ヒロシマ、わが罪と罰 〜 「良心の立入禁止区域」と、広島への原爆投下時の気象観測機パイロットだったクロード・イーザリー
タイトル上に掲げた写真は、1961年にドイツ(当時はもちろん西ドイツ)で "Off Limits für das Gewissen" (「良心の立入禁止区域」といった意味合いになると思います) というタイトルで刊行され、翌1962年にアメリカ人読者向けに、 "Burning Conscience: The Case of the Hiroshima Pilot, Claude Eatherly, told in his Letters to Günther Anders, with a postscript for American readers by Anders" というタイトルで英語翻訳版として刊行された本の、その表紙です。
この表紙を見ても分かるように、序文をイギリスの哲学者、論理学者、数学者であり、かつ社会批評家、政治活動家でもあった、そしてその 10年余前の1950年にノーベル文学賞を受賞していた(今から 4年前にはボブ・ディランという人も受賞しているアレ *1)バートランド・ラッセル (Bertrand Russell, May 18, 1872 – February 2, 1970) が書いており、それに続く前書きを、ドイツ生まれのユダヤ系オーストリア人で作家兼ジャーナリストであったロベルト・ユンク (Robert Jungk, May 11, 1913 – July 14, 1994) が書いています。
著者であり、往復書簡の一方の担い手であるギュンター・アンデルス (Günther Anders, July 12, 1902 – December 17, 1992) は、友人の全てをナチスに殺された悲惨な過去を持つユダヤ系ドイツ人(当時はドイツ支配下の現在のポーランド・ヴロツワフで生まれ、オーストリア・ウィーンで死去)の哲学者で、かつジャーナリスト、随筆家、詩人でもあった人、そして、クロード・イーザリー (Claude Eatherly, October 2, 1918 – July 1, 1978) はアメリカ人で、第二次世界大戦中にアメリカ合州国空軍の少佐を務め、1945年8月6日、広島に原爆を落としたエノラ・ゲイを中心とする戦闘機の一団において、気象確認を担当し、広島市街地に原爆を投下する作戦において適切な天候かどうかをチェックしてエノラ・ゲイに「投下可能」を連絡するという重要な(重大な)任務を果たした、気象観測機のパイロットだった人です。
クロード・イーザリー
クロード・イーザリーは、以下に掲載する、15年前に私が彼について初めて知った時に書いた日記の中で記している通り、当時観た NHK の番組によれば、「その後、自分がコミットした巨大な殺戮に悩み、個人が果たすべき良心を社会に押し付けることはできないという考えを世に明らかにしたこと、そのことで」「周囲から孤立し、(驚くべきことに)精神病院に入れられてしまった」、そういう人です。
(広島への原爆投下に参加した人々の中にイーザリーのように罪悪感や良心の呵責を公言した人は他におらず、ネット上で調べた限りでは、その時の同僚からは彼の罪の意識に疑問を投げかける声も上がったようです。また、以下に掲載する15年前の私の日記にあるように、当時観た番組から私が理解したところによれば、イーザリーは、「アメリカ国家とアメリカ社会から英雄視されるが、当のイーザリー自身は巨大な殺戮行為の影に怯え、自らの罪に悩み苦しむ。しかし、罪を意識するにもかかわらず、国家や社会は彼に罰を与えない。イーザリーは、社会が自らに罰を与えるべく、郵便局を襲って強盗するという挙にまで出る」というような、周囲からは奇人視されるような行為に出た人ですが、戦争当時に彼が配属されていた部隊における元同僚の中には、そんな彼のことを、原爆投下に関与したことで罪の意識に苛まれ精神に異常を来したというのは、後に強盗の罪で逮捕された際に精神異常を理由に罪から逃れようとしただけのことだと非難する人までいることを、ここに念のため、記しておきます。)
ところで、先に掲げた英語版の本のタイトル "Burning Conscience" は、日本語にするなら、どう訳すべきでしょうか。"Conscience" はドイツ語の原書のタイトルにある "Gewissen" と同じ「良心」ということになりますが、"Burning" はまぁ普通に訳すならば、「燃えている」とか「煮えたぎった」とか、あるいは「(痛みが)ヒリヒリする」といったような日本語になります。良心の呵責、罪悪感による心の痛みで「ヒリヒリするように、火照るように、そんふうに燃えたぎっている良心」といった意味合いでしょうか。日本語に訳すのはやや難しい感じがします。
この本はつまり、以下に掲載する15年前の日記の中で言及している、そして残念ながら今は廃刊になってしまっている日本語翻訳版「ヒロシマわが罪と罰 - 原爆パイロットの苦悩の手紙」のドイツ語による原書の英語翻訳版に当たるものと思われます。私は当時の日記の中で、原書のタイトルは「良心の立入禁止区域」というらしいと書いていますが、それはつまり、この英語版の前年に刊行された元々のドイツ語の原書の方のタイトルということになります。
なお、英語版の本は、これは表紙だけでなく、本の中身自体がネット上にあります。本投稿の後段において、リンクを貼っておきます。
クロード・イーザリーのこと
以下は、私の15年前の日記です。2005年8月15日に、当時頻繁に更新していた私のホームページ上の「日記」コーナーにアップしたものですが、同日1本目の日記については本日のこの note 投稿の内容に関わる部分だけを転載し、2本目の日記については全文掲載(転載)します。
2005年 8月15日(月) 帰省の旅
(前略) ...
田舎の家で2泊3日過ごし、昨日14日にこっちに戻った。途中、東京は神田、神保町の書店街を歩き、『ヒロシマわが罪と罰 -原爆パイロットの苦悩の手紙』(ヒロシマ原爆の戦闘機群のパイロットであるクロード・イーザリーと哲学者ギュンター・アンダースの往復書簡)(転載するに当たっての注です:ドイツ語読みで「アンデルス」と表記すべきだったと思います)を探す。地元の書店やアマゾンで既に品切れ・在庫切れを知っていたものの、神田の書店街なら何とかと思い、探す。しかしナカナカみつからず、とりあえず断念。書店街の中に天婦羅屋をみつけ、夕食食べて上野に出て南東北(?)の我が家に向かった。
帰省の旅は、往路、復路、多くの知らない人とすれ違います。アピールのバッジとかTシャツとかはこういう時こそ使わにゃ。少しくらいは効果ある、時もある。というか、こういうの着る人がまぁまぁ増えればそれなりの効果はある。大体、そのために作られてるし、うーん、でもこれを買った時のお金も活動に使われたりすると思えばアピール効果まで主張しないとしても意味ありか。まぁとにかく折角なんだ、僕や妻はよく着てるのよ。
僕と妻はアムネスティのTシャツ(妻のはアムネスティのシンボルろうそくの炎のマーク、僕のはイマジン)と We are all Palestinian のTシャツを往路、復路で着ていたのでした。
2005年 8月15日(月) クロード・イーザリーのこと
・・・で、その本が手に入らない (注:この部分、ホームページ上では同日1本目の日記の、上に掲げた箇所にリンクを貼っていました) クロード・イーザリーのことを書いておきたい。
クロード・イーザリーのことは、今月、8月 7日放映のNHKの番組で知った。あまりじっくり観れなかったが貴重な情報を得た。地上波だったかBSだったか、兎に角たしかNHKだったはず。ついでに言うとナンヤカヤでNHKに文句はあるが、しかしこういう貴重な番組や一方で民放をほとんど占拠する劣悪番組を考えると、やはり時に視聴率「のみ」ではなさそうなNHK的在り方も貴重には思うのであります。・・・はて、主題はNHKのことなんかじゃない。
その番組で知ったクロード・イーザリーという人のこと。その数奇な後半生。
広島に原爆を落とした戦闘機エノラ・ゲイのパイロットが「自分は任務を果たしたまで。戦争を早く終わらせることができてよかった」と言っていること、今年だっけ去年だっけ、アメリカのスミソニアンの博物館がエノラ・ゲイと共に広島の被害を展示しようとしたら、アメリカの退役軍人会から猛反発にあって広島の被害は一切展示できなかった、結果その博物館の館長は辞任した、ということ。番組で紹介された、この辺りまでは、僕も以前から知ってる。
当時、広島に原爆を落としたエノラ・ゲイを中心とする戦闘機の一団の中で、気象確認を担当し原爆投下に適切な天候かどうかをチェックしてエノラ・ゲイに「投下可能」を連絡する任務を果たした戦闘機のパイロット、クロード・イーザリーという人が、その後、自分がコミットした巨大な殺戮に悩み、個人が果たすべき良心を社会に押し付けることはできないという考えを世に明らかにしたこと、そのことでイーザリーは周囲から孤立し、(驚くべきことに)精神病院に入れられてしまった、という事実を初めて知った。
番組によれば、このイーザリーという人と、ナチスにより友人の全てを殺された経験を持つユダヤ人哲学者(ドイツ)ギュンター・アンダースが、十数回の往復書簡を交わしているそうだ。
ギュンター・アンダースは、当時アメリカのケネディ大統領に書簡を送り、「イーザリーの精神は正常であって、周囲の人間こそ精神に異常をきたしている側である」として、イーザリーを精神病院から出すよう訴えた。しかし、結局イーザリーは、精神病院の中で生涯を終えたということだった。
僕はこの話にひどく心を打たれた。不意打ちされたような感動を覚えて、ネットで検索したり、地元の書店で調べてもらったりしたけれど、彼等の往復書簡を公開した書籍の翻訳書は折角1980年代に日本でも発行されていたのに、それに文庫本化もしていたのに、どうも今は大抵の書店で在庫切れ、出版元のちくまさんでも品切れ状態。僕は今日ね、もう筑摩さんにメールしましたよ、復刊してくださいなってね。頼みます。
ぜんぜんレベルというか、扱う領域は違うようでいて、でもけっこう共通してる部分もあるのかな、とにかく僕は、このクロード・イーザリーの逸話で、ポール・サイモンのS&G時代の曲「とても変わった男」まで想い出してしまった。・・・その歌の最後は、「だけど彼は本当は最も変わった男なんかじゃなかったんじゃないか」(Wasn't he a most peculiar man ? )・・・で終わってる(本日 note 投稿テキストに転載するに当たっての加筆です: この部分、"the most" でなく "a most" なので、ここでは最上級の副詞 most というよりも、強調表現としての「とても」「非常に」という意に捉えるべきで、「最も変わった男」ではなく、歌のタイトル通りの表現を使って、「だけど彼は本当はとても変わった男なんかじゃなかったんじゃないか」と訳すべきだったものと思います)。
クロード・イーザリーは、自分がやったことは巨大な殺戮につながり、巨大な罪を犯したことになるのに、(アメリカひいては国際?)社会から何の制裁も加えられないことに疑問を抱き、そのことを公言しつつ、しかしそのことに注視しようとしない周囲から孤立し、精神病院に入れられてしまった。いったい、どっちが正常でどっちが異常なのか。
イーザリーは、1945年 8月 6日 8時15分(注:これは原爆が投下された際の日本時間ですね)、原爆搭載機エノラ・ゲイ号の先導機としてのストレート・フラッシュ号に搭乗、気象観測と原爆投下が気象状況上可能かどうかの判断という役割を担い、エノラ・ゲイに「準備完了」「投下可能」を連絡した。
彼はアメリカ国家とアメリカ社会から英雄視されるが、当のイーザリー自身は巨大な殺戮行為の影に怯え、自らの罪に悩み苦しむ。しかし、罪を意識するにもかかわらず、国家や社会は彼に罰を与えない。イーザリーは、社会が自らに罰を与えるべく、郵便局を襲って強盗するという挙にまで出る。
しかし、彼が罰を求め罰を受けるに値すると考えた行為が「ヒロシマ」に関わることである以上、その彼の罪は、彼を含む一団に原爆投下を命令し、そのうえ彼を英雄に仕立て上げているアメリカの国家の罪に行き当たることになる。結局、イーザリーは英雄の役を降ろされ、精神病患者の役を演じさせられる。彼は決して演じていないが、国家が、社会が、彼の周囲が、彼にその役割を押し付けたのだと僕は思う。
イーザリーは、精神病院に強制的に入院させられ、隔離収容されてしまった。
経緯は僕は知らないが(番組でその経緯の詳細も紹介されたとしたら僕は見逃し聞き逃している、僕はあまりじっくり観れないまま不意打ちのような感動で記憶に残しているに過ぎないから)、ドイツの哲学者、ギュンター・アンダース(ドイツ語の発音ではアンデルスかも)が、このクロード・イーザリーと往復書簡を交わしている。この哲学者はユダヤ人で、友人の全てをナチスに殺されてしまったような凄惨な過去を持つ人だった。
いくらか、ウェブで調べました。ギュンター・アンダースはイーザリーへの書簡の中で、「あなたの後悔は間違っていない」「今後も良心の立入禁止区域を作らないように」と言っているそうだ。彼は、第二次世界大戦以降、人々が「良心の立入禁止区域」を作り、自らが良心の呵責を感じないまま巨大な殺戮、虐殺のシステムの歯車や部品になってしまう社会になってしまったと述べている。
「良心の立入禁止区域」とは、文字通り、良心が立ち入ることができない、良心の呵責のないままに罪ある行為を行なってしまうエリアを示しているようです。僕が探している、『ヒロシマわが罪と罰 -原爆パイロットの苦悩の手紙』という翻訳書の原書の書名が、どうも『良心の立入禁止区域』というらしいってこともウェブで情報を得た。この本、読みたい。読みたいよなぁ。何とかならんかなぁと思い、筑摩書房にメールもしましたが、はて。
さて、このイーザリーの逸話を知ったNHKの番組ですが、その同じ番組だったと思うけど、ヒロシマの記念式典の模様が韓国のテレビでどんなふうに報道されているかも紹介されていた。
韓国のアナウンサーは、こう言っていた。
「ここでは、日本は被害者に見えます」。
この言葉はもちろん韓国側からの悲しい皮肉である。
日本は、結局、日本人、日本社会の自らの手で戦争のはじまり(それはもちろん太平洋戦争だけでなく中国との十五年戦争、韓国や台湾の植民地化に遡っていく)から終わり、そして敗戦後も含め、その真相を究明していないし、自らの手による総括をしていない。戦勝国から裁かれ、そして巨大な被害を与えたアジア諸国からの指弾が続けば「反省」の言葉を述べ、しかし真に深い洞察と反省を行動で示したことなどないから、いつまでもいつまでも中国や韓国が日本を裁こうとする。日本はそれを理不尽だとし、元々「東京裁判」は戦勝国が敗戦国を裁いただけのものだとして正当性に疑問を投げかけまでし(もちろん「ヒロシマ」「ナガサキ」の原爆投下や東京、ドレスデンをはじめとする数々の都市への無差別大空襲による殺戮行為・戦争犯罪が戦勝国アメリカによるものというだけで裁かれていないのは不当に違いない)、そして堂々巡りを繰り返している。
日本国は、そして日本人の多くは、例えば、「靖国」の意味さえ問い切れず、いや問おうとせず、日本の伝統だとウソぶいて(もちろん靖国は日本の伝統ではない)(この部分、ホームページ上では 2001年8月15日付の自分の日記にリンク *2)、過去を振り返ろうともせず、現在を見つめようともしない。日本の国家や社会、大衆が振り返る日本の近代は、きわめて表層的だ。
「良心の立入禁止区域」という言葉は深い。良心が機能せず、それでいて巨大な殺戮や虐殺の「システム」の部品になってしまう、そんなエリア。そこがそういうエリアである以上、そんなエリアに立ち入ってしまったら、あるいは立ち入らされてしまったら、その時は手遅れになりかねない。クロード・イーザリーの問いかけに(彼は社会に向かって問いかけようとしたのか、最後まで自分自身の罪に直面していたのかもしれないが)、ギュンター・アンダースのイーザリーへの働きかけに、僕は不意打ちをくらわされたような感動を覚えた。
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上に転載した 15年前の日記は当時のママですが、今日のこの note 投稿のテキスト内に掲載するに当たり、段落の初めの字下がりをやめたり、一部、改行を増やしたり、また一部に注釈を入れるといった程度の編集を施してあります。
日記原文は以下の URL 上にありますが、2001年の夏に本を買って HTML の基礎を独学し、1週間程度で立ち上げたホームページ上にあり、その時の原始的仕様を一切変えていないウェブサイトなので、いま現在、おそらくはとりわけスマホなどから閲覧する場合、OS のヴァージョンによっては文字化けしてしまいます。
バートランド・ラッセルによる序文
以下のバートランド・ラッセルによる序文(日本語訳)は、バートランド・ラッセルによるオリジナルの英文テキストをギュンター・アンデルスがドイツ語による原書を刊行するに際してドイツ語に訳したドイツ語翻訳版テキストから、日本語版「ヒロシマわが罪と罰 - 原爆パイロットの苦悩の手紙」(残念ながら、良書と思われるこの本が今現在も廃刊状態のままのようですが、古本もしくは「コレクター商品」扱いのものを手に入れることは可能のようです)において翻訳者を務められたドイツ哲学者の篠原正瑛氏(1912年3月29日生まれで、2001年11月15日に亡くなっています)によって、日本語に翻訳されたものです。つまり、英語の原文からドイツ語に訳され、そこから更に日本語に訳されたもの、ということになります。
(英文から直接的に日本語に訳されたものでなく、また、やや硬過ぎる日本語の言い回しに感じる部分もありますが、いま短時間でバートランド・ラッセルによる英文テキストを私なんぞが翻訳するという暴挙に出るような蛮勇は持ち合わせていないので、ネット上で見つけたままに、以下に転載します。)
「イーザリー (Claude Eatherly) の事件は,単に一個人に対するおそるべき,しかもいつ終わるとも知れぬ不正をものがたっているばかりでなく,われわれの時代の,自殺にもひとしい狂気を性格づけている。先人観をもたない人間ならば,イーザリーの手紙を読んだ後で,彼が精神的に健康であることに疑いをいだくことのできる者はだれもいないであろう。したがって私は,彼のことを狂人であると定義した医師たちが,自分たちが下したその診断が正しかったと確信していたとは,到底信ずることができない。彼は結局,良心を失った大量殺戮の行動に比較的責任の薄い立場で参加しながら,そのことを懺悔したために罰せられるところとなった。同時代の人びとの良心を揺り動かして,これらの人びとの目を今日の狂気に対して開かせるために彼が選んだ方法は,かならずしも,つねに最も理性的なものではなかったかもしれない。しかしながら,その理由づけは,人間的な感覚を失っていないすべての人びとの感動に価する。彼とおなじ社会に生きる人びとは,彼が大量殺戮に参加したことに対して彼に敬意を示そうとしていた。しかし,彼が懺悔の気持ちをあらわすと,彼らはもちろん彼に反対する態度にでた。なぜならば,彼らは,彼の懺悔という事実の中に行為そのもの〔原爆投下〕に対する断罪を認めたからである。私が哀心から望むことは,この事件の公開によって,すべての関係官庁がこの事件をもっと正しく判断するよう説得されるとともに,これらの官庁が力の及ぶかぎりあらゆる措置をとって,彼がうけた不正から彼を回復させることである。」(バートランド・ラッセル)
英文の原文は以下の通りです。
The case of Claude Eatherly is not only one of appalling and prolonged injustice to an individual, but is also symbolic of the suicidal madness of our time. No unbiased person, after reading Eatherly's letters, can honestly doubt his sanity, and I find it very difficult to believe that the doctors who pronounced him insane were persuaded of the accuracy of their own testimony. He has been punished solely because he repented of his comparatively innocent participation in a wanton act of mass murder. The steps that he took to awaken men's consciences to our present insanity were, perhaps, not always the wisest that could have been taken, but they were actuated by motives which deserve the admiration of all who are capable of feelings of humanity. The world was prepared to honour him for his part in the massacre, but, when he repented, it turned against him, seeing in his act of repentance its own condemnation. I most earnestly hope that as a result of publicity the Authorities may be persuaded to adopt more just views of his case and to do what lies in their power to redress the wrongs that he has suffered. (Bertrand RusselI)
以下のリンク先より、転載しました。
クロード・イーザリーの精神は正常であって、周囲の人間こそ精神に異常をきたしている側だったのではないだろうか?
上に掲げた15年前の日記の中で、私は「ポール・サイモンのS&G時代の曲『とても変わった男』まで想い出してしまった」と書いていますが、その歌とその歌詞を、以下、紹介しておきたいと思います(この歌詞、機会があったら日本語に訳してみたいところです)。
つまり、「彼はとても変わった男なんかじゃなかったんじゃないか」 〜 Wasn't he a most peculiar man?
1965年8月、Simon & Garfunkel 時代にイギリスでリリースされた、ユダヤ系アメリカ人ミュージシャン、Paul Simon のソロ・アルバム 1作目、"The Paul Simon Songbook" に収録されたヴァージョン。
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*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。
1966年1月にリリースされた Simon & Garfunkel の 2作目のアルバム "Sounds of Silence" に収録されたヴァージョン。
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*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。
良心の立入禁止区域 〜 ヒロシマ、わが罪と罰 〜 "Burning Conscience"
以下のリンク先に、原書(ドイツ語)の英語翻訳版テキストがあります。
カッコーの巣の上で
という見出しをつけておいてナンですが、ここではこの1975年のアメリカ映画、「カッコーの巣の上で」(原題 "One Flew Over the Cuckoo's Nest")について、その内容に触れることはしません。クロード・イーザリーの後半生を思うと、あの映画までも連想してしまう、それだけを言いたかったので。私の note のプロフィール画像は、あの映画の中のジャック・ニコルソンなのです(笑)。笑うのもナンだけど。
脚注1, 2
*1 本投稿の冒頭部分において、バートランド・ラッセルが 1950年にノーベル文学賞を受賞していることに絡み、今から 4年前の 2016年に「ボブ・ディランという人も受賞している」と皮肉ってますが、それについて書いた私の note 投稿テキストへのリンクを貼っておきます。ボブ・ディランはまさしく、イスラエルとパレスチナの問題に際して「良心の立入禁止区域」を作り、自らが良心の呵責を感じないままにシオニストのシステムの歯車や部品になってしまうような愚を犯している、私はそう思いますね。
*2 上に転載した15年前の日記の中で触れた、2001年8月15日付の自分の日記へのリンクです(「靖国についてもう一度」というタイトルの日記)。スマホでは、OS次第で文字化けします。
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