄の絶頂にあった「大大阪時代」(大正時代後半から昭和初期)の雰囲気をいまに伝えている貴重な存在となっています。
現在は、公益財団法人武田科学振興財団さんがこの建物を管理し「杏雨書屋」という医学系の研究者向けの図書資料館となっています。
医学書を中心として医学史、博物学、蘭学、地誌、科学技術史、漢籍など幅広い分野の貴重な歴史的資料が保存・管理されており、一般向けには常設展のほか毎年春・秋には特別展も催されています。
なお、この武田道修町ビルの建物を見学したり写真や動画などを撮影されるときには、所有者さんや管理者さんや周辺の方々に不快感を与えたりご迷惑にならないよう充分なご配慮をお願いいたします。
また、許可なく他の人の敷地内へは入ったりしないようお願いいたします。とくに建物内部を撮影される際にはセキュリティの関係もありますので、必ず所有者さんや管理者さんなどの許可を得てくださいますようお願いいたします。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
【参考サイト】
公益財団法人武田科学振興財団さんの「杏雨書屋」公式サイト
【参考にした資料】
◎高岡伸一 他『大大阪モダン建築』青幻社 2007年
◎高岡伸一「武田道修町ビル」大阪市パンフレット
◎大月敏雄「片岡安『現代都市之研究』」『家とまちなみ』60(財)住宅生産振興財団 2009年
◎「武田道修町ビル」『船場navi』一般社団法人船場倶楽部 2024年版(WEB版)
◎「片岡安」『大阪文化財ナビ』大阪府建築士会 2024年版(WEB版)
◎「道修町通」『船場navi』一般社団法人船場倶楽部 2024年版(WEB版)
◎「薬のまち道修町を歩こう! 道修町ミュージアムストリート」『大阪中心』大阪市中央区 2024年(WEB版)
(『大阪歴史倶楽部』第3巻 第6号 通巻26号 2024年6月1日)
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※次号は2024年7月1日に投稿する予定です。