何も思い付かない・・・
・・・訳でもないんだが、今日の気分じゃないな、というのはある。
とにかく年末に向けてあと2~3週はこんな気分が続く見込み。
つまり、気懸かりが公私にある。・・・公は公衆の方だけど。
沈静化か嵐の前の静けさか?
これが今明確に分かっていれば年末年始に向けて
何かしようかという気にもならないこともない、かもしれないが、
どうなのか?
そしてこの一年、何かいい事あった?
(社会的にはオリンピックが終わってよかったかもしれないけど。)
とにかくニュースはろくな事を流してないので基本見たくない。
ところがネットも碌な事を流してないので見るものが無いわ、という事に?
情報通はよくこんなで希望を持って暮らしているなと
一層思いますがどうなんでしょうかね?
(いい話も知ってなければやってられんでしょう?)
昔こんなタイトルの本があって、
一瞬だけ読書しようかと考えた時期に古本で持ってもいるんですが、
多分チョロッと捲った程度で何も印象に無いから読んでないでしょう。
格差や分断と頻繁に、特にこの2年ぐらいまた盛んに言うけど、
一つだけその話には間違いがある。
元々棲み分けられていて当人たちもそうでない者も
基本的にはその辺は知っていて、
しかしそれがそんなにそもそも問題ではなかった。
いわば隣の芝は青く見える、けどまあ自分ちも普段では一応枯れてないわ、
っておい、
最近なんか枯れてきたよ、ちょっと水水…という所まで来たから問題なの。
だから、その”世界”の(住人の)サイクルを破壊した、侵食するに至った、
そういうものを取り除かん限りはもはや戻らん、
もしかするともう取り除いても無理かもしれんと、
そういう所に達しつつあるという事だと、まあ自分は見てるけど、
それはつまり希望が無いからか?
希望とは何か?…という所まで行くと
まあこじれるから止めにしておきますが、
究極的には一つから三つぐらいまでに絞れるのではないかとは思います。
・・・ドラマか宗教っぽくはなりますが。
往年のアニメが、
勝つ者がいれば負ける者もいるんだ・・・
負けた者はどうなる?・・・と
勝って虚しさと悲しみと後悔を懺悔したのももう50年近く前の事です。
人類の歴史の面から言えば
社会はそもそもは集団と人々を守る為に発達したのに
それがその機能をもし失っているとしたら、
誰かが社会を破壊せんとするのもある意味では正常かもしれんと、
それは特に紛争地に於いて見られる現象として説明可能な部分ですが、
問題はその後が育たない、
だから社会を維持しようとしていると、
これももっともな話ではあります。
社会を維持するのにあたって相当な痛みを要求する、
かつてもそうだったかは正直自分らには分からないから困ると、
(でも上の世代はもうちょっと気楽に生きてたと思うんだけど?)
まあそんな訳でこの辺で終わりにしておきます。
必要なのは光(希望というと光なんだから?)
全てを照らさずとも在りかが分かるだけでも、灯台のように方角が分かる、
位置が分かる、陸地が分かる、そういう救いとなるべきものが
恐らく本当は今全世界的に必要なんだろうと思います。
・・・素直なものが救われるのかもしれませんけどね。
もし何かあれば報奨金として頂戴します。