note短編小説|棺桶からのニュース速報

 「佐竹、開けろ!警察だ!」怒号が飛ぶ。

 文京区は本駒込(ほんこまごめ)の寂れたアパートの2階、角部屋の玄関前に背広を着た男たち四人が詰めている。近隣住民も物々しさから朝の散歩を中断したり、家の窓から覗いたりと様子を窺う。

 「坂井、気持ちは分かるがガナり過ぎだ。朝の九時過ぎだ」
 「すみません、けど警官やられてますし……」
 「そらぁ分かっとるが」年長の若杉が坂井をなだめる。

 一週間前、駒込交番勤務の制服警官がコンビニに夜食を買った帰りに鈍器で襲われ、携行していた拳銃が奪われる事件が起きた。事の重大さと面子にかかわると警視庁はすぐさま捜査本部を立ち上げ大規模な捜査に乗り出した。

 犯行は粗暴で捜査は難航せず、犯人の特定は容易だった。まさに今その拳銃強奪犯である佐竹義男の住むアパートへ刑事が集い、ギラついた眼光で獲物を仕留めようというところだ。

 「大家です」刑事の列の最後尾にいた神原が小さく云った。玄関の前に詰めていた坂井が大家から鍵を受け取る。

 相手は一人だが弾が五発入った拳銃を持っているはずで、扉を開けるのは民間人の大家ではなく警察官であるべきだという判断だ。

 鍵がゆっくりと鍵穴へ吸い込まれ、ギチャリと小さく唸るように鳴いた。
 坂井は玄関越しに弾丸が身体を貫くかと想像したが、刑事の執念がそれを払い去り、ノブを一気に回して踏み込む。

 「警察だ!来たわけは分かってるな!」威勢か虚勢か、坂井は怒鳴りながら突入し、他もそれに続く。

 玄関の隣が台所、その前に居間、奥に小さな押し入れ、隅にトイレはあるが風呂はない。この六畳少しの小さな城に佐竹は不在だった。

 「くそったれが」坂井は撃たれなかったことと佐竹の不在とで、安堵と悔しさが入り混じった思いを溜め息と共に吐きだす。

 代わりに佐竹の残した大量の痕跡が刑事たちを歓迎した。食後のカップ麺は残り汁もそのまま台所や畳の床に放置され、未洗濯の衣類は部屋の四方に大小様々なゴミと共に散乱し、それぞれが異臭を放ち混じり合う。

 踏み込んだ瞬間は興奮と緊張で無視できたこの惨状に、冷静さを取り戻しつつある刑事らは顔を曇らせ困惑した。

 「なんじゃ、こらぁ?」おもむろな若杉の一言に全員がその言葉が向けられた先へ顔を向ける。

 この狭い部屋に不釣り合いな会議用のホワイトボードが、部屋に一つしかない窓を完全に覆い闇の中に鎮座している。そこには様々な言葉や数字が並ぶ。

 親の名前、捜査上に上がらなかった者の名前、彼らへの恨み辛みを綴った罵倒の数々。その他にもJRの路線図やダイヤを示したかの四桁の複数の数字。なかには『ナイフ』『灯油?ガソリン!』などと物騒な名詞も散見される。

 「あの……、これ」

 皆、黙ってボードを凝視していたのを最年少の上田が沈黙を破り、従わせた。上田の目前には、ちゃぶ台の中央でノートパソコンが開かれ、簡素なテキストエディタで綴られた文章が浮かんでいる。

 『遺書。本日午前、俺は火の玉になり、鋼鉄の棺桶の中で頭をブチ抜いて死ぬ。思えばずっと棺桶の中の人生だった。親から与えられた期待という棺桶、その中で育成された世間体という棺桶。学校という棺桶の中で除け者にされた俺は、自ら心の中でも棺桶を作って居座った。俺はそうして棺桶の中で生きてきた。この部屋も棺桶だ。その棺桶から出してくれる他人もいない。家族は俺を棺桶に入れたまま捨て去った。どうせ死んでも棺桶にまた入るなら、俺は自分で棺桶を選ぶ。最後に、みんなにほんの少しで良いから分かってほしい。出口のない棺桶の中で生き、そして死ぬ、俺の苦しみと恐怖を人々と共有したい。』

 文章を読み進める捜査員は息を呑み、言葉を失う。「これ……」と再び上田が沈黙を破り、ちゃぶ台の端に貼ってある付箋を指さす。

 『駒込発、九時台、満員電車!』とあり、赤丸に囲まれて『ピストルGET!』とある。

 おそらく佐竹は満員電車の中でガソリンか何かで自身に火を放ち、炎で己が苦しむ前に強奪した拳銃で自死するつもりだ。都内を走る満員電車が火葬場の棺桶へと変貌する。想像するのも恐ろしい光景が捜査員たちの脳裏に描かれる。

 恐怖を帯びた顔で各々が携帯や腕時計で時刻を確認する。九時半に迫る。

 震える手で若杉が部屋のテレビをつける。突然の爆発音と断末魔の声が流れ、全員たじろぐが、映し出されたのは朝の情報番組の映画紹介コーナーだった。

 はっ、と若杉は我に返り「まだ間に合う!早よう、本部長と鉄道警察に」と言い終える前に、テレビから聞き馴染みのあるニュース速報を伝える甲高い電子音が六畳の城に響き渡る。

『山手線、電車内で大規模な火災で緊急停止。死者・けが人不明』のテロップが画面に焼き付く。慌てるアナウンサーや芸能人の声を耳に、刑事たちは硬直した。

 窓とホワイトボードの隙間から漏れる太陽光を雲が遮り、部屋は暗黒に包まれた。

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