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道 15

藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.21-22。)

という言葉は、昔から、物をたずね究める過程を指して用いられてきました。茶道、華道、書道と、お茶やお花、習字に使われています。

勿論、人生は道であることは、誰しも知っています。

「この道や 行く人もなく 秋の暮れ」

松尾芭蕉、1694年に51歳のときに詠んだ句:生成AI

時として、1人で生きているなぁとしみじみ感じることがあります。

「この道は いつか来た道 ああそうだよ
 アカシアの花が 咲いていたよ」

北原白秋の詩に、山田耕筰が曲をつけ、1927年に発表された歌:生成AI

幼い頃の思い出に、ふと立ち帰り、自分の人生もやり直せないかなぁ、と思うこともあります。
しかし人は、歩き始めたが最後、引き返せない道を歩いています。一方通行の道である、と言えるでしょう。

では、道を歩く心得は何でしょうか?
イエス・キリストは、言われました。

「わたしは道であり、真理であり、命である。誰でもわたしによらないでは、父のみもとへ行くことはできない」

(日本聖書協会口語訳聖書 ヨハネ伝14.6)

「父のみもとへ行く」つまり、行き先を知っていることが大切です。

人生の道の終わりに、死のあることは、誰でも知っています。
しかしキリストは、死の向こうに、父のみもと、天の御国のあることを教えて下さいました。そこへ行く道を歩いているのだと知って、人生の道もまた、希望と安心の道となるのです。

ローマの町には、道が2つに分かれているところが、多くあるそうです。そして、その分岐点には、イエスの像やマリアの像が立っていると聞きました。

どう歩むか。どの道を歩めば良いのか。旅人は、祈って決めたのでしょうね。

人生の道、特に分かれ道に立つ時、天を仰ぎたいものです。

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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月26日、56歳で召天。この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり、3分間テレフォン・メッセージとして書き溜めたもの。


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