長野に移住して良かった

関東生まれ・育ち、元教員。2024年に夫婦二人で長野県駒ケ根市に移住してきました。空き家バンクで購入した古民家で家庭菜園をしながら暮らしています。普通の日々、普通に幸せ。そう感じながら暮らしています。移住して良かった気持ちがどなたかの参考になりますように。

長野に移住して良かった

関東生まれ・育ち、元教員。2024年に夫婦二人で長野県駒ケ根市に移住してきました。空き家バンクで購入した古民家で家庭菜園をしながら暮らしています。普通の日々、普通に幸せ。そう感じながら暮らしています。移住して良かった気持ちがどなたかの参考になりますように。

最近の記事

論理の罠に気をつけていたい。

信州のりんごを贈った方から、お返しにお米が届いた。 お米を育てている別の方からも「お米に困ったら言って。いくらでもあるから」と言ってもらった。 そういう知り合いがいると心強い。 だからそういう人間関係を作ろうとする。 その論理的な発想、因果関係とか目的と手段の発想が、相手を道具扱いしてしまう。 論理の罠。 教育も「AすればBが起こるはず」と欲しい結果のために相手を手段化することになりやすい。 いちばん人間的でないといけない営みが、いちばん人間扱いから離れたりする。 そう

    • 人が死ぬことを選びやすくする社会『PLAN75』

      映画『PLAN75』をようやく観られた。 今この社会だって、死ぬことができなくなる社会にどんどんなっている。 (以下ネタバレも含みます) 人口問題や高齢者社会を解消するために人が死ぬことを選びやすくして、そちらの方に誘導をしていく。 生活苦の人が集まる炊き出しの場所で申込ブースを作ったり、ベンチで眠れないように手すりを付けたりするのはリアルだと思った。 こういう形で自死を申し込めば無料です、こういったサービスもお付けします… 実際に施行されたらそうなっていくだろうし、民

      • お金をどれだけ得られたって本当の安心にはならない。

        自転車を少し走らせるだけで畑がいくつも目に入る。 立派な白菜や大根がたくさんで、食べるものを自分で育てられる強さを感じる。 自分がほしいのはそれ。 お金をどれだけ得られたって本当の安心にはならない。 自分が食べるものは自分で、と考えるとそういうことができる場所が必要で、やっぱり今の自分にとって東京は住む場所じゃない。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうございます。 毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。 明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあ

        • 2人とも納得できる良い買い物をできてよかった一日。

          先日入った展示にあったかわいい絵を、パートナーさんが買ってきた。 印刷のものではなく原画を買ってきたのが良いなと思う。 好きな作家さんなら、ちゃんとお金が渡るのが良い。 絵を買うなんて初めてのことだけれど、眺めていて幸せになるから、 自分が良い気持ちになる絵を買うとは、なるほどこういうことなんだなと思う。 読んだ本に影響されて、パートナーさんの中で災害への備えをしたい気持ちが高まって、 前に自分が提案していたソーラーパネル+ポータブル電源もついに購入。 いくつか選択肢が

          特別な一日みたいだけれど、これが普通なのが良い。

          今朝まで知人が泊まりに来ていた。 『人生フルーツ』を紹介して、そうだったこの二人を良いなと思ったことも、今の暮らしの基にあるのだと思い出す。 人が来てくれると、そういうことも話して自分の基盤について説明して、思い出されて、良いものだ。 その方が「田舎のホームステイみたい」と言ってくれて、自分たちの感じを表す良い言葉だなと思う。 一緒に何かをするというのは正に「普通に暮らす」感じがする。 一日の過ごし方を考える時に「今日は何をしたいかな」じゃなくて「今日は何をしたら気持ち

          特別な一日みたいだけれど、これが普通なのが良い。

          「買う・お店巡りする」んじゃなくて「作る」のが良い。

          昨日から知り合いが泊まりに来ている。 人が来ると色々と話す。 だから、自分がはっきりと意識していなかった言葉がふと出てきたりして、 その言葉に自分でなるほどと思ったりして振り返りになる。 その人と3人で話しながら「ここは良いなあ」なんて言っていて、 そういえば「ここに住んで良かった」とこんなに言うのは今まで暮らした場所で初めてな気がする。 我々を見て「誰かと一緒に暮らすって良いなと思った」と言ってくれた。 それは嬉しいことだ。 何をして一緒に過ごそうか、どこに行こうか…

          「買う・お店巡りする」んじゃなくて「作る」のが良い。

          家事に時間や手をかけるのは決して無駄でももったいないことでもない。

          ランチミーティングだとか、家事を機械や業者に外注するだとか、それは「豊かな時間」なのだろうか。 その裏にある考えが「一つずつやるのはもったいない」「こんなことに時間を充てるのはもったいない」という気持ちならば、 時間そのものを損ねるような捉え方をもともとしているわけで、 その時間をどうにか有効活用しようとしたところで、もともと低く見ているのだから仕方がない気もする。 家事に時間や手をかけるのは決して無駄でももったいないことでもない。 自分の身体を伴うのは楽しい。 自分はそ

          家事に時間や手をかけるのは決して無駄でももったいないことでもない。

          何でもない普通の瞬間の良さ。それを書くのも良いかもしれない。

          今日は本当によく晴れていた。 図書館に行く時にあまり通らない道を行ってみると気持ちが良い。 自転車を漕いで受ける風が気持ち良くて、空は晴れて広くて、歌なんて歌って。 こういう瞬間が好きだ。 新しい道を行くというのは小さな冒険心。 気持ちの赴くままに動いていて、新しいお店に入ってみようとかそんな気持ちにもなる。 気持ち良くて楽しい。 こういう瞬間が自分には時々訪れる。 この町は坂が多いけれど、それは自転車で下る道が気持ち良いということ。 畑仕事や草刈りをする人、干してある柿

          何でもない普通の瞬間の良さ。それを書くのも良いかもしれない。

          論理で動かすよりも世界そのままに流れること。

          こういう文章を書くとフォロワーが増える、という記事。 それを読むと「フォロワーを増やすためにそういう文章を書こう」と逆転する。 自分にとって良い形で仕事がしたいのは、単にそうしたいからであって、何かのためではない。 アレコレの良いことが派生的に生まれることはあるけれど。 目的と手段にすべてを分けてしまう「論理」というものに近ごろは違和感を覚えることが増えた。 論理の罠がある。 論理よりも単に並列、そのままという感覚になってきた。 そう思うのは自分が教育をやっていたからな

          論理で動かすよりも世界そのままに流れること。

          「何度も」「少しずつ」をOKしてあげるとプレッシャーは減って色々とやりやすくなりそう。

          DIYしたアイロン台がガタガタしていたので、脚に木片を入れて調整した。 一度で完璧なものを作りたくなるけれど、こういうので良いのだろう。 作って、使ってみて、調整してみる。 ツギハギが多くなるけれど、工芸品でも販売品でもなくて自分の暮らしに合っていさえすれば良い。 初めから完璧じゃなくて良くて「何度も」「少しずつ」をOKしてあげるとプレッシャーは減って色々とやりやすくなりそうだ。 今朝は仕事前に畑の様子を見て庭を整えた。 そうすると「あ、ここの草マルチをしておこう」「物置

          「何度も」「少しずつ」をOKしてあげるとプレッシャーは減って色々とやりやすくなりそう。

          週5じゃない方が良い仕事というものもある。

          世の中にある仕事は、そりゃ大体は「あった方が良い」とは言える。 それは「必要不可欠な仕事」と「便利にする仕事」に分けられる。 便利というのは終わりがなく、また便利という自体も「その程度」でしかない。 なのに相手に応える仕事だから無限にやることが増えて追われていく。 便利にする仕事は週5じゃなくて良いんじゃないか。 週5じゃない方が良い仕事というものもある。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうございます。 毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています

          週5じゃない方が良い仕事というものもある。

          大盤振る舞いできるなら、そんな理由や状況がある。

          道の駅で、500円で野菜詰め放題をやっていた。 太ネギとか大根とか大盤振る舞い。 顔より大きなハクサイとか。 東京的な感覚で見れば収益が心配になるけれど、そうやって大盤振る舞いできる理由や状況があるのだろう。 それは例えば「沢山あるから良いよ」だったり「傷ませちゃうより食べてほしい」だったり「自分に必要な分はあるから」だったり。 何より余剰分で稼ごうとか、それを元手に投資をしようとか、そういう自己中心的な欲が無いということなのだろう。 自分の暮らしが回っていれば十分で、儲け

          大盤振る舞いできるなら、そんな理由や状況がある。

          一日にたくさんのことをしなくて良い。

          畑もやりたいし掃除もしたい。 竹を使って何か作りたいしヨガもしたい。 いわゆる仕事だって進めておけば楽になるし、時間短縮のためにどんどんやっておきたくなる。 でも一日にたくさんのことをしなくて良い。 疲れたら休憩するし、今日やろうとしたことを明日に回して良い。 たくさんやることを良しとして、少ないことを悪としたら時間がどんどん詰まっていく。 頭がキレて仕事ができる人はすごいけれど、それもその程度。 自分は自分が生きていける安心を着実に固めれば良い。 ーーーーーーー お

          一日にたくさんのことをしなくて良い。

          自分に合わない場所を見極めるセンサーは鈍らせずにいよう。

          仕事を一つ退職した。 辞めるということは「ここは離れて良い」という大事な感覚が働いているということ。 だからそれで良い。 自分に合わない場所を見極めるセンサーは鈍らせずにいよう。 それを鈍らせたら「正規」とか「安定」とかを捨ててこの形を選んでいる意味が無くなる。 生姜紅茶にミルクを入れて飲むと美味しい、そういうので良い。楽しいのは暮らし。 ーーーーーーー お読みいただきありがとうございます。 毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。 明るい考えも暗い

          自分に合わない場所を見極めるセンサーは鈍らせずにいよう。

          情報化社会とは本来不要なものに揺らされる時代とも言える。

          世間はハロウィン。 たとえば西野亮廣さんはまた何か面白いことをやっているのかもしれない。 すごいなと思った時期もあったし、今も思うのだろう。 でも坂口恭平さんとかインフルエンサーとか、強烈な人たちのフォローを外して楽になった。 学びはもらったし今の自分に影響しているけれど、いつまでも受けとる感じじゃない。 ネットに流れているのは情報というより広告で、これが良い、買うと良い、変わると良い…と「今のままじゃダメだよ」「何かしなきゃいけないよ」のメッセージばかり。 でもそんなの

          情報化社会とは本来不要なものに揺らされる時代とも言える。

          「好きなことをお金に」の罠もある。

          好きなことを仕事に。好きなことで生きていく。 その考え方は、せっかくの好きなことを「お金が入らないとやらないこと・お金を得られないとダメなこと」に変えてしまう。 そういう風にも言える。 でもそうまでして生きていたいかと考えると、やっぱりそんなことは無い気がする。 もし本当にやりたいことがあるのなら、お金が入るかにこだわらずやったって良い。 お金にならないからやらないのなら、せっかくの好きなことがお金に負けている。 お金が入ってくるか否かに関係なく、自分が必要と思ったこと

          「好きなことをお金に」の罠もある。