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苦くて、ほんのり甘いような

 ちょうど思春期の時期から成人に至るまでの期間、私たちはおそらくモラトリアムというような期間を経て大人への階段を登っていくことと思う。その時期には決して楽しいことだけではなくて、幾つもの障害や苦難を乗り越える必要がある出来事もきっとあったはずだ。でも歳を重ねるにつれて、次第に記憶は朧げになってしまう。

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 先日角田光代さんの『私はあなたの記憶のなかに』という本を読了した。本作品は、noteにてフォローさせていただいている方の寄稿した感想文を見て、非常に興味を惹かれたために早速図書館で借りて手にした次第である。全部で8編が作品の中に収められている短編集。

 いくつも収められた作品の中において、共通で感じたことは、いずれの物語も「遠い過去、心の隙間に刺さった一本の棘」として表現できるということ。(これは私自身が実際すべての短編を読み終わって感じたことなので、人によっては捉え方が変わるかもしれない)

■ どこか懐かしくなるようなガムの匂い

 最初の短編は、「私」と一時期ベビーシッターをしていた初子さんとのエピソード。初子さんは、「私」の知らない扉の向こう側の世界を色々と、半ば強引に開いてくれる人だった。初子さんと私を結びつけるのは、四角い箱に入った蜜柑味のガム。

 そういえば、昔甘味香味料がふんだんに使われた駄菓子が好きだったことを思い出す。なかなか距離を計りかねていた祖母に連れられて、よく近くの駄菓子屋さんで買ってもらったっけ。

 不思議と子供の頃に嗅いだ「香り」って強烈に幼い頃の思い出を突然フラッシュバックさせるんだよな、と思いながら。きっと主人公の「私」にとって、オレンジ味のガムもそんな風に大切な記憶を呼び戻す大切なトリガーだったに違いない。

初子さんが開けた扉の向こうの世界には、やってはいけないことなどただのひとつもない。(p.19)

■ 大切な人と共有する香り

 同じように香りを軸にして語られるのが、4編目に収められている『水曜日の恋人』という作品。

 なぜだかわからないけれど、1週間の中で一番自分の中でもどかしさを感じるのが水曜日。平日の中で中間となる曜日、まだ2日しか経っていないともいえるし、あと2日しかないともいえる。なんとも不思議な高揚感が私の心を満たす。

 語り手の前に突如として現れたいイワナさん。彼は自らのことをお母さんの恋人だと言うのだ。それから毎週水曜になると、お母さんとイワナさんと語り手の3人で一緒に食事をしに行くのだ。2人からはいかにも安っぽいシャンプーの匂いが漂ってくる。語り手はそこから2人の親密さを感じ取るのだった。

 なんとなく「3」と言う数字は黄金比率のような均整のとれたバランスが存在すると思っていて、そう考えるとイワナさんとお母さんと語り手という組み合わせは誰1人欠けてはいけない絶妙な関係性だったのかもしれない。

■ 思春期ならではの生きづらさ

 ときどき集団の中にいると、ふと自分が自分ではないような感覚に陥ることがある。そして大抵そういった考えが浮かび上がるときには、なんらかの息苦しさのようなものが漏れなくついてくる。まるで自分が水の中に沈んでしまっているような鈍い感覚。

 2編目の『猫男』、4編目の『神様のタクシー』、5編目の『空のクロール』においてはいずれも、そんな日常の生きづらさのようなものをそのまま体現したかのような登場人物たちの心の揺れ動きが、丁寧に描かれている。

 ほんとうは自分はこんな人間じゃないのに、そんな本当の自分との乖離を受け止めることができずもがいている。その姿はある人から見れば滑稽と言われるかもしれない。それでもふとそのまま大人になった時、がむしゃらにもがいてどこかに光を見出そうとしていた自分も悪くないのではないか、と言う気がしてくるのだ。

■ 人にはいえない、自分だけの秘密

 生きている上で、人はきっと多かれ少なかれ秘密を抱えて生きているように思う。もちろんその程度は大小様々であるが、特に自分が誰かに対して抱いた罪悪感は、一旦抱いてしまうと放り出すこと叶わずそのまま後生まで引き摺ることもあるのかもしれない。

 6編目に収められている『おかえりなさい』では、主人公が自分のアルバイトのノルマを達成するべく訪れるようになった、老婆との交流が綴られている。もともとは自己本位な理由で老婆の家を訪れるようになった主人公は、次第に彼女の気持ちに寄り添うようになっていく。

 昔『ジョゼと虎と魚たち』と言う妻夫木聡主演の映画を見た時のことを思い出した。あの映画を見終わった後の時のように、本作品においても胸の中には一抹のほっこりした感情とどこか表現できない苦い感情がない混ぜになって去来した。

■ 近くて、遠い

 思えば私が物心つく頃には携帯電話というものが普及していて、いつもの間にかそれが親しい人との連絡手段となっていた。だからよく昔の漫画なんかを読んでいると、寮には赤電話が一つ置いてあってそれでやりとりしていた、なんていう話を見ると、不便そうだとは思いつつ同時に羨ましいなとも思ったりする。

 7編目の『地上発、宇宙経由』という物語の中では微妙に立場の異なる複数の人々が、ひょんなことからメールを通してやりとりを交わすというエピソードとなっている。その物語の展開の仕方が絶妙で、それぞれの人生の一欠片を掬って覗き見るような、そんな気持ちにさせられた。

運命は今や、遠いどこかにある強力な吸引力を持つ何かではなくて、自分の手の内にすっぽり収まるものだった。(p.229)

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■ 思い出は記憶の中で

 あえて表題と同じタイトルとなっている最後の短編『私はあなたの記憶のなかに』と言う作品についてはあまり深く言及せずにおこうと思う。なぜならその短編に限っていえば、読み手の記憶を巡るような構成になっているから。そしてほかの短編にも出てきた登場人物たちも、本短編にさりげなく出てきているように私には思えた。

 多分私は、小説を読むことによって旅をしている。ひとりひとりの奇想天外なる物語を読むことによって、きっと見慣れない土地に足を踏み出しているのだと思う。

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だいふくだるま
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