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給食を食べられる大人になることが夢だった

私の父親は教員だった。

小さい頃私は
父親というものはスーツを着て仕事に出掛けるものだと思っていたし
職場にお弁当を持参するという発想がなかった。

 
世間的には
給食を食べる職業よりもお弁当を持参して食べる職業の方がたくさんあり
我が家の父親はその少数派にあたるということを
私は成長と共に学んでいった。

 
 
小学生の頃
私は給食が大好きだった。
給食の時間が楽しみだった。

学校によってはまずい給食もあるようだが
私は義務教育の小中学校時代
給食をまずいと感じたことはなかった。

 
子どもの頃の私は
あたたかくて、彩りよくて、家とはまた違う美味しさの給食が大好きだった。
給食でしか食べられないメニューや美味しさに憧れ
給食の時間を毎日楽しみにしていた。

 
父親は学校で働いているから給食を食べられるが
私は中学校を卒業したら給食からも卒業ということを知っていた。
私の給食ライフは謂わば期間限定なのだ。

 
私は父がとても羨ましかった。
そして、母も給食を食べる職業だった為
母も羨ましかった。

定年退職しない限り
両親は給食を食べられる生活が保障されているのだ。

 
 
「ともかも将来教員になれば給食を食べられるよ(笑)」

 
と、父は笑いながらよく言ったが
私の中でその選択はなかった。

 
親の職業の影響で子どもも同じ職業を目指すことはよくあることだが
私は教員になりたいと思ったことはなかった。

生徒として学校に通うことは好きだったが
教員という職業に憧れはなかった。

 
約30名のクラスをまとめ
子どもの見本となり手本となり
学校という組織に属し
学校の求めるものや学力により
子どもを評価するシステムが合わなかった。

子どもや親から何かしら訴えがあったり
問題があったとしても
個人で自由に動きがきかず
組織や教員や公務員として適切に動かなければいけないところに
不自由さや堅苦しさを感じた。

教員を否定するわけではない。
教員として働く父を尊敬していたし
同じく教員として働く叔父も素敵な方だった。
好きな先生もたくさんいた。

ただ、教員という仕事が私の性に合わないと感じただけだ。

給食のためだけに教員の道は目指せない。

  
 
「それなら、調理師を目指せば?(笑)」

父は笑いながら言ったが
それも却下である。

 
教員以上に私は調理師の仕事に興味はなかった。
料理を作ることに興味がなかったし
仕事にするつもりは全くなかった。

 
父親の言葉に
小学生の私はガッカリした。

給食を食べる大人になりたいならば
父と同じ教員になるか
母と同じ幼稚園の先生になるか
調理師として学校等で働くしか道はないと思ったのだ。

 
私は幼稚園の先生になる気もサラサラなかった。

私は自分より年下な子どもが苦手だったし
職業に選ぶなんてとんでもなかった。

 
父は教員免許を
母は幼稚園教諭免許と調理師資格を持っているというのに
私は両親の子でありながら
どの資格も仕事も興味がなかった。

結局私は学生時代に家庭教師や塾のバイトをしただけに過ぎなかったが
姉は教員免許と幼稚園教諭免許を取得しており
母と同じように、幼稚園で働く道を選んだ。

姉に関してだけ言えば
蛙の子は蛙、である。

 
 
そうして私が大学生の頃には
両親に加えて姉まで給食のある生活を送っていた。

 
周りに話を聞くと
家族みんなが給食を食べているというケースはレアというか
我が家しか聞いたことがなく

冷蔵庫には各職場の給食メニュー表が貼られるということは珍しいんだろうなぁ…

と思いながら
私は三人の給食メニュー表を見ては羨ましがった。

 
給食を食べられる大人になりたいと私は何年も願ってきたが
諦めるしかなかった。
ただ、両親や姉がその願いを叶えていると思うと
気持ちは複雑だった。

 
 
そんな私は
学校を卒業してから福祉施設に入職することになった。
もともと中学時代から私は福祉職に憧れていたので
給食の誘惑に負けて他の職業を選ぶことなく
夢を叶えたと言える。

 
「ここでは毎日給食を作っていて、職員は補助がつくから格安で食べられるわよ。」 

 
だから入職した施設でそう聞かされた時は
本当に驚いたものだ。

 
教員にならなくても
幼稚園教諭にならなくても
調理師にならなくても
給食を食べられる仕事に私は就けたのだ。

むしろ
中学時代からなりたかった職業に就けば
普通に給食が食べられたのだ。

 
私はあまりに狭い世界で生きすぎていた。
福祉職に就きたかったくせに
施設で給食が出るなんてことをまるで知らなかった。

 
こうして中学校卒業してから数年の時を経て
私は給食ライフを再び送ることになった。

思いがけない形で夢は叶ったのである。

 
施設の給食メニューは大人向けのメニューで美味しく
羨ましがったのはむしろ家族の方だった。

大人になってから学校や幼稚園の給食メニューを見ると
子どもの成長や栄養バランスが考えられたり
辛さ控えめだったりと
メニューによっては大人にはやや物足りなかった。

私が子ども時代に憧れた給食は
あくまで子どもが喜ぶメニューだったのだ。

 
人は成長と共に味覚は変わる。

昔はグラタンやエビフライや焼き肉が好きでピーマンが苦手だった私は
今やグラタン等は少量食べれば満足し、ピーマンの苦みが大好きな大人になった。

 
私の職場は大人が通う施設だった為
メニューは子どもらしくなかった。
大人向きだった。

 
栄養士さんはやり手で
見た目も美しく
栄養バランスも整っていて
かつ美味しい料理を次々に生み出す

天才だった。

 
外国料理や季節感のある料理もふんだんであり
手作りデザートも絶品だった。
私の職場の給食は施設外の人からも評価され、人気は高かった。

 
やがて職場の給食は補助金により、格安から無料になり
施設で格安で売られる惣菜も主婦の方や一人暮らしの方に大人気で
私は給食だけでなく、惣菜も買えるというメリットを堪能できた。

 
この未来は全くの、予想外だった。

 
私は月に2~3回土日祝日勤務があり
給食は平日のみ提供だった為
月に2~3回はお弁当を持参、もしくはイベントで外食だった。

 
職場から徒歩3分の位置にコンビニがあり
基本的に私は買い弁だったが
毎日給食だと、たまにの買い弁が新鮮で楽しくもあった。

 
また
料理の得意な同僚がお弁当を作ってきてくれたり
同僚と手作り弁当を交換し合ったり
差し入れで色々もらったりと
土日祝日のお昼は普段味わえない楽しみもあった。

利用者との外食イベントで
普段行かないお店で食べるメニューも新鮮だった。

  
結果的には私は大人になり
平日は給食を食べられて
土日祝日は買い弁や外食が食べられて
仕事休みの日は自由に何を食べてもいいという
食生活を手に入れた。

 
 
そんな生活が11年、続いた。

 
 
 
 
 
一身上の都合により
私は退職して転職することになった。

欲を言えば、また給食が食べられる職場が望ましいが
絶対条件ではないし
最近は食が細くなったり、ダイエットをしていることもあり
自炊やお弁当も悪くないと思うようになった。

 
環境の変化に伴い、気持ちは変わるのだと思った。

 
 
 
そんな中、長い転職活動を経て
私は別の福祉施設に転職した。

 
 
その施設は、変わっていた。

 
月曜日は買い物訓練の為、利用者とどこかしらにお昼を買いに行き
火曜日はお弁当を持参し
水~金曜日は給食が出て
土日祝日勤務日は自弁だった。

 
通常、施設は毎日給食、もしくは給食提供なしだが
このように週三日だけ給食提供というのは
初めて見るスタイルだった。

 
前の職場では
コンビニでお昼を買ってくる人が多かったし
菓子パンやカロリーメイト、カップラーメン、デザート(プリンやシュークリーム等)を食べても良いのだが
今の職場は菓子パン類持参は禁止である。
カップラーメンは食べてもいいらしいが
誰も食べていないので、食べにくい雰囲気だった。
職場近くにコンビニもなく
大半の職員がお弁当を持参していた。

 
まぁ週一回くらいならお弁当を作ってもいいか…

 
私はそんな風に思い、今は週一回程度お弁当を作る生活になった。

月曜日は買い弁
火曜日はお弁当 
水~金曜日は給食
たまにある土日祝日勤務日は軽食持参  
 
 
と、なかなかにバラエティ豊かな毎日になった。
休日に食べたいものを食べるという点は今でも変わらない。

 
今の職場の給食も美味しい。

野菜が多く使われ
品のいい味付けだ。
実に健康的なメニューである。

 
今は毎週、週の後半が楽しみで仕方ない。
やはり給食がある職場というのはありがたい。

なお、今の職場も補助が出ていて
給食費はかなりの格安で経済的である。

 
 
「いただきます。」

両手を合わせてから食事を開始する。

 
調理師さんが自分のために作ってくれたご飯を
給食があるありがたみを
ゆっくりかみ締めながら
私は今日も給食を食べる。

 
 
教員にならなくても
幼稚園教諭にならなくても
調理師にならなくても
給食を食べられる仕事に私は就けた。
転職してもなお、そういった仕事に就けた。

夢は叶う。
思い続けていれば
思いがけない形で夢が叶うこともある。

私は幸せ者だ。

 
 
余談だが
学校、幼稚園、施設と働く場が違くても
かぶる時は給食メニューがかぶるし
当たりメニューの家族もいれば
外れメニューの家族がいる場合もあり
給食は食卓に影響を与える。

そして家族の時間に話題を与えてくれる。

 
 
大切な人と同じメニューを同じ場所で食べられるということは
当たり前ではなく
恵まれたことであり
幸せなことでもある。

 
「給食美味しいね。」

利用者と目を合わせ、笑い合う。




 





 
   

 

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