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思わず引き込まれた話のまとめ

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ついつい語り口に引き込まれて最後まで読んで感服した話のまとめ。
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#日記

五月

五月のはじまりの日。明けがた小さな夢を見た。 海辺の美術館の窓から眺めた、ライラック色の海。朝焼けに染まる、静かな水面。 シーツのうえで、うすれてゆく記憶をたどるように書いておいた。忘れたくなくて。小さな情景。 でも、どうしてそういうものを、とどめおきたい、と思うんだろう。 初夏は鳥の声で目ざめて、葉をわたる風が窓辺から届く。 ときどき朝の散歩をする。森を歩く。朝露にぬれた草のなか。肌にふれて心地好かった。シジュウカラの声がする。 エゴノキの咲くのをずっと待っていて、

5月の日常

晴れた日の図書館 晴れていたある休日、私と夫は近所の図書館へ行く。 こんな天気のいい日は遠くへ出かける人が多いのか、いつもよりも図書館は空いていた。いつもは貸出中の雑誌『天然生活』も、その日は1冊本棚に残っていた。 屋内とはいえ、晴れた外の空気が図書館の中にも満ちていて、本の森のなかを歩くのは気持ちのよいものだ。 雨の日の湿っぽい空気と雨の音が図書館には似合うような気がしていたけれど、晴れの日の図書館もいい。 図書館からの帰り道、少し遠回りをして、ネモフィラが咲く丘に

淡雪日記

2月某日 湯あがり、散歩に行く。 朝の林。恋い交わすような鳥の声を聴く。 3月某日 絵を贈っていただいたお礼に、プレゼントを贈る。 ガラスでできた、小枝のかたちのカトラリーレスト。お箸を置いても。ペンや、絵筆でも。 大切なものをひととき休ませる、とまり木になってくれたら。 3月某日 ここにいつも、ジョウビタキがいるんですよ、と見知らぬおじいさんに教えてもらった場所に、今日も鳥はいなかった。幻のジョウビタキのすがたを想う。おじいさんのほうが幻だったのかもしれない。

永福町で過ごした日々の記憶

今から約10年前、東急井の頭線の永福町駅から徒歩数分の場所で一人暮らしをしていたことがある。 渋谷にある広告代理店に勤務していた二十代後半の頃のことだ。その前は池袋に住んでいたが、通勤の利便性となんとなく縁起のいい名前の駅名に惹かれてその地を引っ越し先に選んだ。 駅前の商店街を抜けた先には「東京のへそ」という別名を持つらしい大宮八幡宮、その奥には和田堀公園があり時々健康のためにランニングをしたり休日にコーヒーとパンを持って散歩に出かけたりもしていた。言わずと知れたグルメの

かすかな光と、日々の言葉

冬になると、すこし写真のトーンが変わる。 弱まる光にそっと抱かれたような感じになる。 冬の光は、とてもやさしい。 弱さ、というやさしさを思う。 ◯ 変わろうと思った今年だった。 ちがう仕事をはじめ、新しい人たちと出逢い、いままで読まなかった本もたくさん読んだ。 何かに近づき、そのぶん何かから離れ、でもおだやかに、つつましく生活ができて、よかったと思う。 別れも、失ったものもたくさんあったけれど、距離や不在が培ってくれるものもたくさんあった。大切に愛しさを育んでいる気

私には、37兆個の応援団がいる

二十歳の時に亡くなった同級生のことを、たまにふと思い出す。 彼は病気だった訳じゃなく、亡くなる前日までは普通に元気だったらしい。 でも翌日の朝、起きてこない彼を心配してご家族が様子を見に行ったら亡くなっていたらしい。 彼の心臓は、何の前触れもなく急に止まってしまったのだ。 心臓が明日も動くことは当たり前のことじゃないんだって、そのとき知った。 この身体が毎日問題なく動いてくれること、 きっと凄いことなのに、いつしか当たり前のことに感じてしまう。 でもよく考えたらさ、年

そもそも世の中に「陰キャ」も「陽キャ」も存在しないんじゃないかな

「あの人、陰キャやったよな〜」 久々に大学時代の友人達と飲みに行ったんだけど、ある友達が他の同級生のことをこのように言っているのを聞いて、心に違和感を感じた。 そもそも世の中に「陰キャ」も「陽キャ」も存在しないんじゃないかなって思う。 みんな自分の中に「陰」と「陽」、どちらの要素も持っている。 たまたま自分に合う環境で、「陽」の自分が強く出たりすることもあるし、 自分に合わない人間関係や環境だったり、自分に対してマイナスの思い込みがあったりした場合、「陰」の要素が強く出

” 好きなように生きてもいい ”ってことを、うちら人間は忘れがち

好きな映画に出会えたとき、私はスキップしたくなるほど嬉しくなる。 その物語の登場人物が心の中に住んでくれて 人生を応援してくれるような気がするからだ。 実際、普段生活してるなかで 好きな映画のワンシーンをふと思い出すことが わりとある。 セリフ、登場人物の生き方、 そういうのが心にじわっと広がる瞬間がある。 だから、好きな映画に出会えたということは 私にとって大切な親友のような存在に出会えたことと同じなのだ。 今とても嬉しい。 またそんな映画に出会えたから。 結局

日々と恋愛映画

変わる時は一瞬だ。後で振り返ればなかなか大変だったとか長かったとか思うのだろうが、その瞬間に見える景色はあっという間に変わっていく。 新しい場所で働きはじめて10日が経った。 数ヶ月ぐらいが経っているような気分だけれど、間違いなくまだ10日だ。人間の時間の感覚なんて、全く当てにならないものだ。 10月の退職の当日、その日出勤ではなかった人達まで私のために会社に来てくれていた。 ある人からは小説を3冊もらい、花束と一緒にスターバックスのカードやゴディバのチョコレート、それ

#ジブリパーク で失った言葉の置き場

ジブリパークの凄みは、どこにあるのか? 2022年11月1日、愛・地球博記念公園のなかにオープンした「ジブリパーク」へ、弟と行ってきましたレポート。 オープン初日のチケットを、運良く買うことができまして。 入場できたのは「ジブリの大倉庫」エリアのみでしたが、とてつもなく大切で切ない何かを、ドドドと怒涛のように受け取り、たまらなくなってしまったので、言葉にしておきます。 「ジブリパーク」のちゃんとした案内や魅力は、ほかの人がエエ感じの写真とともに沢山シェアされてるので、

家を出るダウン症の弟にはなむけをしたら、えらいことになった(総集編)

ゾッとした。 この二年間で、ばあちゃんは認知症になって施設で暮らしはじめ、車いすに乗っている母は心内膜炎で死にかけ、わたしは会社をやめて作家業についた。 ダウン症で4歳下の弟だけは、実家で暮らし、福祉作業所へ通って手仕事をし、マイペースを貫いていた。 ふと立ち止まって、ゾッとしたのは。 この先、わたしや母の身になにかあれば、弟がひとりぼっちになるということ。 わたしですら、ばあちゃんの介護がはじまったとき、役所で福祉の手続きをしたらあまりに面倒でややこしく、泡吹いて倒

看板バ バン バン バン ハァ〜ビバノンノ(姉のはなむけ日記/第11話)

とうとう、近隣住民の方とわたしが直接会うことはなかったが。 「鍵や扉はなくていいが、敷地の両隣にフェンスをつける」 「障害のある人が間違って他の家へ入ってこないよう、目立つ看板をつける」 ということで、とりあえずは話がまとまった。 グループホームは大人気で、すでに弟を含めて、4人から入居申し込みがあり、満員御礼!蟻が鯛なら芋むしゃ鯨!になったところ。 落としどころがあっただけで、まずまずよかった。 看板はね、大切だから。 ポケモンでも、ドラクエでも、MOTHER

きみが家族じゃなかったらよかった(姉のはなむけ日記/第8話)

送迎車のためならエンヤコラと大分県別府市の車屋さんまで行ったら、なんと、ほぼ新車のセレナと出会えたのだった! 車屋の馬〆さんから、くわしい仕様や納期の説明を受けていると。 電話が鳴った。 グループホームの責任者、中谷のとっつぁんからだ。ちょうどよかった。セレナを入手できたって言おう。喜ぶぞォ。 「もしもし、お姉さんですか」 「はーい!ちょっと聞いてくださいよ、中谷さん。ありましたよ!車!セレナ!ほぼ新車!7人乗り!」 「えっ、はっ……ええ……!?」 興奮のあまり

私はアメリカで熱を出し、成田エクスプレスで夫に出会った

読んでいて思わず涙で文字が滲んでしまった。 今日、友人から「あなたたち夫婦みたいだよ」と、送られてきたジェーン・スーさんのコラムが素晴らしい。 今パートナーのいる人も、今いなくても過去にいた経験がある方ならばもれなく感じるものがあるのではないだろうか。 何よりも、今一緒に過ごしている相手や、目の前の出来事や物事をプラスに捉えてみることを随分と忘れてしまった自分に喝を入れられたような気分だった。 結婚して3年。夫と出会って5年になる。 出会ったあの頃のことを思い出すと