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ブラック部活

中学二年生の時の話だ。
先輩の引退試合の後、みんなの前で任命されて私が新部長になり、ある人が副部長になった。
みんなが座っている中、部長と副部長は立たされ、拍手の中で歓迎されたかに見えた。

それが想像以上に厳しい新しい試練の始まりであった。
 

私の部は朝練を毎朝していた。
授業が始まる前に体育館に集まって練習していたのだ。
ところが女子部員は私以外朝練に来なかった。
促したところで
「朝早くて起きられない。朝早くから練習なんてかったるい。」そういった言い草だった。

私の部は県大会常連校だ。特に男子が圧倒的に強い。
個人でも団体でも県大会常連で、一番強い人で関東大会まで行っていた。
男子は専門雑誌を定期購読していた人もいたし、有名な選手の練習会に参加した時、サインをねだっていた人さえいた。
部員数もとても多く、練習に真面目な人が多かった。

 

一方女子はというと、レベルは徐々に落ちていた。
二歳上の先輩がいた時代は女子も県大会に行ける場合もあったし、個人戦で部長や姉(副部長)も県大会に出場していた。
私の二歳上の先輩は部員数が多く、総数として女子部員が多かった。
レギュラーになれなかった人も当然いた。
だが、一歳上の先輩はあまりいなく、私の同級生もあまりいなく、私より一歳下の部員は一人入ったがやがて辞めた。
二年生の先輩は団体でも個人でも一回も県大会に行けなかった。
私が新部長になってからも同様だ。私の学年は更にレベルが低かった。

三年生が辞めた時、私達1年生も団体戦で何人かがレギュラーになれたし
私が新部長になった時には部員全員がレギュラーだった。むしろ、後輩が一人辞めたことで、のちに相手に白星を一つ譲らなければならないという、団体戦で致命的なハンデがあった。

部員数が少なく、実力もなく、だけど広い部室が女子にはあった。男子は体育館の隅に荷物を置いて着替えていた。

 
 
こんな状況で新部長の私以外女子が朝練に来ていないとなるとどうなるか。

まず、顧問の先生に「お前がしっかりまとめないから悪い。」とコテンパンに怒られた。
ブラック企業ではないが、ブラック部活と言っていい。

そして真面目な男子部員にもひんしゅくを買った。
私は冷たい目で見られ、「これだから女子は。」と悪態をつかれた。

他の部員に声をかけてもやる気のない返事か、遅刻して朝練に来るといった形で、時間に間に合うように来ていた私は立場がなかった。

 
朝練は先生が来るまで一対一になって打ち合いが普通だった為、先生が来て団体練習に入るまで、私は一人で壁打ちをしていた。
空しいことこの上ない。
男子全体がそんな状態だ。男子新部長とも私は折り合いが悪かった。
そんな時に男子副部長は私に声をかけてくれて、一緒に練習できた。
だから私は今でも男子副部長に大変感謝している。小学校からの同級生だが、彼は非常に優しく誠実で頭も良かった。
のちに初めての彼女と10年以上付き合ってゴールインして夫婦で家を継ぎ、子沢山というのも納得だ。
彼ならあたたかい家庭をきっと築ける。

なかなか中学二年生で、男女部内がこんな状態で私に声をかけるのは勇気がいる。

 
 
私は新副部長の子に当たった。

「お願いだから朝練に来てよ。私、ずっと一人なんだよ!?副部長でしょ!?」

副部長の子は学年の中で一番下手だったが、私と同じように真面目だった。
真面目さを買われて副部長に任命されたのだろう。
だが、同級生の中で一番気が弱い子でもあった。

ここが先輩時代と違かった。

今までの部長と副部長は実力ナンバーワンとナンバーツーで、真面目だったり、自分なりの意見を持った人が任命されていた。
真面目にやっていても試合で勝てないから他のサボッている部員に舐められてもいたし、おどおどした態度のため見下されてもいた。
朝練に来ると周りから何か言われるかもしれないことを恐れたのかもしれない。

私が言ってからも、副部長は来なかった。

だから私は朝練を通して、男子部員との方が徐々に仲良くなってしまった。
私はやがて、サボる部員よりも副部長なのに朝練をサボる彼女の方に苛立ちを感じた。
相変わらず私は顧問の先生にみんなの前で怒られてばかりで、サボる部員は見放されたのか怒られもしない。悔しかった。

 
 
ある日、事件は起きた。

いつものように部室に行くと、部室内の物は全て室外に出され、男子が荷物を置いていた。
顧問の先生の指示だった。
もちろん理由は

女子部が不真面目だから

である。
文句の言いようもない。
顧問の指示に従い、部室の鍵を男子部長に預けた。部室の鍵の管理は部長である私に託されていたのだ。

 
顧問に謝罪しても許されるわけではなく、またしてもこっぴどく怒られた。
怒られたのは相変わらず私ばかりで、副部長の子は言われない。
しばらくの間、着替えは更衣室で行い、荷物は体育館の隅に置いた。
一年生の男子から「女子はやる気ない。」とひとくくりにされたのも悔しかったし、「そんな女子をまとめられない新部長」とレッテルを貼られたのも辛かった。
私の苛立ちはピークに達した。

「ねぇ部室とられたんだよ?なんでこうなってまで、朝練には来てくれないの!?副部長でしょ!?」

私は怒鳴った。
怒鳴ったけど、彼女は「ごめん…。」とうなだれただけだった。
朝練も遅れて来ればいい方で、来ない日もあった。

 
私は我慢の限界をむかえ、彼女の顔を見たくないし、話したくもない状態になった。

 
皮肉なことに、この時期はサボッている子との方が距離は縮まった。
サボッてはいるが、以前のように個人的にいじめられているわけではない。
他校との練習試合が盛んで、他校の生徒とも仲良くなった。

 

 
険悪な状態になってから一ヶ月以上経ってから、またしても私は顧問に怒られた。

「お前は部長のくせに何やってるんだ!」 

部長と副部長の確執のはずが、またしても私だけ呼び出されてこっぴどく怒られた。
二人呼び出して怒ればいいのに私だけ怒られた。
顧問のやり方は私にとって何もかもが逆効果で、信頼関係など築けるはずはなかった。

 

顧問の先生から仲直りするまで練習禁止令が出され、体育館裏で私は副部長の子にしぶしぶ謝った。
副部長の子もそれを聞いて泣きながら謝り、表面的には仲直りをした。 
副部長の子はこれで終わった話だったのだろうが、私の中では「もう期待はしない。」と見限った意味での終わりだった。

それを機にようやく部室も返された。

 

私が三年生の時には一年生が過去最多で入部した。
一年生はみんな真面目で初々しく、女子部は活気づいた。
私は特に二人の子が明るく真面目で筋があると入部早々思っていた。
私が部長を引退し、顧問が新部長と新副部長に任命したのはまさに彼女らだった。

彼女らならきっと私よりいい部長や副部長になり、部をまとめてくれるだろう。
私は結局最後までみんなをまとめきることができなかった。

先輩がいない、一年生だけで構成される部がこれからどうなるかは分からないが
私はようやく部長から解放されたことが素直に嬉しかった。
部活内容自体は大好きで楽しかったが、部長という役割は私にはとても重かった。

 
私が引退した後、女子部のみ朝練がなくなった。
今でも私は朝練がなくなるタイミングが悪かったと思っている。


 







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