ジョン・レノンの命日に, Happy Xmas (War Is Over) 〜 歌詞和訳
はじめに
今日は12月8日、1980年のその日に 40年という決して長くはない生涯を閉じたジョン・レノンの命日。
当然ながら「たまたま」、偶然のことではあるけれど、今日12月8日は、日本では「真珠湾攻撃の日」でもある。あれは日本時間で 1941年12月8日未明ながら、現地ハワイ時間では 12月7日。日本がアメリカ合州国(以下、便宜的に「アメリカ」, この略称については本投稿の最後の付録で)に「先制攻撃」を仕掛けることを実はアメリカは事前に察知していたとか、あるいは日本が「先制攻撃」するようアメリカが仕向けたとか、そういう説もあるけれど、とはいえ「真珠湾攻撃」によって兎にも角にも日本があの無謀な戦争をアメリカに仕掛けることになった、それ自体は事実(上記の説については筆者自身は共におおよそそういうことだろうと思っているけれども、かと言って日本がそれ以前からの「15年戦争」を含む戦争の時代に中国等の諸国に対して行なった数々の蛮行が正当化されるとか、言わずもがな戦前の朝鮮半島や台湾に対する植民地化が正当化されるとか、筆者はそんな考えの持ち主ではさらさら無い、ついでにしかし重要なことを言うと、日本が行なった数多の蛮行同様、アメリカの東京大空襲をはじめとする無差別都市爆撃や広島・長崎への原爆投下も正当化などされない戦争犯罪であるけれども)。
冒頭、たまたま(日本時間では)同じ日なので、意識しがちな自分としては何となく触れざるを得ない気分になって書いたけれど、その別件の話題はこのくらいにして、以下、本題へ(ただ、まぁ「戦争」に関わるという意味においては、War Is Over というサブ・タイトルを付けたあの歌とあの歌詞は、先に書いた件に繋がってないとも言えないところ)。
さて、ジョン・レノンが亡くなった、というより殺されたのは、現地ニューヨークの時間で 1980年12月8日午後11時ごろなので、日本時間でもこれは 12月8日。日本では同日の朝だったことになる。
ジョン・レノンは、1940年10月9日にイギリス、当時は British Empire, 日本では大英帝国と呼ばれていたあの国のリヴァプール(大英帝国の中のイングランド、北西部)に生まれた。生まれた時は John Winston Lennon という名。
亡くなった、殺されたのは、1980年12月8日、場所はアメリカ、ニューヨーク。その時までに本人は自身の名に Yoko Ono の Ono を加えることを法的に申請し、かつ Winston は使わず、フルネームを John Ono Lennon と名乗るようになっていたけれど、どうもイギリスの法律が彼が生まれた時に付けられたミドルネームの破棄を認めていないようで、本人の意思とは別に、死後も正式名称は John Winston Ono Lennon ということになっているらしい。ジョン・レノン本人は、Winston というミドルネームが好きではなかった、もしくは嫌っていたという話を何かの記事で読んだことがあるけれど、もしかしたら Winston Churchill を連想させるからかもしれない。その辺、筆者は正確には知らない。
彼が殺された時の模様は世界に衝撃を与えたあの当時はもちろん、その後も色んな記事に書かれてきたけれど、非常に多くのメディアが取り上げてきたことで、ウィキペディアの記述はそういうものから要約してるんだろうから、おおよそ間違いはないものと思っていいのだろう。今日のこの note 投稿で特にそれを取り上げるつもりはないので、あらためて確認したい人向けに以下、リンクのみを。
ジョン・レノン曰く 「キリスト教は消えていく」(1966年3月) 〜 「神とは我々の痛みを測る概念に過ぎない」(1970年12月, "God" from his first solo album "John Lennon/Plastic Ono Band")
ジョン・レノンは子どもの頃は自分のことを(子どもながらに)クリスチャンだと思っていた時期があったかもしれないけれど、成長してから、あるいは成人してからは、特にそんなふうに自己認識することはなかったのではないだろうか。
彼は 1966年3月にイギリスの新聞のインタビューに応じた際、
"Christianity will go. It will vanish and shrink. I needn't argue about that; I'm right and I'll be proved right. We're (the Beatles is) more popular than Jesus now; I don't know which will go first – rock 'n' roll or Christianity. Jesus was all right but his disciples were thick and ordinary. It's them twisting it that ruins it for me",
と発言したことが報じられ、(本国イギリスよりも、プロテスタントの福音派・キリスト教右派・教会保守派が多いアメリカで)物議を醸し、それがカソリックが多数いる他の一部の国やヴァチカンにも飛び火し、結局、同年8月のジョン・レノン本人の会見でヴァチカンなどが「謝罪」として受け入れることになる「釈明」をする段に追い込まれるわけだけれど、まぁその内容を素直に読めば、「謝罪」というのは違うんじゃないかと思う。
本人は一応、"I'm sorry I opened my mouth" という言い方をしているし、一通りの「釈明」をした後にもう一度 "I'm sorry" と言っているけれど、その時はその前に "If that will make you happy, then OK" とことわった上で、"I'm sorry" と言っている。まぁ仕方なく言ったくらいのものという解釈をするのが自然だろう。
彼がシカゴでの会見で語ったのは、
"I suppose if I had said television was more popular than Jesus, I would have got away with it. I'm sorry I opened my mouth. I'm not anti-God, anti-Christ, or anti-religion. I was not knocking it. I was not saying we are greater or better",
で、そして、そんな話をした後に、結びの言葉として、"If you want me to apologise .. if that will make you happy, then OK, I'm sorry" と言ったらしい。
Wikipedia からの孫引きだけれど、彼はこの時、彼自身の "God" つまり「神」なるものについての解釈の仕方として、イングランド国教会 "Church of England" の司教の聖職階級の中のウーリッジと称される司教 "Bishop of Woolwich" (筆者はイギリスのキリスト教について詳しいわけではないので専門的なレベルでこれを理解しているのではない)の見解を引用しつつ、「神」とは "not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us" と語ったとのこと。
これはけっこう興味深いものがあって、それから 4年後、1970年に彼が発表する曲、その名も "God", そのものズバリ、「神」というタイトルの曲で、冒頭からいきなり語られる(歌われる)、"God is a concept by which we measure our pain" という、彼なりの「神」(という言葉、「神」の概念)についての定義に繋がるものがあるような気がしている。
"God" は、ジョン・レノンが、ビートルズ解散後最初にリリースしたアルバム "John Lennon/Plastic Ono Band" に収められた曲で、彼はこの歌の中で、事実上「神」は概念に過ぎないものだと言っていて、つまり、「神とは我々が自らの痛みを測るときに使う概念に過ぎない」、言い換えれば、「神とは一つの概念に過ぎないものであって、我々はその概念によって自らの痛みを測っているのだ」と言っていて、それを繰り返した上で、自分は聖書を信じない、(もちろん!)ヒトラーも信じない、キリストもケネディもブッダも王様連中もエルヴィスもディランも、そしてビートルズも信じない、信じるのは自分だけ、ヨーコと自分だけだ、それが現実だ、夢は終わったのだ、と歌っている。
そしてこの歌の最後は、「親愛なる友よ、続けてくれ」(これは「夢の続きでも見てくれ」とも読める)、「(だけど)夢はもう終わってるんだよ」という言葉で締め括られる。
筆者(つまり本投稿を書いている「拙者」)の考えを添えておくと、「神」なるものの存在を信じ、「神」やその存在を核に置く宗教を信仰することは、ある種の依存的な行為とも言える。今日なお、天変地異の源を「神」の怒り等に求める信者はいるし、また、個人の「罪」は信仰を重ねることで赦されるとされるような考え方もある(私自身はそれは本当の贖罪とは別物であるとしか思えないが)。人間はもちろん、人間どころか自然や宇宙をも超越する存在、この世界、宇宙の創造者であり絶対不可侵の存在だと信じる対象である「神」への信仰や、それを核に置く思想である宗教においてもっとも顕著であろうが、「神」とか宗教とかへの信仰に限らず、特定の人物を「神格化」して崇めたり、特定の思想を絶対的なものとして信奉するとき、人は自身の頭で物事を考えることに何処かで支障を来たすようになる。また、批判的思考の力が弱くなる。信仰やそれに近い精神の動きには、そうした弊害があり、詰まるところ、それは他者への依存なのだと筆者は思っている。
ジョン・レノンの「神」というタイトルの歌は、こんな歌。
God 〜 from "John Lennon/Plastic Ono Band", John Lennon's first solo studio album after the breakup of the Beatles, released on December 11, 1970
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞・全編を削除し, 歌詞の一部(最初のヴァース)のみの掲載に改めました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
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God is a concept by which we measure our pain
I'll say it again
God is a concept by which we measure our pain, yeah
Pain, yeah..
♫ ♫ ♫
Happy Xmas (War Is Over) 〜 歌詞和訳
前章で取り上げたジョン・レノンの "God" というタイトルの歌は、聞きようによっては、リスナーによっては、ある種の「絶望感」すら感じさせる歌なんだろうと思う。筆者自身はそうではなくて、「夢は終わった」と言いつつも、現実、あるいは物事の本質を見据えた、そして前を見据えた、力強い歌だと受け取っているけれど、兎に角、そういう歌をリリースしてから、ちょうど 1年後に、ジョンは今度は「ハッピー・クリスマス(戦争は終わる)」(カッコの中は「戦争は終わった」という訳し方も可能だけど)というタイトルの歌をリリースする。
筆者は無神論者であって、もちろんクリスチャンではないけれど(ジョン・レノンが自身をどう認識していたのか、正確に分かるものではないけれど、まぁ自分がクリスチャンだと思っていたとは考えにくいし、既存の宗教が具体的に言うところの「神」なるものを信じていたとも思えない)、クリスマスそのものは嫌いではない。「神」もキリスト教もその他の宗教も信じないが、クリスマスは人々を楽しませ、とりわけ子どもたちに「夢」(空想的な「夢」)を与えるファンタジーとしていいんじゃないかと思っている。宗教を信仰しないことと、ファンタジーと呼ばれるフィクションの一分野の中にあるものを受け入れることとは矛盾しないからね。
クリスマスの雰囲気もわりと好きな方。妻と結婚する前にはクリスマスにプレゼントをしたりされたりもし、結婚後は考え直し、話し合って、我々はクリスチャンじゃないんだからそういうことは止めようと決めて止めたんだけれど、その後、子どもが生まれてからは、息子が小学校の頃まではクリスマスに際して彼に何かあげたりしていた(しばらくはサンタからの贈り物として!)。クリスチャンとしてではないが、しかしクリスマスというもののおおよその意味を話しながら。
クリスマスというのは自分にとってまぁそういう程度のものであって、だから無神論者ながら決して嫌いな「風習」ではない。そして、世に沢山ある、いわゆる「クリスマス・ソング」の中で、この歌が一番好きだ。
この歌の歌詞は、2001年12月8日、911 アメリカ同時多発テロがあった年のクリスマスの月、ジョン・レノンの命日に訳した。
Happy Xmas (War Is Over) 〜 a song released on December 1, 1971 (USA, November 24, 1972 in UK) as a single by John & Yoko/Plastic Ono Band with the Harlem Community Choir
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
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ハッピー・クリスマス、 キョーコ
ハッピー・クリスマス、 ジュリアン
さぁ今日はクリスマス
今年はどんな年だった?
また1年が過ぎ去り
新しい年が訪れようとしている
今日はクリスマスなんだ
みんな楽しんでるといいな
身近な人 愛しい人
老いた人も 若い人も
ベリー・メリー・クリスマス
そして ハッピー・ニュー・イヤー
みんなで良い年になることを祈ろう
不安や恐れのない 良い年になることを
さぁクリスマスがやって来た
(戦争は終わる)
弱い人にも 強い人にも
(きみが望めば)
金持ちの人にも 貧しい人にも
(戦争は終わるんだ)
この世界には過ちがたくさんあるけど
今日はハッピー・クリスマス
(戦争は終わる)
肌の黒い人も 白い人も
(きみが望めば)
黄色い人も 赤い人も
(戦争は終わるんだ)
無意味な争いはもうやめにしないか
ベリー・メリー・クリスマス
そして ハッピー・ニュー・イヤー
みんなで良い年になることを祈ろう
不安や恐れのない 良い年になることを
さぁ今日はクリスマス
(戦争は終わる)
今年 ぼくらはどんなことをしただろう?
(きみが望めば)
こうして1年が過ぎ去り
(戦争は終わるんだ)
また新しい年が訪れようとしている
今日はハッピー・クリスマス
(戦争は終わる)
みんな楽しんでるといいな
(きみが望めば)
身近な人 愛しい人
(戦争は終わるんだ)
老いた人も 若い人も
ベリー・メリー・クリスマス
そして ハッピー・ニュー・イヤー
みんなで良い年になることを祈ろう
誰もが恐怖を感じることのない 良い年になることを
戦争は終わる
きみが望めば
戦争は終わるんだ ... ...
ハッピー・クリスマス!
ハッピー・クリスマス!
ハッピー・クリスマス!
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* 上の和訳歌詞は筆者のホームページに掲載してきたもの。近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている。
ただし、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつもこれ書いてるんだけど、でも初めて筆者の note 投稿を見る人には「初めて」なわけで)。
サブ・タイトルの "War Is Over" は普通は文脈上「戦争は終わる」と訳すんだろうなと思うが(筆者の和訳歌詞の中でもそうしている)、当時(2001年12月8日)訳した時の邦題では「戦争は終わった」としていた。
去年、2019年の "Happy Xmas (War Is Over)" (歌詞和訳) 付き投稿
bonus track 1: ジョン・レノンの歌(歌詞和訳) 〜 Give Peace A Chance
bonus track 2: ジョン・レノンの歌(歌詞和訳) 〜 Imagine
bonus track 3: ジョン・レノンの歌(歌詞和訳) 〜 Strawberry Fields Forever (Beatles)
bonus track 4: ジョン・レノンの歌(歌詞和訳) 〜 Nowhere Man (Beatles)
付録: 「宗教」、そして「アメリカ」に纏わること
以下、今日の note 投稿の本題とは直接的には関係しないけれど、少しは関わる「宗教」についてと、本投稿の冒頭で触れたアメリカ合州国の「アメリカ」という略称についての備忘録。
1) 以下は、筆者の「宗教」についての考えの「一端」を書いたもの。ただし、この投稿テキストの中で具体的に取り上げられているのは、「宗教」として今日の note 投稿に「そこそこ」関係するキリスト教ではなく、同じアブラハムの宗教であっても、イスラームの方。とはいえ、「宗教」全般に対する考え方に直接関わる内容ではある。
2) 本投稿の「はじめに」の 2段落目で、「アメリカ合州国(以下、便宜的に『アメリカ』, この略称については本投稿の最後の付録で)」と書いていた件。
「アメリカ合衆国」と通常書かれているところ、筆者がいつも「アメリカ合州国」と書いているのは、あの国は The United States of America であって、The United People(s)'s State(s) of America ではないことを意識してのことだけれど(中国では漢字は「美国」を当てられているけれどあれもちょっとなぁ、笑)、それはさて措き、「アメリカ」という呼び名についてはどうも何か釈然としないものがあって、これについてはまたいつか note 投稿の中で書くかもしれないけれど、それは以下のインスタグラム投稿で主張されている件と関係があって、今日は本題から離れるので、まさしく「美」貌録、あ、じゃなかった、「備忘録」的にこれだけ(これは直接的には "American" についてだけど)。