今年こそは、年末年始に郵便局でバイトをしよう
私の高校はバイトが禁止だった。
だが、学校にバレないような形でバイトをしている人はいたようだった。
三年生の秋に推薦で大学が決まった私は
合格の余韻に浸るのも束の間
母親から教習所に通って免許をとるように言われた。
車社会の我が県で生きるためには
車の免許は高校卒業までにとる人が大半で
マイカーを18歳で手に入れることも当たり前だった。
私は車に酔いやすいから、運転免許も車も特別興味はないし
大学は遠く、車通学できる距離ではなかった。
大学までは電車で通うことが確定していた。
だから今すぐ必要ということはなかったが
我が県で生きるためには、免許は必要不可欠とは分かりきっていた。
就職どころかバイトさえも
免許や車は必須に近かった。
職種によっては学歴より重視だったかもしれない。
大学生活は忙しくなるだろうし
高校卒業前に免許取得をするのは、正しい道だと分かっていた。
だから、教習所に通うことにした。
電車社会の他県大学に進学する人は、車の免許を早急にとる必要はなかった。
私の親友は都会の大学に合格した為
年末年始は郵便局でバイトをすることに決めた。
いいなぁ~…
私は免許よりお金が欲しかった。
私も年末年始は郵便局でバイトをしたかった。
だが、教習所とバイトの両立は厳しかった為
私は泣く泣く諦めた。
ところが、バイト募集を打ち切った後、ハプニングが起きた。
教習所側のミスである。
17歳の人は誕生日一ヶ月前からしか教習所に通えないルールだったのに
入会手続きをした方が私の誕生日をしっかりと確認しておらず
私は早々と、17歳の内に履修できる学科や実技を終えてしまった。
「18歳になるまで、これ以上先には進めないので、一旦教習所はお休みしてください。」
教習所側からはシレッと言われた。
私はガッカリした。
冬休み中に教習所のつもりだったから、郵便局のバイトを申し込まなかったのだ。
親友他大学推薦組はバイトだし
仲良い子はセンター試験を控えているしで
私は年末年始の予定がガラッと崩れた。
仕方なく私は、「ぼくの夏休み」というゲームソフトを友達に借りて
冬休み中に夏休みを満喫した。
コタツの中でみかんを食べたりしながら、コントローラーで「僕」を操作し、カブトムシを捕まえたりした。
冬休み中に夏休みを満喫したといえばしたが
どうせなら教習所に通うか、郵便局バイトをしたかった。
教習所に通いながらでも
バイトをしながらでも
隙間時間にゲームはいくらでもできるのが
大学合格者の特権だったのだから。
毎年冬になると、年末年始の郵便局バイトのお知らせが来たり
ポストには郵便局バイト募集の紙が貼られたりした。
私は高校三年生の時に郵便局バイトができなかったことが引っ掛かり
そのバイト募集の紙を何度も繰り返し、ジッと見た。
だが、郵便局バイトは時給が安かった。
確か最低賃金+20~30円くらいだったと思う。
そして私の中では郵便局バイトは高校生のイメージが強く
大学生になってからやるのも違うかなぁ…
と感じた。
だが、やはり心の中でくすぶった思いが消えることはなく
私は郵便局バイトの面接を受けることにした。
そして、バイトをすることはアッサリと決まった。
一年越しに夢が叶う瞬間だった。
我が家から郵便局は近く、バイト先には自転車で行った。
今までバイトは車か電車で行っていたので
自転車でバイト先に行くのは初めてだった。
年末年始の郵便局バイトは二種類あり
年賀状仕分けの方と配達の方がいた。
私は年賀状仕分けのバイトを希望した。
私と似た年頃の女性が仕分けのバイトを行い
若い男性が配達のバイトを行っていた。
特に性別は指定されていなかったが
業務上、仕分けは女性が好みやすく
配達は男性が好みやすい内容だったのだろう。
配達の方が時給は高かったが
私は最初から仕分けのバイト希望だった。
配達の方とは関わりがほとんどないから分からないが
仕分けの方は20人以上いた。
私はシフトは全日入れると希望し
郵便局バイトの後に家庭教師のバイトに行った。
一旦家に帰り、車で家庭教師のバイトに向かう形だ。
なかなかに充実した冬休みになりそうだと
私はスケジュール帳を見てニヤリとした。
郵便局バイトは、動きやすい格好(私服)で行く。
郵便局はいつも表からお客として入っていたので
裏口からバイトとして入るのが面白い。
裏口から入ってすぐの場所に長テーブルが用意されており
バイト生はそこに荷物を置くように指示された。
ストーブがあるが、全体的に寒い。
椅子はいくつかあるが、人数分には足りない。
手袋をとり、ジャンパーを脱いだら
ただちに持ち場に移動した。
持ち場にはAさんがいた。
私達バイト生の担当者はAさんといい、Aさんはイケメンで若い男性だった。
変わった名字だったので、すぐに同じ自治会の親戚だとピンと来た。世間は狭い。
Aさんはバイト生を仕事量に合わせて、毎日何グループかに分け
それぞれ別の仕事を任せた。
時間帯や区切りのいいところで、仕事をチェンジしたりもした。
私達は指示通りに仕事をこなした。
まず、ポストに投函された手紙が大量にテーブルの上に広げられ
年賀状か年賀状じゃないかを分ける。
年賀状ではないものは、郵便局員の方が別場所に運ぶ。
次に、年賀状を、近場とその他で分ける。
近場というのは、この郵便局の配達区域か否かが基準になる。
住所も一応ザックリとは確認するが
郵便番号を元に、ほとんど数字だけ見てサッサと分ける。
配達区域内の年賀状を束にした後は
東西南北が棚で塞がれた場所に移動し、仕分けをする。
東西南北それぞれに置かれた棚はマス目状になっていて
郵便番号の下の桁と地区名が書かれている。
年末年始の仕分けバイト生の業務はこの仕分け作業がメインであり
私はこの業務が一番好きだった。
次から次へと
下の桁と住所を見て、棚に入れていく。
左手で年賀状の束を持ち
サッササッサと棚に入れていく。
数字と住所で分けていけばいいだけだ。
このグループ分けが楽しい。
たまに、年賀状に立体的なシールをベタベタ貼っている方がいて
そういったシールは手に引っ掛かったり
棚に入れる時に気を使った。
「あぁ~これ、プクプクシールだぁ………。」
年賀状は基本内容は見ないし
せいぜい字が達筆かどうかとか
住所と郵便番号が間違っているとか
そんなことくらいしか見ないが
プクプクシールだらけの年賀状に関しては
シールを見る目的で、ややじっくり見た。
シールが剥がれたら大変だ。
作品が台無しになる。
年賀状を書いた人はかわいらしいレイアウトでシールを貼り
届いた方に笑顔になってほしいはずなのだから。
シール以外で年賀状を凝視するのは
住所が最後まで書かれていなかったり
郵便番号が途中までしか書かれていないケースだ。
今でこそ郵便番号は7桁だが
昔は5桁だったので
面倒くさがり屋な方や年配者の方は
5桁だけ書いて投函しているようだった。
まぁ確かに5桁しか書かれていなくても
郵便番号が書かれていなくても配達区域内ならば
まぁまだ仕分けはしやすいのだが
県外の年賀状で郵便番号を全く書いていないケースだと
うーむ…
となる。
基本的に配達物に手は加えないが
そういったケースの場合
郵便番号一覧表をペラペラめくり、付箋だか年賀状だかに郵便番号を書く手間が派生する。
まだスマホがなく
携帯電話でネットを見ない時代である。
ササッとGoogleで調べられないのだ。
だから、年賀状を書く人は「まぁ、いっか。なんとかなるだろう。」というノリで
あえて五桁しか書かなかった場合もあると思う。
だが、私は思うのだ…
そういった無責任な「なんとかなる。」思考の方のとばっちりを受けた方が
責任を持って、「なんとかしている。」のだ。
郵便番号や住所がしっかり書かれていない場合
仕分け担当や配達者が少し困ると身をもって体験し
自分も手紙を書く際は十分に気をつけようと思った。
大抵は、仕分けをしている間に次から次へと追加分が渡され
棚の前で立ちっぱなしで黙々と作業を行う。
座ることも声を出すこともなく
周りからは作業や仕事の音だけが響く。
私は地道な淡々とした作業が好きなので
数時間やっていても飽きることはない。
難点は休憩スペースとトイレが
とにかく寒いことで
休憩時間はジャンパーを羽織り
みんなでストーブの周りに集まる。
たまに郵便局員の方がお菓子やみかんをくれたので
それを食べたりもした。
仕分けバイト生はたくさんいるが、休憩時間は5分とか10分とか短いものだし
お互いに交流はしなかった。
今の私ならば馴れ馴れしさが上がったので話しかけると思うが
10代の私は、その場限りの出会いになりそうな状況だと
心のシャッターを閉じがちだった。
習い事や短期バイト先で
友達を作りたいと思うことはなかったのだ。
地域ごとに仕分けした年賀状は
更に別場所の棚で、立ちながら細かい分類作業をして
それが終わったら最終仕分け作業の
各家庭ごとへの分類が始まる。
この、各家庭ごとへの分類作業に関しては
仕分け作業で唯一座れる業務なのだが
私は仕分け作業でこれが一番苦手だった。
必ずしも、座れる仕事が楽、ということはない。
各家庭に分ける作業エリアには
学校のように個人サイズの机と椅子がある。
自由席ではなく、郵便局員の方に担当地区を指示され、指定された席に座る。
木でできた横長の仕切り付きラックのようなものに
配達区域別に、各家庭分ずつまとめ、輪ゴムで止める。
複数の家庭が一覧表に載っているので、それを見ながら、年賀状の束をラックに分けていくのだが
これがなかなかに大変なのである。
何故かというと、大抵近所に同じ名字の方がいた。
例えば8人家族の佐藤さんちの斜め向かい側に6人家族の佐藤さんが住んでいて
更にその近くにも佐藤さん夫婦が住んでいたりした。
一覧表を見ながらでも、なかなかに難しい。
どの佐藤さん!?
と、ガチで混乱する。
手書き年賀状によっては
字の良し悪しで名前や住所が読みにくかったりもするし
これが最終仕分けとなると間違える訳にもいかず
更に緊張してしまう。
更に、佐藤さんちには別名字の方も同居していたり
佐藤さんちのお子さんは今は一人暮らしだったりと
一覧表には細かく※印が付け加えられている。
転居を知らずに元住所に書いているハガキをはじくのも、仕分けバイトの役目だ。
このハガキは別場所に寄せる。
仕分けバイトは残業なく、時間ピッタリに終わるが
年末に近づくと
希望者は残業ができる。
残業代は出るし、稼ぎたいし、自宅が近い私は大抵残業したし
場合によってはその後に家庭教師に行った。
仕分けモードから、先生モードに切り替えるのはなかなかに大変だ。
私は先生用に私服を着替える。
さっきまで年賀状を無言で仕分けしていた私が
今度は「ここにXを代入して」なんて先生をやっているのだから面白い。
当時、私は中一の女の子と中三の受験生の男の子を受け持っていた。
中一の女の子は週に二回で、私に毎回ケーキやお菓子を振る舞い、小まめにお寿司などをお土産にくれた。
学校や塾に馴染めない子で、ちょっとヤンチャだったらしく、家庭内で暴れたりもしていたらしい。
家庭教師や塾の先生に嫌がらせをしていたらしいが
何故か私にはすんなりなついたらしいし
私から見た彼女は、そういったタイプには全く見えなかった。
ご両親は私に「娘をお願いします!」と、毎回ペコペコ頭を下げた。
ケーキやらなんやら、やたらと優遇されたのも、そういった背景だった。
お陰で、体重はみるみる太った。
美味しいが、ありがたいが、太った。
中三の男の子は週に一回で、大人しくて真面目で口数が少なく、私ばかり話していた。
思春期真っ盛りの男子だったのだろう。
私の記念すべき初家庭教師の生徒さんで
ご両親は優しかった。
中一の子も、中三の子も、そして私も
それぞれにやることのある冬休みだったとも言える。
初めて生徒さんから年賀状をもらって(手渡しだったが)、嬉しかった記憶がある。
年が明けると、年賀状の量は段々減っていき
バイトがもうすぐ終わることを肌でも感じた。
バイトが終われば、また大学が始まった。
毎日が忙しくて、充実した年末年始だった。
私は次の年も、郵便局で仕分けバイトをした。
去年受け持っていた中三の男子は本命高校に受かると同時に私の役目は終わり
中一の女子は、家庭教師希望日に私は講義が重なって受け持てなくなり
二人とも、春でお別れとなった。
その後は新たに中一の女子と中三の女子を受け持っていた。
だから一年後郵便局でバイトしていた時
やはり家庭教師+郵便局でバイトというWワークであることに
変わりはなかった。
Aさんはその年も担当者だったし
郵便局の勝手も分かり、仕事内容も分かっていたので楽だった。
やはり高校時代にここでバイトして、よりお金を稼ぎたかったな…
と思ったが
悔いても時間は戻らないし
私はただ黙々と仕分けをした。
配達のバイトの方は仕事でミスをして
たびたび怒られていた。
そんな姿を見るたびに、時給が下がっても仕分けバイトでいいと思った。
Aさんは優しく、仕事説明は分かりやすかったし
仕分け員を一回も怒らなかった。
私の地域は、雪が降るのは年に数えるほどだが
私が郵便局でバイトした二年間は
たまたま年末年始に雪が降った。
雪が降る中、バイトをしていた。
チラチラと降る雪や久々に積もった雪を見ながら
配達は大変だよなぁ…
と感じた。
大変なことは多少あったが
室内で仕事をしている方が私は性に合っていると感じた。
それからも郵便局で年末年始にバイトをしないかお知らせが届いたり
毎年冬が近づくとポストにバイト募集の紙が貼られたが
私はもう、郵便局で働かなかった。
その後、私は家庭教師と別のバイトを掛け持ちしていたし
就活や大学院受験勉強が忙しい時期にも入ろうとしていた。
就活が忙しくなる前にある程度時給が高いバイトで稼いでおきたいという気持ちが先にあった。
郵便局のバイトは楽しかった。
ただ、いかんせん時給が安すぎた。
郵便局の仕分けバイトが最低賃金+20~30円に対して
家庭教師の時給が最低賃金の3倍だった。
私は成長と共に、割のいいバイトを求めるようになってしまった。
学校を卒業した私は福祉職として働き出し、11年働いた職場を、今年退職した。
いつ転職先が決まるか分からない為、バイトはせず
失業保険で暮らしていたが
転職先は決まらずに冬を迎えた。
今年、久々に郵便局のバイトをやるか迷ったが
転職先がいつ決まるか分からない為、身動きがとれなかった。
だから結局、応募はしなかった。
今年も郵便局では、マスクをつけたバイト生が
黙々と仕分けをしているのだろう。
私が先日投函した年賀状は仕分けされ
1月1日に配達されるよう、郵便局のどこかで
息を潜めて待っているのだろう。