見出し画像

ビロードの掟 第26夜

【中編小説】
このお話は、全部で43話ある中の二十七番目の物語です。

◆前回の物語

第五章 日曜日よりの使者(4)

 優里が信頼できると言った人物──名を瀧口さんという──は、優里よりも2年上の先輩で企画部の一員として働いていた。折に触れて、女性という立場から優里の話を親身になって聞いてくれたという。

 正義感の強い瀧口さんは部署をまたいで秘密裏に直接優里の上司に直談判していた。優里の勤務状況の改善を求めたらしいのだ。これは女性全体の尊厳に関わる問題だと。

 ここ数年の潮流もあり、それは会社としても本来は真摯しんしに受け入れられて然るべき事象のはず。だが、まだまだ昔気質の体制を引きずっている企業も中にはある。

 優里の働いていた会社はまさしくその悪しき風習から抜け出せずにいた。非難を浴びた優里の上司が逆に名誉毀損めいよきそんだなんだと主張し、その意見がまかり通ってしまったのである。結果として、瀧口さんが会社に居づらい状況を生み出した。

 人は自分の身を守るためなら、いくらだって残酷になれるみたいだと優里はその頃よく呟いていた。よっぽどショックだったんだと思う。凛太郎は彼女に何て声をかけるべきかわからなかった。

 ──瀧口さんは結局会社の体制に失望し、「助けてあげられなくてごめんね」と優里に言い残して会社を去っていった。

「リンくん、私瀧口さんに甘えすぎてたよ。私に救いの手を差し伸べてくれていた人に対して、私は逆に手を握り返すことができなかった」

 苦しげに優里はその小さな頭を抱え込んだ。なんでこんなにも息をすることが苦しいのだろう。あまりにも周りの空気はよどんでいる。

「私はいつだってそうなんだ。自分がいつも支えてもらってるくせして、その人たちに甘えるばかりで私は何も返すことができない」

「優里──」

 この時優里に対して「大丈夫?」と聞こうとしたが、口にしようとして直前で言い止まった。

 これだけ苦しんでいる人に対してその言葉をかけることは死体に鞭打つ行為だということをぼんやり頭の中で凛太郎は理解していたからだ。

「はぁ、これからどうしようかな」

 優里は側から見ても、心配になるくらいとても疲弊した表情を浮かべていた。憂いよりももっと悲惨な状況だった。彼女をどうしたら深い水の底から救い出すことができるのだろう、そればかり凛太郎は考えていた。

「それじゃ──どこか、誰も俺たちを気にかけない場所に行こう、二人で」

 具体的なアイデアはなかった。それでも、たとえば日本以外の自分たちのことを全く知らない場所へ移住するのも悪くないなとこの時凛太郎は考えていた。

 凛太郎自身は優里とこの先も一緒にいたいと思っていたし、二人ならたとえどこであっても乗り切れるような気がしていた。

「ありがとう、リンくん。その気持ちだけ受け取っておくね」

 彼女が浮かべた寂しそうな表情を凛太郎は今でも忘れることができない。結局二人はどこか遠い異国ではなく、沖縄へ行くことにした。

 確かそれが2月のことである。通常沖縄といえばほとんどの人たちが夏頃に行くので、現地はあまり観光客らしき人たちがいなかった。凛太郎と優里は人気の少ない島の中をレンタカーを借りてゆったりと観光した。

*

「その時のこと、確かに覚えてる。姉はあの時、かなり感情の起伏が激しくて、私自身も姉の話を聞いて、それは許せないね、そんな部下1人を守ることができない上司なんて最低だよ、って優里の代わりに私がプリプリ怒ったのを思い出すわ」

 優奈は慣れてきたのもあるだろうが、だんだん凛太郎に対して自分の感情を隠さずに話すようになっていた。彼女の話を聞いていると、二人は本当に仲の良い双子だったんだなと思う。

 でもどうして優里は凛太郎に対して自分には双子の妹がいるのだということを話してくれなかったのだろうという疑問が沸々と湧いてくる。

 同時に、次第に優奈自身が優里に似てきているような錯覚を感じる。素振りや言葉遣いなどを見ても、どっちがどっちだかわからなくなってくる。

「それで──?それであなたと優里はなぜ別れることになったの?」

 凛太郎は戸惑いを隠せない。今自分の目の前にいる女性は一体誰なんだろう。記憶の中に刻まれた彼女の姿を思い出そうとしたが、まるで霧のように散っていった。

「それからはまるで雪山を滑り落ちていくように話が進んでいくんだ」

<第27夜へ続く>

↓現在、毎日小説を投稿してます。


末筆ながら、応援いただけますと嬉しいです。いただいたご支援に関しましては、新たな本や映画を見たり次の旅の準備に備えるために使いたいと思います。