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ピンク・フロイド 「エコーズ」 を和訳する 〜 空を見上げ、アムリトサルで、ダラムサラで、ポンペイで、そしてスタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」を観ながら聴く、不朽の名作 "Echoes" by Pink Floyd

前説

"Echoes" by Pink Floyd, ピンク・フロイドの「エコーズ」は、彼らの 6枚目のアルバムで 1971年10月31日にリリースされた "Meddle" (邦題「おせっかい」) の当時の LP のその B面全てを占める、時間にして 23分強の大作。

この歌の歌詞の世界では終盤の方で "A million bright ambassadors of morning" がやってくるわけだけれど、音楽と歌詞全体のムードとしてはタイトル上のイメージがわりと似合っているように思う。とりわけ前半の方などは。でもまぁタイトル上のイメージは本 note 投稿においては便宜的に添えたようなものなので、音楽そのものと歌詞でこの歌の世界観を味わえば十分(当然ながら!)。

タイトルに記したもののうち、「空を見上げ」ながらとスタンリー・キューブリックの傑作映画「2001年宇宙の旅」の映像を観ながらというのは、多くの人が味わえるピンク・フロイド「エコーズ」体験だけれど、それ以外は筆者の個人的体験が中心。とは言っても、ポンペイ(遺跡、イタリア)では実際にピンク・フロイドが「過去に」コロナ禍と関係なく(当たり前だね、笑)無観客で「エコーズ」をライヴ演奏したことがあり、これは映像化されているから、誰でも楽しめる。筆者の個人的体験を加えるとしたら、ポンペイに行ったことがあってピンク・フロイドが「エコーズ」を演奏した特定の遺跡も訪ねてその場所の写真も撮影しているから、それで些か「個人的」な思い入れを込められるといった程度のもの。一方で、アムリトサルで、ダラムサラで、というのは極めて「個人的」体験に根差したもの。

いずれにしても、アムリトサルで、ダラムサラで、ポンペイで、そしてスタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」を観ながら、といった条件付きの話は、また別の機会にアップする note 投稿でそれぞれ言及しようと考えている。

さて、ピンク・フロイドの話。ガキの頃から今年の 911 に還暦を迎えた今日に至るまで、約半世紀にわたりピンク・フロイドを聴いてきた筆者、彼らの最高傑作は何だったのかと問われれば、迷うことなくそれは "Meddle" だと答える。

少なくとも自分にとっては、ピンク・フロイドのオールタイム・ベストは、"The Dark Side of the Moon" (邦題「狂気」) でも "The Wall" でもなく、"Meddle" で決まり。

因みに 2番は "Atom Heart Mother" (邦題「原子心母」) だけれど, こういうのは言うまでもなく「好み」、「趣味」の問題であって、「趣味」はもちろん他人に押し付けるものではないですね。ただ、とにかく、自分はピンク・フロイドのアルバムでは邦題「おせっかい」が一番好きで、もっと言えば、「おせっかい」や「原子心母」の方が、「おせっかい」の後の時代、つまり「狂気」以降よりもいいと思っている。

アルバム「おせっかい」の後、ピンク・フロイドは「狂気」で完璧なエンタテイメント性を獲得し、その後、実は迷走していったような気がする。実はそれはそれで面白い軌跡なんだけど。

”Wish You Were Here" (邦題「あなたがここにいてほしい」) で停滞し(しかしそれでいて美しいアルバムだった)、"Animals" で深みにはまり、"The Wall" で叙情を排して叙事詩の舞台劇を作り上げ、その後は "The Final Cut" してしまう。

その先は、Roger Waters と David Gilmour, Nick Mason, Richard Wright に分かれて活動する、別のピンクだ。

ピンク・フロイドが初来日した 1971年の夏は筆者が小学5年生の時で、「洋楽」は既に聴き始めていたけれど、残念ながらまだ彼らの存在を知らない時だった(ピンク・フロイドを初めて聴いたのは小6か中1の時だったと思う)。初来日時の伝説の「箱根アフロディーテ」公演、まさしくその時、彼らは「エコーズ」をライヴ演奏していて、その場にいたらどれだけ心を震わせて感動しただろうか、どれだけトリップしただろうか(実際にあの場にいた人から聞いたことがあるのだがアレが出回りつつの「トリップ」体験は本当だったようで、笑)と、想像だけはするけれど。

2回目の来日は 1972年3月のことで、これは小学5年の終わりの時期。その時も彼らのライヴを観れてなくて、筆者がピンク・フロイドを生観、生聴きしたのは、1988年3月、彼らが 3度目の来日公演をした際、国立代々木競技場第一体育館でのライヴだった。結婚直前の妻と一緒に観て、ライトショーが印象に残る観応え、聴き応えのある見事なライヴだったのだが、その時の彼らは既に Roger Waters が抜けた後のピンク・フロイド。

その後、2002年3月に Roger Waters の来日公演を妻子とともに東京国際フォーラム・ホールAで観ていて、それも痛く(甚だしく!)素晴らしかったのだが、そういうわけで、Syd Barrett (既に他界) がいた正真正銘のオリジナル・メンバーのフロイドを生観してないのは流石に致し方ないにしても、セールスを含めて黄金期だったとも言える David Gilmour 加入後の 4人のメンバーによるライヴを、筆者は観たことがない。これはもう今後も文字通り完全に無理な注文なので(そもそも Richard Wright は他界しているし、彼が健在だったとしても最早「再結成」などないのは火を見るよりも明らかというもの)、その楽しみは夢ででも体験するしかない。

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さて、1971年のアルバム "Meddle", 邦題「おせっかい」の方に話を戻すと、あのアルバム、大作 "Echoes" が注目されがちだけど、LP の A面に入っていた5曲の方もまた良くて、独特の味わいがあるもの。そのアルバム全体については、また機会があったら、note 投稿したいと思っているけれども、今日は投稿タイトルに書いた通りで、"Echoes" が主題。

Echoes 〜 歌詞和訳

この歌の歌詞については、今日午前中に訳した。残念ながら今日は「雲ひとつない」日ではないけれど、「あなた」が「覚醒した私の眼に舞い降り」「私に起き上がるよう 誘い 鼓舞しながら」「そして 壁に埋められた窓を通し」「眩い(まばゆい)ばかりに光り輝く何百万もの朝の大使」が「陽の光の翼に乗って差し込んでくる」時間を過ぎてから、朝食後の何時ごろだったかな、とにかく実際に "Echoes" を聴きながら歌詞の日本語訳作業をやり始めて、なんとか昼前に終えた。

そもそもの英語の歌詞のあらためての確認に手間取る箇所もあって、つまり、筆者は歌を聴いて完全に聴き取るようなヒアリング力の人間では全くなく、ネット上から英語歌詞を拝借したのだが、複数のサイトに異なる「聴き取り方」をした、つまり一部異なる英語の単語、フレーズが記されている箇所があり、どれが正しいのか判断(自分のセンスで判断するしかない)するのにも一定の時間がかかってしまった。

以下は、アルバム "Meddle" に収められた、スタジオ録音ヴァージョンの音源からの "Echoes" と英語の歌詞と、そして筆者が今日午前中に歌詞を訳した和訳歌詞。

なお、この歌は 4人のメンバーによる共作。この 4人のピンク・フロイドではその後期において(邦題「狂気」以降)多くの歌詞を Roger Waters が手掛けるようになるが、この歌については分からない。後のフロイドの歌と比べてだいぶ色彩が違う歌詞だし、少なくとも Roger 一人だけによるのでなく、歌詞も文字通りの共作ということなのかもしれない。

Echoes 〜 from "Meddle", the sixth studio album by Pink Floyd, released on October 31, 1971

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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頭上 空高く アホウドリが (*1) 
宙に舞い上がったまま静止して垂れ下がる
そして 揺れる波間の奥深く
珊瑚の洞窟の迷宮の中
遠く離れた潮の流れ 遥かな過去の残響が (*2)
砂地を越え 風に舞う柳の如くゆらゆらとやって来る (*3)
そして 何もかもが青々とした緑色を成し 海の底に (*4)

誰も我々を陸地に導かなかった
誰もが 何処にいるのか 何故そこにいるのかを 分かっていない
しかし何かが目覚めて動き出し 何かが試みを始める (*5)
そして 光に向かって 登り始めるのだ

通りすがりの見知らぬ者どうしが
偶然にも 一瞬その視線を交わす
実は私はあなたであり 私が見ているのは私自身なのだ
私はあなたの手を取り
この地の何処(いずこ)かに導き
自らができる最上のことは何なのか 理解することになるだろうか?

先に進むよう呼びかけるものなどいない
視線を落とすよう強いるものもいない
言葉を発するものはいないし 我々のように試みるものもいない
太陽の周りを飛ぶものなどいないのだ

雲ひとつない毎日 あなたは 覚醒した私の眼に舞い降りる
私に起き上がるよう 誘い(いざない) 鼓舞しながら
そして 壁に埋められた窓を通し
陽の光の翼に乗って差し込んでくるのは
眩い(まばゆい)ばかりに光り輝く何百万もの朝の大使 (*6)

私に子守唄を歌ってくれるものなどいない
私の目を閉じさせるものもいない
だから私は窓を大きく開け放ち
空の向こうのあなたに呼びかけるのだ

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注釈 

*1~6 はこの歌の和訳歌詞の筆者(あ、拙者のこと)による和訳作業にかかる注釈で、*7 はこの歌の収録アルバムについて。

*1 albatross

鳥の名前、アホウドリのことだけれど、アホウドリは南太平洋に沢山いて、翼が長いのが特徴の水鳥。この鳥を航海中に見たらそれは嵐の前兆だとされたとかいう話もあるようで、それと関係があるのかどうか、"albatross" には「心配のもと」、要するに、心配なので「頭痛の種」になるようなものを意味する場合がある。

"albatross" が「頭痛の種」を意味する場合がある鳥の名前だと思えば、この歌の歌詞が "Overhead the albatross hangs motionless upon the air", 「頭上 空高く アホウドリが 宙に舞い上がったまま静止して垂れ下がる」で始まっている点、英語で「頭痛」を意味する "headache" にも「頭痛」だけでなく、「頭痛の種、悩みの種、困ったこと」といった意味があるわけで、"Overhead" と "albatross" の意味上の関連があってこうした wording, すなわち言い回しなり言葉遣いなりが為されたのか、その辺り、興味深いものがある。

つまり、単に「アホウドリ」という水鳥のイメージだけでなく、「アホウドリ」=「頭痛の種(心配事、困り事、悩みの種)」が「頭上」にあってといった意味合いが込められている、そういったダブル・ミーニング的なニュアンスがあるのかどうか。

*2 time (tide)

この箇所、"time" にも "tide" にも聞こえる。文脈上、"tide" であっても不自然ではないと思うが、ネット上の歌詞サイトで見る限り、"time" としている方が多いようだ。

"distant time" なら「遠い過去の時代」といった意味合いになると思うが、"tide" も「潮の流れ」「潮流」の他に文語として「好機」「潮時」、更にはやはり文語で「季節」「時期」といった意味として使われるケースがあり("Christmastide" などのように結合語の一部としてというケースが多いようだが)、"distant time" なら「 遠い時代」「遥かな過去」といった訳し方ができる一方で、"distant tide" も似たような意味で解釈することは可能だと思う。

そこで、当該の箇所 "The echo of a distant time (tide)" については、"tide" の一般的な意味が「潮の流れ」であることも踏まえ、かつ "distant tide" としての解釈を先に持ってきた方が日本語としてのリズムがいいように思えたため、「遠く離れた潮の流れ 遥かな過去の残響が」と訳すことにした。

*3 willowing

willowing は難関。"willow" が動詞として使われることは、極めて稀だろうと思う。"willow" だけなら通常は「柳」の意だが、これを動詞として使うなら「開繊機にかける」という意味の極めて特殊なケースの場合になる。

結局、筆者は、"Comes willowing across the sand" については、些か苦し紛れであるが、前後の文脈を考えた上で、「砂地を越え 風に舞う柳の如くゆらゆらとやって来る」という長めの日本語表現にした。

この歌の歌詞における "willowing" の解釈は非常に難しく、英語話者の間でも議論されているくらいのもののようだ。

以下は、訳す際、"willowing" という、"willow" は「柳」の意の名詞でありながら "willowing" と動名詞に変化しているかに見えるこの箇所について、何か特殊な意味の(「開繊機にかける」の意味以外の)動詞としての "willow" があるのかどうか、何か手掛かりがないかとググって見つけたウェブ上の複数意見。ただし、これを見ても、結局、はっきりした結論は出ない。というか、正直言って、途中まで読んで、最後まで精読しないままに、歌詞和訳の作業に戻ってしまった(笑)。

なお、前項 *2 time (tide) との関連で言うと、前項において筆者が 〜 "time" にも "tide" にも聞こえるがネット上の歌詞サイトで見る限り "time" としている方が多いようだ 〜 としている件、以下のリンク先では質問者は "tide" の方を採用している。

*4 green

"green" は当然ながら、普通、日本語では「緑色」ということになるわけだが、英語の "green" には(形容詞として)「緑の」「緑色の」といった意味の他に、「(植物などが)青々した」とか、「(青々とした植物のように〕若々しい」「元気な」とか、「(果実が)青い」「未熟の」、それが転じてということなのだろうが、「(青い果実のように人が)未熟な」「経験の浅い」「世間知らずの」といった意味がある。ついでながら("Echoes" の歌詞の中においてどこまで「ついで」か分からないが)、「(顔色が)青ざめた」「吐きそうな様子で」「体調が悪そうな様子で」といった意味もあるようだ。

また、上記より更に「ついで」ながら、交通信号の中の日本語でいうところの「青信号」は英語では "green", "green light", "green signal", "green traffic signal", "green traffic light" といった言い方になり、いずれにしても "green", つまり日本語に直訳すれば「緑」「緑信号」であって、これに関しては英語話者の色彩感覚は日本人一般のそれと異なる事になる。要するに、英語の "green" と日本語の「緑」、英語の "blue" と日本語の「青」は、その意味するところがぴったりイコールで一致するわけではない。 

"And everything is green and submarine" については、上記のような微妙なニュアンスを気にしつつ、「そして 何もかもが青々とした緑色を成し 海の底に」という日本語のフレーズに置き換えることにした。

*5 stir(s)

"stir" と言えば、筆者の頭に最初に浮かぶのは他動詞で「(スプーンなどの器具で液体を)かき回す、かき混ぜる」、自動詞で「(スプーンなどで)かき回せる、かき混ぜられる」といった意味になる単語だが、"stir" (はこの歌の歌詞の該当箇所では自動詞) には自動詞として他に「(位置が)わずかに動く」「ずれる」「揺れる」、「(休息後に)目覚める」「活動する」、また(文語として)「(感情が)呼び覚まされる」「(感情が)湧き上がる」、(話語として)「(騒ぎなどが)起きる」「発生する」といった様々な意味がある。

"But something stirs and something tries" については上記を踏まえ、「しかし何かが目覚めて動き出し 何かが試みを始める」と訳すことにした。

*6 A million bright ambassadors of morning

"A million" はもちろん、日本語に直訳すれば「百万」。ただ、ここで表現したいことは、「数え切れないほど沢山の」といったニュアンスだろうと思う。些か冗談めくが、通貨価値からしても "A million" US dollars はかなりの大金だが、「百万」円となるとそれと比べた場合にはそこそこの大金(筆者にはそれもかなりの大金だが、笑)。

いずれにしても、この歌詞の上記フレーズの中での "A million" は、日本語に置き換えた場合は「何百万もの」とした方が相応しいと考え、"A million bright ambassadors of morning" は日本語で「眩い(まばゆい)ばかりに光り輝く何百万もの朝の大使」と表現することにした。

*7 以下のリンク先にあるのは、筆者が 14年前、2006年5月21日に (HTML で) 書いて、自分のホームページにアップした、"Echoes" 収録アルバムである "Meddle" についての比較的短い、かつ私的(当たり前か、笑)レヴュー。

ただしそのホームページは近年全く更新していない。また、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつもこれ書いてるんだけど、でも初めて見る人には「初めて」なわけで)。

ピンク・フロイドのその他の歌の歌詞和訳

以下は筆者の過去の note 投稿 3点。投稿は3つだけれど、この中で掲載している筆者による和訳歌詞は "If" と "Wish You Were Here" の 2曲分だけ。その他、他の曲やアルバムについてのテキストを書いた、一連の投稿へのリンク。

3) に(拙訳)とあるけれど、昨年 911 に note 登録し、投稿を始めて以降、当初は自分の手による和訳歌詞を掲載する際はいつも(拙訳)と付していた、その名残り。

しかしまぁ実際のところ、英語完璧にはほど遠い筆者ながら、ところどころ辞書に頼りつつの自身の手による和訳歌詞については正直、けっこうイケてると自負している(笑)。

というわけで、しばらく前からは(拙訳)と付すような自虐的表現はやめることにした。と言いつつ、なぜか自分のことを時折り「拙者」と書いたりしているが(先祖は侍でなく農民に違いない「拙者」つまり「筆者」なのだが、笑)。

1) 

2)

3)

ピンク・フロイド Echoes 歌詞和訳 〜 ネットで入手した「英語原詞」に誤り発見 (2021年5月12日, 翌5月13日 note 投稿)


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