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めざめは、光とともに。
灯台のある海辺の町に泊まった。小雨の降る白い海を眺めてすごす。 すこしずつ明けてゆく夜を照らすように灯台の明かりが見えては隠れる。明滅する光。命の鼓動みたいだった。 十年の付き合いになる人から、小説、書きませんか、と声をかけてもらって書きはじめたのが一月、渡したのが三月。フィードバックをもらって、五月と六月はずっと直していた。勤めの仕事以外の時間、ほとんどを書くことにあてていて、六月の末にようやく渡すことができた。 通勤するあいま、道沿いに咲いていた立葵がきれいだった。遠く
新幹線に乗ったら、まずは座席に備え付けの冊子を繰る。 目当ては、巻頭にあるエッセイ。 ほんの2頁の短い文章だが、これを読むと、さあ旅に出るんだという気分になる。 文章の書き手は、沢木耕太郎さんから柚月裕子さんにバトンタッチされたが、読後の静かな高揚感は変わらない。 今回のエッセイのテーマは、「旬」の旅だった。 夏だから海、秋だから紅葉というような旬の話ではなく、行き先には自分にとっての旬があるのかもしれないという話。 若い頃に憧れていたハワイを老後に訪れてみたら、
五月のはじまりの日。明けがた小さな夢を見た。 海辺の美術館の窓から眺めた、ライラック色の海。朝焼けに染まる、静かな水面。 シーツのうえで、うすれてゆく記憶をたどるように書いておいた。忘れたくなくて。小さな情景。 でも、どうしてそういうものを、とどめおきたい、と思うんだろう。 初夏は鳥の声で目ざめて、葉をわたる風が窓辺から届く。 ときどき朝の散歩をする。森を歩く。朝露にぬれた草のなか。肌にふれて心地好かった。シジュウカラの声がする。 エゴノキの咲くのをずっと待っていて、
晴れた日の図書館 晴れていたある休日、私と夫は近所の図書館へ行く。 こんな天気のいい日は遠くへ出かける人が多いのか、いつもよりも図書館は空いていた。いつもは貸出中の雑誌『天然生活』も、その日は1冊本棚に残っていた。 屋内とはいえ、晴れた外の空気が図書館の中にも満ちていて、本の森のなかを歩くのは気持ちのよいものだ。 雨の日の湿っぽい空気と雨の音が図書館には似合うような気がしていたけれど、晴れの日の図書館もいい。 図書館からの帰り道、少し遠回りをして、ネモフィラが咲く丘に
ゴールデンウィーク前半、夫とともに帰仙した。 仙台に帰ることを、帰仙と言う。 正確に言うと、私の実家は仙台市ではなく、宮城県内の田舎の町なのだが、通っていた大学や以前の職場が仙台にあるし、宮城というよりも仙台といったほうが県外の人には伝わりやすいようなので、仙台出身ということにしている。 それはともかく、私の住む街へ帰るときにも仙台を経由する。 仙台に到着してすぐ、私と夫は、メーナという小さなレストランへと向かった。 駅から少し離れていて、奥まった場所にあるこのレスト
先日、ひさしぶりに こころが大きく揺らぐ 出来事がありました。 たいせつなことをわすれないために、 言葉にしてみます。 ✎ 𓈒𓂂𓏸 わたしは、よく じぶんは何のために この世界に生まれてきたのかな、 ということを考えるんですね。 人生の目的、というよりは 魂の目的、といったほうが よいでしょうか。 あたまで考えても 分かるはずはないのですが、 じぶんなりの答えを出すとしたら。 こころに浮かぶのは 「じぶんを愛すこと」でした。 どうすれば じぶんを愛すことができる
2月某日 湯あがり、散歩に行く。 朝の林。恋い交わすような鳥の声を聴く。 3月某日 絵を贈っていただいたお礼に、プレゼントを贈る。 ガラスでできた、小枝のかたちのカトラリーレスト。お箸を置いても。ペンや、絵筆でも。 大切なものをひととき休ませる、とまり木になってくれたら。 3月某日 ここにいつも、ジョウビタキがいるんですよ、と見知らぬおじいさんに教えてもらった場所に、今日も鳥はいなかった。幻のジョウビタキのすがたを想う。おじいさんのほうが幻だったのかもしれない。
星は、しずかに瞬いていますか。 海は、やさしく凪いでいますか。 あなたの眼にうつる景色は、 あなただけのもの。
ふと、「百万円と苦虫女」という映画を久々に観たくなった。 映画全体というよりも、あのワンシーンが観たいな、というふうに思った。 これまで色んな映画やドラマを観てきて、好きなワンシーンはたくさんあるけれど、 だいたい共通していることに気付いた。 誰かと心が通い合ったり、分かり合えたりするシーンが好きらしい。 きっとそういう瞬間を 私は求めているんだろうな。 気持ちを分かってもらえるのって、嬉しい。 あまり人には話さなかったことを、私にだけ特別に話してくれたときなども嬉し
小学生の頃、バレーボールをしていた。 当時は、決して好きでやっていたわけではない。どちらかというと嫌いだった。 なぜ、好きでもないバレーボールをしていたかというと、それには今では何だかよくわからない事情があった。 私が小学生時代に住んでいた地域は、昔からの農村と新興住宅地が混在していた。 広い小学校の学区内には、2つか3つの町と、幾つもの、うーん、町名以下は何と呼ぶのかな、字(あざ)とでも呼ぶのだろうか、そういう地域がたくさんあった。 もちろん、今と違って児
今から約10年前、東急井の頭線の永福町駅から徒歩数分の場所で一人暮らしをしていたことがある。 渋谷にある広告代理店に勤務していた二十代後半の頃のことだ。その前は池袋に住んでいたが、通勤の利便性となんとなく縁起のいい名前の駅名に惹かれてその地を引っ越し先に選んだ。 駅前の商店街を抜けた先には「東京のへそ」という別名を持つらしい大宮八幡宮、その奥には和田堀公園があり時々健康のためにランニングをしたり休日にコーヒーとパンを持って散歩に出かけたりもしていた。言わずと知れたグルメの
最近父が就活をしていると、母からの連絡で知った。 「いい職場が見つかるといいね」と返信をしながら、娘としては、内心複雑な気持ちを抱いている。 父は3年前に、長年勤めていた会社を定年退職した。定年まで勤め上げたとはいっても、父はその仕事が好きなわけではなかった。父がそこで働いていたのは生活のため。私たち家族のためだった。 コンクリート工場の作業員をしていた父は、汚い・きつい・危険の3Kが揃った仕事だといつも言っていた。 給料も高くはなかった。 退職金も僅かにしか出なかっ
実家に帰省していた夜、「明日、初江おばさん(仮名)の家に一緒に行かないか」と父から誘われた。 初江おばさんは、父にとっての叔母。私にとっては大叔母に当たる。 私がいいよ、と答えると、父は少しほっとしたように見えた。 我が家は、親戚との付き合いが希薄だ。 特に父方の親戚とは、ほとんど連絡を取り合っていない。 もともとお盆や法事の際に顔を合わせるくらいだったが、私の祖父母が亡くなってから、さらに顔を合わせることが減った。 伯父が永代供養をして、墓をなくしてから、墓参りに行