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臆病と高慢

年を重ねるごとに、人は自分の経験や知識に固執する傾向にある気がする。

例えば、わたしの身近にいる上司や同僚もそうである。固執してしまう理由は、経験や知識はその人がこれまで生きてきた証のようなものだから、それを否定されることで自分がこれまで蓄積してきたものが全てなし崩し的になってしまうからではなかろうか。

先日撮り溜めたAnother Skyを見ていたら、Avexの松浦勝人さんが出演していた。

松浦さんは、これまで浜崎あゆみ、Every Little Thing等多数のアーティストを手掛けて一躍有名人となった。元は小さなレコード店から働き始め、そこから一気に才覚を表したのだという。どうやら結構な苦労人だったらしい。

松浦さんのエピソードを聞いていくうちに、彼は近い将来引退することを視野に入れているという。「世間から評価されなくなった時=自分の感性が時代が求めるものとズレが生じるようになった時」だという。

昔はあんなに無邪気だったのに、サンタを信じる心だって持っていたはずなのに、いつの間にか現実は現実の世界として夢見ることを見失いがちになってしまう。それがもしかしたら世間一般でいう大人になる、と言うことなのかもしれないけれど、明日を考えてワクワクする感情を失ったら一気に年老いてしまう気がする。

確実に昔よりも今の方が時間が経つのが早くなってしまうと思うのはわたしだけではないのでは。(そうと思いたい)やけに1日1日が昔より長く感じてしまうし、瞬きを何回かしたと思ったら次の日だったと言うのも何度かある。

わたしの中で、その時間の感じ方の違いというのは、きっとその人の経験値というのも結構関係してきてしまう気がする。経験としてすでに見知ったものがあると、どうしても新鮮さというのは失われていく。

新鮮さが失われる中で、自分という核が作られていく。それは同時に自分のスタイルをそう簡単にはねじ曲げることができなくなっていくことも意味しているような気がする。

わたし自身も、もしかしたら後輩や同僚に対して同じように振る舞ってしまっていることも、あるのかもしれない。年を重ねることによって、人は高慢になる。そして否定されることに臆病になる。

だからまずは大事な意識として、

・自分のしていることは、他の人に本当に必要とされているのか
 (独りよがりの考えになっていないか)

・他の人の考えを柔軟に受け入れる思考を持っているだろうか
 (それはその人の年齢や知識の幅など関係なく)

ということを常に念頭において生きていく必要があるのではないか、と思った。

最後に、とある友人から教えてもらったフィッツジェラルドという小説家が作中で書いた言葉を書いて締め括ろうと思う。

手に入れたものを惜しげもなく手放せなくなるのが老いの始まり


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だいふくだるま
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