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マイクで昼寝を推奨

私が中学二年生の頃、ベテランの美術の先生が産休に入り、新しい若い先生が来た。
自身を先生とは言わず講師と名乗っていたから、夢は正規雇用ではなく、芸術で食べていくことだったのかもしれない。
 
 
その先生は個性的だった。

美術室があるにも関わらず、青空授業ではないが、校庭にある森の中で授業をしたことがあった。
うちの中学校は森の中に石でできた椅子がいくつかあるエリアがあったが、使ったことは三年間でその時だけだ。
木々の隙間から差し込む光や緑、そして青空こそが作品作りに必要な色々を養うと言っていた。
抽象画を求めたりと、明らかに今までの美術の先生より難易度の高いテーマを与えられた。
今までの美術の先生のお題は、教科書に沿っていた、自由度はあるが難易度は高すぎないものだった。
 
 
私は先生が変わるとこうも違うのかとワクワクした。
与えられたテーマは型破りなものばかりで、今までの先生のやり方に慣れた人や美術が苦手な人達は困惑していたが、美術が好きな私はその斬新さが面白かった。

授業は先生の好みやカラーが出る。

私は新しい先生の発想や取り組みに好奇心いっぱいだった。

 

美術は好き嫌いが分かれる。

懸命に作品作りに取り組む人もいれば、お喋りしたりふざける人もいる。
あの日はあたたかい陽射しが差し込む美術室で、画用紙に向かって私が色を重ねていた時だ。
眠っている人もいた。そんな時に先生は言った。

「授業中、5分間だけは寝ていいぞ。」

…………え?


私は作品作りをやめて顔を上げた。

「眠い中無理して何かに取り組んでも効率は下がるから、先生の授業中に関しては居眠りしても構わない。先生の授業が眠るほどつまらないなら先生の責任だ。5分間だけでも寝ればそれだけでスッキリして効率が上がるから、寝たかったら寝てもいい。」

先生は怒っていたわけではない。
実ににこやかにそう言った。
そして確かに授業中誰が寝ていても先生は咎めることはなかった。
 
 
教室はざわついた。私は衝撃的だった。
授業は起きて真面目に受けることが前提で、居眠りは不真面目の象徴で怒られるべきものだと認識していた。
それは今までの私の価値観を覆す意見で、私はそんな見方があることを考えたこともなかった。

実際、先生は「自分の授業では」と告げていたし、これは先生個人の意見で、しかも臨時教員だからこそ言えたことなのだと私は思った。
人によってはこれを問題発言や不適切な発言と捉えるだろうし、学校側が知ったら間違いなく指導が入るだろう。

その先生がやがて学校を去り、産休の先生が復職してもなお、私はその言葉が頭から離れなかった。

 
 
高校二年生の頃、校内で弁論大会があった。

小学校や中学校で弁論大会という行事がなかった為、「高校生っぽいなぁ。」と私は感じた。
弁論大会は高校生以上が参加する大人のイメージがあった。

私は友人や先生からクラス代表で弁論大会に出てみないかと提案された。

多分それは私が学級委員会のメンバーをやっていたからだと思う。
高校は学級委員・副学級委員・書記・会計・庶務と5人で構成されており、私は投票により二年間庶務を務めていた。
響きはかっこいいが、学級委員会の中で一番何をやるのかよく分からない庶務係を、私は雑用係と解釈していた。
 
投票で庶務係に決まったぐらいだ。
クラスメートは今回も「(自分らは弁論大会出たくないし)ともかちゃんは作文得意だから代表で出たら?」という思いもあったと思う。
私の周りでは張り切って学級委員になる人は少数派だし、弁論大会に自主的に出たい人も聞いたことがなかった。
弁論大会は各クラス代表者一名しか出られない。

「この前の作文も上手かったし、ともかさんなら面白い弁論大会にしてくれると思うんだよね。」

担任の先生がにこやかに言う。
私はおだてに弱い。文章を褒められることに非常に弱い。
褒められたり推薦されることは嫌な気分はしなかった。
確かに私は弁論大会数ヶ月前に書いた作文が学校代表で選ばれた(地域緑化対策がテーマだった)。


私立高校で進学校だ。
とにかく偏差値を重視していた学校だった。
どの大学を志望し、どの大学が合格圏内かはその後の入学希望者数を左右することから、学校側はピリピリしていた。

私は小学校、中学校では上位の成績だったが、高校に入学してからは中の上だった。
どんなに頑張ってもトップクラスの成績にはなれなかった。

上位の成績がとれないことで嫌な思いや悔しい思いをたくさんしてきたが、弁論大会でなら活躍できるかもしれない。
私には作文という武器がある。

 
せっかくの人生初の弁論大会だ。
高校三年間の生活で弁論大会は一回しかなかったこともあり、どうせなら出場してみようじゃないかと私は意気込み、参加を了承した。

 
 
弁論大会のテーマは特に指定はなかった。

確か一人三分以内に話すとか、時間制限はあったような気がする。

私は弁論大会で、中学時代のあのエピソードを話すことに決めた。
担任の先生に相談すると先生も乗り気で、他国では仕事中に昼寝時間がある企業もあると教えてくれた。
いいことを聞いた。それは是非内容に盛り込もう。
添削を重ね、ついに「睡眠と私」の文章は完成した。
弁論大会の為、私は自宅で読む練習をした。

 
 
弁論大会は講堂で行われた。 

イタリア製の椅子が自慢とやらのその講堂はコンサートホールのような美しい作りで、床は上品なワインレッドだった。
当然だが、田舎の中学校の体育館よりもっと立派でもっとたくさんの人が収容できる為
中学時代に劇で主役をやった時とはまた違う緊張が私を襲った。

高校でステージに立つのは初めてだった。

出場者がたくさん控える中、いよいよ私の出番になった。
予行演習は一切ない。家で練習したことが全てだ。
たくさんの人がステージを見守り、光が眩しすぎるステージをぎくしゃくしながら歩く。
ステージの袖から出た私はステージ中央を目指し、マイクを握った。

“「睡眠と私」 真咲ともか 

食欲・睡眠欲・性欲。
これは人間三大欲求だ。”

 
私はゆっくり、かつ大きな声で第一声を発した。
中学時代のエピソードを元に、日本の学校や企業でも昼寝の時間を取り入れることは効率化を図ることに繋がるのではないかということを述べた。
無事三分以内に話をまとめることができ、弁論が終わった後は大きな拍手で会場は包まれた。

あとは他の人の弁論を聞くだけだ。

 
出場者はたくさんいたが、みんなが話す内容はボランティアや介護、少子高齢化といったテーマばかりで
誰一人として睡眠について話す人はいなかった。

最優秀賞は青年海外協力隊について述べた方になり、私は入賞せずに終わった。
やはり授業中の居眠りエピソードは学校受けはよくないのだろう。

 
弁論大会の後、クラスメートや他クラスの友人が私の元へやってきた。

「ともかちゃんの弁論、最高だったよ!一番面白くて笑っちゃったよ!個人的にはともかちゃんが優勝だよ。」

私の弁論は周りの友人には好評だった。
照れくさいが、やはり自分が書いた文章やその表現を周りから褒められるのが私は何より嬉しかった。
 
 
 
しかしテーマが自由とは言え、他の生徒が立派な奉仕の精神を述べていた時に睡眠がテーマはまずかったかな。
担任の先生が許可したとは言え、私のことで先生の立場が悪くならなかったろうか。
私は弁論大会中、他の先生方の微妙な表情や反応を見て今更ながらに心配になった。
私が担任の先生を見掛け、声をかけようとする前に先生が振り向いた。笑顔だった。

「いや~良かったよ!やっぱりクラス代表はともかさんにして正解だったな。賞はとれなかったけど、先生はな、ともかさんの弁論が一番印象に残っていて、好みだなぁ。お疲れ様。」

私は先生の言葉を聞いて目を潤ませた。
先生の寛大さに嬉しくなり、また胸が痛んだ。

 
私は先生の授業中、よく居眠りをしていた。
先生のことは好きだし、先生の授業も面白かったが
お弁当を食べてからの午後一の授業、窓際の日当たりの良い席は眠気を誘った。
授業に遅れないようにと予習・復習・宿題の山と戦い、遠方の高校に通っていたことから、私は常に寝不足だった。

私が睡眠をテーマにして弁論大会に臨もうと初めて伝えた時も「ともかさんらしい。いいね(笑)」と担任は爆笑した。
私立の進学校にいながら、担任の先生は実に変わっていた。
学校側は偏差値をいかに上げるかに躍起になっていたが、担任の先生はその方針を忠実に守って頭ごなしに勉強を押しつける人ではなかった。

「勉強はもちろん頑張ってほしいけど、それ以上に今できることややりたいことを大切にしてください。」とよく私達に話していた。

人気が非常に高い、生徒に寄り添う先生だった。
話を聞くと先生も若い頃に色んなことに挑戦していたようだった。
この担任の先生だからこそ、私は私らしいテーマでこの時自由に表現できたのだと思う。
先生に心から感謝したいし、授業中の居眠りを心から詫びたい。

 
 
 
私はやがて社会人になり、昼休み中に昼寝をするようにはなった。
15分横になって目を閉じるだけでも体は軽く、午後の業務も頑張れた。

ちょっとおやつを食べたらエネルギーが補給できるように
ちょっと昼寝をするだけで心身は楽になると私は思う。

 




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