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あなたの「知ったかぶり」が、セクシュアルマイノリティを追い込む 『LGBTを読み解く』/森山至貴

「偏見がない」では、差別はなくならない。

マジョリティとされる大多数は、「偏見がない」「(マイノリティも)普通」と主張する。この主張の背後には、私というマジョリティと、その他のマイノリティという二項対立において、明確に区別していることを暗に示します。

区別して相対系に分けることは、理解の促進に一役買うかもしれませんが、性の問題については、おそらくマイノリティに対する、不当さを生むきっかけになるかもしれません。

それは、「普通」という文句は、常にマジョリティ側にあり、途端に「普通」でない出来事に遭遇すれば、即座に差別に対象にもなりうるぞ、という意味も抱合していることを、避けることは出来ないからです。

「偏見はない」「普通」と言っていたにもかかわらず、《(マイノリティがマジョリティにとって)「普通」でなくなり、マジョリティがマイノリティを差別的対象》とする瞬間とは、差別する側の無知さが原因に他なりません。

本著では、マイノリティの歴史や社会運動、またその歴史に伴って発展してきた「クィアスタディーズ」に関した考え方を記されています。(以前読んだ「闇の自己啓発」からのおすすめの書として書かれていました。)

歴史や社会運動の中で基本としておきたい考え方は、「同性愛は大昔から存在していた」ことの欺瞞があげられます。

大昔から、「女性への性愛が有り余って、男性にも手を出した。」というような行為は確かに存在していましたが、その当本人は「私は同性愛者だから男性にも手を出した。」とは言えません。

そもそも「同性愛」は19世紀後半に生まれた言葉であり、同性間性行為の医療化に対する主張のために、あくまでも肯定的に生まれた言葉です。これによって、「男性は女性を性欲の対象にし、性欲が有り余って男性とも性行為をする。」ではなく、「男性には女性を性愛の対象とする多数派と、男性を性愛の対象とする少数派がいる」と変遷し、《行為から人格へ》移行していった歴史があります。

ということは、「同性愛」という言葉が生み出したのは、《同性間の性行為》ではなく、《同性間の性行為をするタイプの人がいる》というリアリティのこととなります。

当然、大昔に同性と性行為をしていた人にとっては、「同性愛」という言葉を知る由もなく、そこにマジョリティやマイノリティの二項対立すらなかったことが分かります。過去と現代の事柄を引き合いに出して指し示すときには、その点に注意すべきと述べられています。

(例:地球規模でみて「東京」とされる場所は大昔から存在していたが、そこに住んでいた原始人が「東京」で育ったとは言わないし理解できない。原始人にとって住んでいる場所がどこなのかは分からないが、現代人から見たらそこは「東京」である。)

本著に関しては、「中田敦彦のYouTube大学」でも取り上げられていました。

「クィアスタディーズ」

クィアスタディーズ:ほとんどの場合はセクシュアルマイノリティを、あるいは少なくとも性に関する何かの現象を、差異に基づく連帯や否定的な価値の転倒、アイデンティティの疑義といった視座に基づいて分析考察する学問。

(学問で使用される以外においても)「クィア」の言葉には以下のような示唆があります。

★非規範的な性(マジョリティも)を生きる人全般のこと
 ⇒同性愛やトランスジェンダーやその他マジョリティなど
★性に関する社会通念を逆手に取る生き方をする人
 ⇒異性愛の既得権益の「結婚」を逆手にパートナーシップ制度を考える
★性に関する流動的なアイデンティティを生きる人
⇒「男らしさ」「女らしさ」を一様に決めない

この3つを踏まえて、次に5つの概念を見てみます。


「クィアスタディーズの5つの概念」

現代におけるセクシュアルマイノリティの諸問題に対して、「クィアスタディーズ」の視点をは、「普通」を押し付ける社会を変えるために「使える(再考する)」概念です。諸問題の検討は置いて、5つの概念について紹介します。

-①パフォーマティヴィティ概念
言語のコンスタンティブ(事実確認的)な意味とされるものは、絶えずズレを生みつつ反復されていく。すなわち、パフォーマティブ(行為遂行的)に産出される言葉というのは、コンスタンティブな言葉の意味の最大公約数的な事実のみしか反映しない、ということ。
⇒「男らしさ」「女らしさ」に関する意味は様々な固着観念が付与されて、もはやオリジナルの意味も、オリジナルも存在しないということ。

-②ホモソーシャル概念
同性愛の関係に似ているけれども、そうでない同性間の絆を指し示すための形容詞のこと。アニメや小説における二次創作も、これにあたる。男性中心的な社会やルールを維持するために、女性差別、男性同性愛者差別を伴って形成され、異性愛男性同士の関係性を示すのが、ホモソーシャル。
女性、男性同性愛者は排除や抑圧の対象となるため、フェミニズムとクィアスタディーズには密接な関係がある。

-③ヘテロノーマティヴィティ概念
トランスジェンダーでない人々によって営まれる「普通」の異性愛をこの社会において正しいものという思想を前提に対して、そのあり方は間違っていると考えること。《ホモフォビア⇒ヘテロセクシズム⇒ヘテロノーマティヴィティ》と変遷していったが、同性愛差別を「心の問題」としないように、その「社会構造」そのものが差別の原因であり、議論の余地がる部分であることを示す。
⇒「社会にとって正しい性の形」に対して批判的に捉える視座がある。

-④新しいホモノーマティヴィティ
既存のヘテロノーマティヴィティな体制に文句を言わず、よき消費者として市場に存在感を示すことでその体制に認められようとする同性愛のあり方を示す。これにより、ヘテロノーマティブ(異性愛規範)の体制は、補強されて強固になっていく。
マイノリティ間での裕福さによる格差が生まれたり、その他のマイノリティ当事者などにとっては、恩恵に与かれないことが懸念され、批判の対象となる。

-⑤ホモナショナリズム概念
同性愛者が社会の差別的構造に加担してしまう1つの道筋としての概念のこと。ヘテロノーマティブ体制に迎合し、自身は認められつつも、他圏の人々の生存を脅かすことに手を貸してしまうことで、それ以外の迎合しなかった同性愛者への差別が助長されてしまう懸念がある。
⇒ピンクウォッシングが例として挙げられる。(イスラム圏への差別を同性愛者の権利擁護でとりつくろって正当化すること。)

これらのクィアスタディーズの大きな特徴は、「捉え返し」の思想にあります。当事者として思うのは、マイノリティ間においても差異は多く存在しているのではないか、ということです。(ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーなど)
それについて、批判的に捉え返し、更なる連帯のためにどのように考えるのか、という視座を与えてくれるのがクィアスタディーズです。

嘘の良心を見抜く

読み終わったばかりなので、まとめ上げることが困難でしたので、とりあえず、「クィアスタディーズ」中心に纏めました。

その他、セクシャルマイノリティの歴史や社会運動における詳細や、性同一性障害・同性婚に関したクィアスタディーズの実践なども、本著に記されています。

最近思うのは、「ホモ」と自称するゲイが多いことです。「ホモ」や「レズ」という言葉は、侮辱後として存在していた過去があります。それゆえに、多数派にその用語を使われるとイラっとするのですが、それをゲイ自身が使う人が多いのです。その流れをクィアスタディーズ的視座において考察するとすれば、まさに「クィア」という用語と同じ変遷を垣間見れるのではないでしょうか。否定的な社会通念を、パフォーマティブなもの(クィアスタディーズの①)としての意味を付与しようという、無意識から来ているのかもしれません。

なんとなく、「異性愛(同性愛)規範の良心的な言葉に甘えていた自分」がいたことについて、本著を読んで気づけたことは非常に大きい成果でした。

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