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僕たちにとって、書くことほどの自由はないんだ

書くことはどこまでも自由だ、と僕は思う。

noteに書くことができて、Twitterに書くことができて、他にもどこでも、いつでもスマホやパソコンを使って、僕たちは書くことができる。

ペンで紙に書くことができる。ノートにも、手帳にも、日記にも自由に書くことができる。

僕たちは今日も書くことができる。

昨日も一昨日も書いていなかった。いや実際には書いていたんだけれど、こうしてまとまった文章を書いてはいなかったから、なんとなく書いていないなー、と感じていた。

でもこうしてまた書くことができている。やめていなくて、書いていないことこともなくて、いつだってまた書き始めることができるし、書き出すことができる。書くことは、どこまでも続いている。

なんでも書くことができる。

何について書いたっていい。

もちろん特定の誰かを誹謗中傷したり、書いてはいけないことはあるし、書かないほうがいいこともある。

でもそれも本当は書いてもいい。誰かの目に触れなければ。自分だけに留めておけば、きっとこの世の中に書いてはいけないことなんてないんだ。

だから、何を書いたっていい。

誰かの悪口でも、自分をただただ褒めまくる文章でも、言いたいことがあって意見でも。やりたいことを書きなぐってみたり、好きな人への想いを書き出してみるのもいい。

書くことは、自由だから。僕たちは自由に何でも書くことができる。

どこまでも書くことができる。

書くことに制限はない。140文字とか、4000文字とか。決まっている文章量があることにはあるけれど、そんなものは本当はない。

書きたければ僕たちは1文字でもよくて、100文字でも、1000文字でも、1万文字だろうと。どこまでも書いていくことができる。

どんなに長くても、何回も同じようなことを書いていようと、まったく意味が伝わらなくとも。

本当にどこまでも書いていくことができるんだ。

「ああ、自由だ。」

書くたびに僕は思う。

いつだって、どこだって、どれだけだって。僕たちは書くことができる。

書きたい僕たちにとって、書くことがあるならば、自由だ。

好きなことを、好きなだけ、書くことができる。

好きなことを、好きなだけ、好きでいられる。

僕たちは、自由だ。

そもそも僕たちは自由なんだけれど、なんとなく自由ではないと感じていて、自分は自由じゃないと思っているかもしれないけれど。

僕たちは、自由なんだ。

書きたい僕たちは、書くことができているから、どこまでも自由だ。

もし自由じゃないのだとしたら、それは書きたいことを書けていないときで。誰かに書かされている文章なのか、言いたいことがあるけれどどう言葉にしていいかわかならないからなのか、思うように文章が書けないときにもしかしたら、書きたい僕たちにも自由じゃないと感じるのかもしれない。

でも、ちゃんと自由だよ。

書けている。書くことができる。いつだって、どれだけだって、どこまでも。書くことができる。

書いている僕たちは自由だから、自由に生きれている。それから自由に書くことができる。

書き続けよう。自由でいるために。自由なことを噛み締めながら。

今日も書けた。明日も書こう。やめなければ続いていく。自由だから。


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