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何にも悩まないために”空っぽ”であるということ

「悩みがあって…」

「かくかくじかじかで、悩んでいるんです。」

そんなふうに何かを抱えている人は多い。むしろ何も抱えていない人なんていない。

人は、何かしらを抱えながら生きている。

僕もその一人だ。何かを抱えながら生きている。でも僕は、特に抱えている感覚もないままに今は生きていられている。

どうしてだろう。

仕事のことに。やりたいことができないことに。周りと比べて自分が劣っているんじゃないと思うことに。親子関係がうまくいかなかったことに。妻さんとのセックスレスに。あれだけ悩んで、苦しんでいたのに、今どうして悩んでいないんだろうと思った。

書くことで自分と向き合い続けているから、わかる。

きっともう僕は空っぽで、”気にしていない”んだ。

悩みを抱えても、悩むかどうかは自分で決める

僕らは悩みを持つと、悩んでしまう。

今自分が抱えている悩みは、何だろうか。

恋人とうまくいかないことだろうか。仕事でミスしてしまったことだろうか。なかなか動き出せない自分に焦ってしまっている人もいると思う。誰かとの人間関係に悩んでいるかもしれない。

人は今がどんなによくても、少し経てばそれに慣れてしまうし、もっとよくなろうとして、今よりもっとを求めて、また悩みが生まれる。悩みを生み出すこと自体はきっと止められない。これを”悩み”だと思う。

「どうしよう」「このままだとまずい」「もうどうしようもない」「自分なんてダメなんだ…」

そんなふうに悩みを抱えたとき、ただ自分を卑下するような言葉を自分の中で唱えて、自分が悪いんだと思って、自分が自分自身を傷つける。これを”悩む”だと思う。

悩みは、必ず生まれる。

でもそれを悩むかどうか、もっというと”悩み続けるかどうか”は自分で決められると僕は思う。

だから僕はいつも、「うわあ、今おれ悩んでるな」って思う。

そりゃあちょっとは悩む。気分が沈んだり、落ち込んだり、表情が暗くなってしまうときはある。

その後には必ず「でも悩んでも、悩むだけだからな」と思う。

これまで悩み続けても答えは出なかったし、今まで悩んでもどうしようもなかったことを思い出す。

悩みは”考えて動いたことで、なくなっていった”ことを、ただ思い出すんだ。

だから悩みは悩みのままにする。その代わり悩まずに(ちょっとだけ悩んだあとに)、考えて動くことを選ぶ。

さて、どうしようか。

そしたら僕は悩みを抱えて生きていけるようになった。

気にしない勇気

大事なことは、たとえ悩みが生まれたとしても、ちょっと悩んだとしても、「悩みは抱えて生きていけるんだ」と思えることなのかもしれない。

ちょっと思い出してみる。

「あの頃、そういえば何に悩んでいたんだろうか。」

僕は高校生の時はバスケ部だったから、シュートがもっと入るようにと悩んでいた。数学が不得意で全然テストで解けないことも悩んでいたし、当時の彼女とうまくいかなくなって悩んでいたとも思う。

今はどうだ。あの時はあれだけ真剣に、それがすべてだと思うくらいに悩んでいたけれど、今はもうシュートも打たないし、数式も解かなければ、彼女のことを思い返すこともない(ときどきは思い出すかもしれない)。

大学生の最後は就職活動で落ちまくって、心底悩んでいた。(拾ってくれた消防署には本当に感謝している。安心できて悩みを無くしてくれたから。)

少し前だったら親との関係にも、妻さんとの関係性にもものすごく悩んでいたんだ。

でも今は、抱えている。そのまま抱えて(そのほかにもたくさんあったはずの小さいことは忘れて)、悩まずに生きている。

もう僕は”気にしていない”んだ。

ちゃんとあるけれど、なくなってはいないけれど、気にしなければ悩まない。

僕らに必要なのは、きっと気にしない勇気なんだよなと思う。

気にしない勇気を持つ方法なんて一つしかない。

小さな、小さなことから、気にしない練習をしていくだけだ。

ちょうど筋トレと同じように。腕立て伏せを100回やろうと思うなら、1回からスタートしなくちゃいけない。それを少しずつ伸ばしていくしかない。

それとまったく同じことなんだ。

僕は”空っぽ”だ

結局は”勇気”の問題なんだと、僕は思う。

それから勇気を出すには、小さな勇気を積み重ねていくしないんだと思う。

勇気が出せるようになったら、悩みを抱えても、気にせずに生きていけるようになる。

そんな自分を”空っぽ”だなと思う。

でもそれは、”何もない”というわけじゃない。

ただ”器がある”という感じなんだと思う。自分は容れ物であるのような感覚かもしれない。

自分はいろんなことを感じるし、いろんなことを考える。

でもそれがすべてではない。すべてを受け止めておく必要もない。

器なのか、容れ物なのか、いったん受け止められる”許容”ができれば、それでいいんだと思う。

だから悩みもいったん受け止めて、必要ないと思えば器から流してしまえばいいし、抱えることになるならば器を広げて一部にしてしまう。

そうするとどんどんと器が広がっていくし、入ってくるものはどんどんと大きなものになっていく。

悩みとか、何か出来事を”いったん受け止められる”ようになれたらいい。ずっと受け入れて、受け止めておく必要はない。溜め続けていたら器がいっぱいになって、苦しくなって、しまいには溢れてしまう。

人の体が器だったとしたら、涙として出るのか、感情がコントロールできなくなるのか、壊れてしまうこともあるのかもしれない。

だからきっと”空っぽ”がいい。

受け止めて、流せるものはその場で流す。抱えるものは悩まず、気にせず、器の一部にしてしまう。そうやって受け止めておける量を広げる。

空っぽって、きっとそんな感じ。

いつだって少しずつだから。でも少しずつ広げてきたから空っぽでいられる。

何にも執着しない。反応しない。判断しない。コントロールしない。

いいも、悪いもない。そんなもの、ただの言葉で。いい感じかどうかを感じられる自分の心だけがある。いったん受け入れられるかどうかの器だけがある。容れ物としての自分がある。

大事なものを大事にしながら、空っぽでいる。

空っぽでいようなんて思わずにいれたら、それが本当の空っぽなのかもしれない。

いいも、悪いもないね。全部あるから。どっちが、とかないから。自分の中にあれば、それで十分だから。

少しでも、空っぽっていいかもなと思えますように。


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