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大門寺ナナコの場合 【スピンオフ/すっぱいチェリーたち🍒】

風のない昼下がりの教室は、全体が淡く白い光に包まれている。
教師の声の他に聞こえてくるのは、生徒が時折り咳をしたり、鉛筆をノートに走らせたりする音ぐらいだ。


「はい、じゃあ次73頁、五行目から。‥‥さん。読んで」
「ナナコちゃん、当たってるで」
ん?ナナコチャン?

「ナナコちゃん、ナナちゃん?大丈夫?」
心配そうな男子の声がした。
「先生っ、ナナコちゃ‥、大門寺さんが、何だかしんどそうですっ」
視界がぼんやりとしている。
「大門寺さん?」
ピントが定まってきた。と同時に、状況もつかめてきた。
私は、大門寺ナナコは今、心配されている。
何故?
あぁ、分かってきた。今は授業中で、私は‥


「大丈夫っ?」
「あ、だいじょ‥」
大丈夫だと最後まで言う前に、「先生っ、なんかしんどそうやから、保健室、行ったほうがいいと思いますっ」と先ほどの男子クラスメイトが遮った。
「どうする?大門寺さん。保健室行く?」
「しんどそうやから、ぼくついて行こか!」
「あ、ありがとう。一人で大丈夫」
さすがにそれは辞退した。
ぼんやりした頭のままで立ち上がり、教室を出る。ドアを閉める時、心配そうに見送ってくれる級友たちの顔が見えた。このクラスは本当に皆、いい人ばっかりだ。

宇利くんが、本当に一人で大丈夫?という顔でこちらを見ている。
宇利くん、保健室に行くことを勧めてくれた彼は、いつも誰に対しても優しく、そしていつも一生懸命な男子生徒だ。
そんな彼に申し訳なくなった。ごめん‥全然、心配しないで大丈夫。だって私は‥
先生だけが、こっちを見てにっこりした。
「ゆっくり休みなさいね」
さすが、垣野先生はお見通しのようだ。

私は、ただの居眠りをしてたってことを。



「あっはっはっは、ほんなら熱も測らんでいいな、ええよええよ、今誰も来てないから。ベッド使ってゆっくり寝ときー」
正直に事情を説明すると、保健室の先生は豪快に笑って言った。
「その代わり、他の生徒来たら声かけるわな。まぁ来るとしたら油木先生ぐらいやろけど。こっちで喋ってても気にならんのやったら、そのまま寝とったらいいからねー」
どうやら、担任の先生もここの常連さんらしい。
私はこれまであまり保健室を利用したことはなかった。でも、保健の茶保先生も、担任の油木先生も、信用できる先生だと思っている。

生徒に人気があるようでも、裏表のある教師なんていくらでもいる。ちょっとヤンチャで派手な生徒のことは仇名で呼んで仲良くし、そうでない子のことは名前さえ覚えていなかったり、優秀な生徒や自分のクラブの部員ばかりを授業で当てて褒めそやすような教師は。
でも、そういうことって実は生徒からはよく見えている。気づかれていないと思っているのは大人だけで、大部分の生徒は文句は言わずにただ、ふーんこの人はそういう人なんだって思うだけだ。

私はたまたま、この名前のおかげなのか家庭環境なのか何なんだか、大人からも級友からも覚えてもらっていることが多かったけど、
でも、下の名前で呼んでもらうことって、今まであんまりなかったな。
教室に戻ったら、宇利くんにもちゃんと理由を言って謝ろう。


実は、昨日、前々からずっと楽しみにしていた作家の長編完全書き下ろしが出たので、ほぼほぼ徹夜で読み耽ってしまったのだ。
喜野・Conyコニー・仁志。
控えめに言って最高だった。
どこにでもある風景なのに、彼の手にかかると途端にドラマティックでファンタジックになってしまう幕開け。全編通して、常に恋をしている主人公。文学的な表現に引き込まれ、気がつけば読者まで主人公とともにその世界で冒険し、恋をしている気持ちになってしまう。
そして最後はお決まりのセリフ‥
〝What are you talking about?”

尊すぎる。何であんな物語が書けてしまえるのだろう。何であんな風に感情を描写できるんだろう。
レターを出して、この想いを綴ってみようか。いや、喜野先生は大人気作家だし、きっとお忙しくて、ファンレターだって山のように受け取っているに違いない。そんなに大活躍の人なのに、書くということに常に真摯で謙虚なお人だ。
いつだったか、読者さんたちの書いた膨大な記事全てにお返事を返していた雑誌を読んだことがある。すごい人って、こういう人のことを言うのだろう。そんな人だから賞にも選ばれるのだ。そんな方に私なんかがレターだなんて。書いてもないのにドキドキしてしまう。
恍惚のうちに一冊読み切って、布団に入っても眠れなくて、そんなことをあれこれ妄想していたら空が白んでくるのが見えた。
その日の午前中は何とか乗り切ったものの、午後イチの古文の授業は、徹夜明けの私には心地良過ぎた。

「ごめん、ちょっとカーテンひいとくわな。あれ、寝とかんでいいの?」
「あ、大丈夫です」
「それにしても、寝られへんくて朝まで起きてたって、どうしたん。悩みごとでもあるん」
「あ、いや、別に‥」
「恋の悩みやったら、いつでも相談のるで♪」
茶保先生の声は頼もしい。きっとほんとに、親身になって聞いてくれるんだろう。自身の体験を交えながら、強気のアドバイスもしてくれそうな気がする。

でも‥
言えないなぁ‥
私が好きなのは、
。。。

いや、ちがうな、
きっと私は、まだ恋なんてしていない。
バンザーイ君に会えてよかった、って思えるような人には、まだ出会っていないんだと思う。


高校生なんだから、本当はもっとワクワクキュンキュンした日々を送ってもいいのかも知れない。
今をときめくJKらしく、流行りのソックスを履いて、新発売のリップの話をしたり、つい最近アメリカからやって来たという転入生に誰が最初に話しかけるか?みたいなことで盛り上がったり。
きっとうちのクラスなら、そのリップは保湿に優れてるかどうかとか、転入生は実は日本語でお笑いもいけるらしいとか、そんなことを、はとこちゃんや彩子ちゃんたちが惜しみなく教えてくれるんだろうと思う。
この間、ピアノの楽譜を貸してくれた風歌ちゃんも、最近歌が上手くてかっこいいアーティストを見つけたのだと言って嬉しそうに教えてくれた。恋バナだってきっと皆持ってるだろうし、聞いたら楽しいだろうと思う。
いつか喜野先生の書いていた、僕は一日に三回恋をしている、そんなことを実は皆、当たり前にしているのかも知れない。
皆は一体、どれだけ私の知らない世界を持っているのだろう、きっと想像した以上に、騒がしい未来が私を待って、あれ、違うか。ともかく‥

‥眠気はどこかへ行ってしまった。


次の時間は学活だ。やっぱり、チャイムが鳴る前にあの教室へ戻ろう。賑やかで、ご機嫌で、個性豊かなあの人たちがいる場所へ。
私も、皆のこと、下の名前で呼んでみようかな。
唐突に、ふとそんなことを思った。


「先生、私、教室戻ります」
「あれ、もうええん?チャイム鳴るまで、ゆっくりしてったらええのに」
「ううん、皆心配してたら悪いんで。ありがとうございました」
「またいつでも来ていいからね」
茶保先生に頭を下げ、保健室を出た。
今日の日差しは、いつもより明るく、そして暖かい。
足取り軽く、廊下を歩き、教室のドアを開ける。

「大門寺さん、もういいの?」
「ナナちゃ、‥大門寺さん、大丈夫っ?」
「いけるの?」
「無理したらだめだよー」
あちこちから声をかけられる。本当にいい人たち。
サボタージュはただの睡眠不足だったことを、悪いわね、ありがとね。これからもよろしくね、と心の中で思いながら、「ありがとう、大丈夫」とだけ言って、笑って、一歩前に踏み出した。

その瞬間、私は段差にけつまずき、派手に転んだ。


「だっ、だだだ大丈夫っ?」
あー、目から火花が散るって、こういうことを言うんだなぁ‥
目からだけでなくて、鼻から腕から膝から、あちこちが何かなっている気がする‥

「大門寺さん!」
「大丈夫?!」
「大門寺さんいける?!」
「大門寺さん大丈夫?!」
「だ、だい‥」
「だいじょうぶっ?」
「だいもんじじゃなくて、ナナコで大丈夫」
「え、なんの話?」
おでこをさすりながら、私は冷静に、「大門寺」という名は、とっさの時に呼ぶには長すぎる、と思った。
「下の名前で呼んでね」
「あの、は、はな‥」
「ナナコだよ」
「ナナコちゃん、はな、鼻血出てる」


その後、再び訪れた保健室で、茶保先生にも、心配して様子を見に来た担任の油木先生にも、豪快に笑われたのは、言うまでもなかった。




※参考曲・作中歌詞引用

『バンザイ』ウルフルズ
『チェリー』スピッツ
『これが私の生きる道』パフィ

すべて1996年リリース



このお話はフィクションです


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