淡雪日記
2月某日
湯あがり、散歩に行く。
朝の林。恋い交わすような鳥の声を聴く。
3月某日
絵を贈っていただいたお礼に、プレゼントを贈る。
ガラスでできた、小枝のかたちのカトラリーレスト。お箸を置いても。ペンや、絵筆でも。
大切なものをひととき休ませる、とまり木になってくれたら。
3月某日
ここにいつも、ジョウビタキがいるんですよ、と見知らぬおじいさんに教えてもらった場所に、今日も鳥はいなかった。幻のジョウビタキのすがたを想う。おじいさんのほうが幻だったのかもしれない。
3月某日
たんたんと文章を書く。とても深く潜れるようになった気がする。深く自分とつながると、見えなかったことに気づくようになる。
もっと深く潜ると、自分以外のものともつながる。海のような場所。そこにはあなたもいて、表に出されなかったことばもある。
そういう場所で、会っているんだと思う。
3月某日
うたたねして夢を見る。
田んぼのなかにある湯舟につかって田園風景を見ていた。
空飛ぶボートで肥やしを空中散布しているお兄さんが降りてきて、その人の話をずっと聞く。
ボートには下界をうつすモニターがついていて、「自分のいまいる位置から下とか見たりするんですか」と訊くと、笑って頷いていた。
「うん よく見るよ 撒くことだけ考えるんじゃなくて いちはやく異常や危険に気付けるように」
大事な仕事だ、この人の仕事が守られるといいな、そう思ったら目がさめた。あの人誰だったんだろう。神さまみたいな人だった。
夢の創造性より田舎指数に驚く。農家に生まれ育ったからだろうか。
3月某日
春雪がふる。
ふれたとたんにとけ消えてゆくような。
ことばにしてもしなくても、ほどけてしまいそうなものばかり書いている。
雪のひとひら、そのやわらかさをひとつひとつ手のひらに受けてゆく。
かたちをとどめることが全てではない気がする。はかなく消えてしまうから届けられるやわらかさもある。
あわ雪のひとつひとつが愛しくて、そっとまなざしている。とても綺麗だったこと、ちゃんと憶えている。とけ消えてゆくとしてもことばで書く。ことば以外のものも、渡せる気がするので。