エナジードリンクの功罪。最終的には無くなる方が良いものなのではないか。サブスクにも疑問が拭えない。
※エナジードリンクの関係者の方にはすみません。でもこんな風にも考えてみたいのです。
ゴミ拾いをしていると、コーヒーやお酒とともにエナジードリンクの空き缶が捨てられているのを見ることが多い。
エナジードリンクというものが増えたのはここ数年という印象。
それまでにもあったリゲインやリポビタンを含めればもっと昔からだろうし、ここ数年でスタイリッシュになって若い世代も飲み始めたのだろう。社会人の飲み物だったのが学生にも下りてきた。
個人的には(コーヒーやお酒はいったん脇に置いて)エナジードリンクが必要ない世界の方が良いように思う。
エナジードリンクというのは「疲れていてもコレを飲んだらもうひと頑張りできます」ということ。
疲れたら休むのが自然だけれど、そうはしないで、疲れていてもますます動けるようになる。
そうなると「もっともっと働く社会」が加速するように思う。少なくともそういう社会を肯定する方向にあると思う。
でも疲れたら素直に休んで「疲れたけれどもうひと頑張り」をしなくて良い世界の方が向かう方向として良いんじゃないか。
世の中の仕事には「無くなった方が良い、無い方が良い」タイプのものもある。
警察官や自衛隊だって「仕事が無いことが理想」というタイプのもので、教育だって「自分が必要なくなること」をゴールにしないと歪んだ共依存にも陥りやすい。
自分のやっていることは大事だと思いつつも、最終的には「必要なくなった方が良い」という自制心が必要で、それが品性というものの一面だと思っている。
サブスクだって同じことで中毒症状化させるものだとも言えるから存在に対してハテナが拭えないところがある。
去り際が大事。去り際が設定されていないなら何か歪んではいないか。
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毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。
明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思います。