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#2. クリィムソーダの記憶(A面)

【短編小説】
このお話は、全部で9話ある中の三つ目の物語です。

◆前回の物語

のび太ノート

 少し前に私は自分が通っていた大学を訪れた。

 校舎の雰囲気がとても懐かしい。ちらほら学生と思われる人たちが私の横を通り過ぎていく。中にはカップルと思われる男女もいてどこか楽しそうな雰囲気だった。ふと当時の記憶が蘇ってきて、胸の奥がほんの少しツンとなる。

*

 ある時期、鈴木と私は同じ講義を受講していた。

 私自身はフランス文学を専攻していて、鈴木は国文学を専攻していた。どちらも文学系なので、時には似たような講義のコマを取らなければいけないこともある。なんとはなしに、隣に座って一緒に講義を聞いていた。確か、哲学関連の講義だった気がする。内容は正直、全く覚えていない。

 鈴木は、意外にも字が達筆だった。講義の内容をそれはそれは規則正しい文字で書き上げる。授業を欠席した日があると、他のクラスメイトからも鈴木のノートは重宝された。陰では「のび太ノート」と揶揄されていた。その後、映画サークルでも「のび太ノート」は見やすくてわかりやすいと評判となり、ずっと部室の神棚に捧げられているという。

 そういえば何をやらせてもダメなのび太も、射撃の腕だけは超一流だったっけ。きっと同じような理屈だろう。

「鈴木ってズボラな性格の割に、字だけは綺麗よね」

「『だけは』という言葉は余計だよ。字だけではなくて、僕は心『も』綺麗だよ。言葉を自分の手で綴る瞬間って、楽しいだろう?」

 鈴木は「も」という言葉だけを語気強めて主張した。

「あんた、変態」

 鈴木は得意げに眼鏡の真ん中の部分を上にあげる。その仕草でさえ、なんだかちょっぴり腹立たしい。褒めてなんだか損した気分だ。

「そういえば鈴木はさ、将来どんな職に就きたいとか考えてるわけ?」

 そこで鈴木は嬉々とした顔に変わる。

「もちのロンよ。チミはなんのために映画サークルに所属しているわけ?将来目指すは映画監督よ。自分で映画作って、そしてあわよくば出演女優とねんごろになったりして。薔薇色の人生だなあ」

 最後の部分は、正直どうでも良かったのでスルーした。

「え、それなのになんで鈴木は国文学を選んだの?」

「それは、夏目先生の影響ですな。師匠の作品は全部覚えているよ。ちなみに水原に質問を返すけど、なんでフランス文学を専攻したのさ?」

 改めて質問されて私は返答に窮してしまった。

「なんでって言われると……。高校生の時教師に『レ・ミゼラブル』っていう本をお薦めされて。それで試しに読んだら感動して、大学でもきちんと学びたいって思ったからかな」

 本当を言うと、フランスの世界観に憧れがあったからだった。いつか、エッフェル塔を眺めながらシャンゼリゼ通りを歩いて、おしゃれなお店でご飯を食べたい。そのためにフランス語とかその文化を勉強したいという安易な気持ちで選んだのだった。でもなんとなくそのことを鈴木に言うと馬鹿にされそうだったのであえて口にはしなかった。

「ふーん……」という鈴木の表情は、どこか疑わしげに見える。

「ちなみに、鈴木は夏目漱石の中でもどれが一番好きなのさ」

 鈴木の疑いの目を逸らすために私は再び話題を振った。

「それはやっぱり『吾輩は猫である』ですかなあ。初めて読んだときの衝撃は忘れられないね。それであっという間に私の心の師匠と仰ぐようになったわけなのですよ。水原くんは読んだことあるのかな?」

「うーん、確か高校の課題かなんかで読んだことあった気がする」

 突然閃いたように、鈴木は口を開いた。

「吾輩は鈴木である」

「馬鹿」

「うん、苦しゅうない」

 鈴木との思い出は今振り返ってもくだらないやり取りばかりだった。苦しいことがあると、その度にその時の出来事を思い出す。そうすると、不思議なことにふわりと心が軽くなるのだった。

<#3へ続く>

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だいふくだるま
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