『からくり始末記~零号と拾参号からの聞書~』第1話 【創作大賞2024・漫画原作部門応募作】
あらすじ
江戸の世に入って、しばらくが経った頃、とある老中のもとに、若い女子が呼び寄せられた。訝しげに見つめる老中だったが、その女子は高い実力を示す。それを目の当たりにした老中は女子に、日本各地に点在している、忌まわしきものの破壊工作を命じる。『藤花』という女子はそれを了承した。
出発の日の早朝、藤花の前に不思議な雰囲気の長身の男が立っていた。杖と盾を持った男の名は『楽土』。自らが役目をこなせるかどうかの監視役かなにかであろうと思った藤花は、あえて楽土が同行することを許す。
藤花と楽土は互いの挨拶もそこそこに、江戸の町を出立する。
本編
零
「……媼よ、これはどういうことか?」
折烏帽子を被り、立派な狩衣を身に纏った中年の男性が、庭に控える老年の女性に問う。
「……恐れながら、どういうことかと申しますと?」
「儂は、この日ノ本中に点在しているあの忌まわしき連中を確実に『破壊』出来るものを用意せよと申したのだ」
「それは承知しております……」
「誰も女中を手配しろなどとは言っていない」
男性が扇子で指し示した先には、老年の女性の近くで同じように跪く、若い女性がいた。若い女性は黒地に白い花が胸元当たりにあしらわれた着物を着ており、それを赤い帯で固く結んでいる。黒く長い髪を丸め、後頭部上方でお団子のようにまとめている。頭に付けた二つの花飾りが少し揺れている。老年の女性が少し頭を上げて答える。
「なかなか気が付きますので、今日からでもお城で働けます」
「戯言はよせ」
「これは失礼を致しました……」
老年の女性がくくっと笑いながら頭を下げる。
「……まさかこの女子がそれか?」
中年の男性が信じられないといった表情になる。
「戯言こそ申しますが、御命令に対して冗談で応えたりなどは致しませぬ」
「にわかには信じがたいが……」
「お試しになってみては?」
「……正気か?」
「はい」
「ふむ……例の者どもを呼んで来い」
中年の男性が命じると、庭に薄汚れた格好をした男たちが通される。それぞれの手にはボロボロの武器を持たされている。男たちは庭で若い女性を取り囲むように並ばされる。
「……」
「では、この女子を始末しろ」
「!」
中年の男性の言葉に男たちは戸惑いを露にする。さすがに何の理由も無く、無防備の若い女性を殺せというのは、にわかには受け入れがたい。男たちは誰も動けずにいる。中年の男性はため息をひとつついてから告げる
「はあ……おぬしらはこのままでは死罪を免れぬ罪人。誰でも良い、この女子を始末した者は罪の一切を免除してやる」
「‼」
男たちの顔色がガラッと変わる。
「分かったならやれ」
「う、うおおっ!」
男たちが若い女性に襲いかかる。
「……ふう」
女性が頭をわずかに上げ、ため息をこぼすと同時に、髪を大げさにかき上げる。
「⁉」
男たちがまとめて倒れる。男性の家来たちが男たちのもとに駆け寄って確認すると、そのことごとくが絶命していた。その報告を受け、中年の男性が信じられないといった表情で若い女性に尋ねる。
「そ、そなたがやったのか……?」
「……」
「よ、良い、直答を許す」
「……他に誰がいますか?」
若い女性が凛とした、それでいてどこか冷たい声色で問い返す。
「ううむ……」
「……いかがでございましょう? 必ずや老中さまの意に沿う結果をもたらせるものだと確信しておりますが……」
老年の女性が口を開く。老中と呼ばれた中年の男性がしばし考え込んでから、再び問う。
「媼よ、つまりはこの者もそうなのだな……?」
「ええ」
「信じられんな……面を上げい」
「はっ……」
若い女性が顔を上げる。美人だが、まだまだあどけなさを残している。
「まだ娘ではないか……」
「お気に召しましたか?」
老年の女性がくくっと笑いながら尋ねる。老中はムッとする。
「だから戯言はよせ……しかし、女子が刺客とは考えがなかなか及ばぬだろうな……よし、そなたに『破壊』を命じる……紙を渡せ」
女性に紙が手渡される。女性はそれに目を通す。
「……」
「仔細はその紙に全て記してある……ただ、誰にも見られてはならんぞ……⁉」
老中が驚く。女性がどうやったのか紙を一瞬で燃やしたからだ。
「内容は全て頭に入れました……ご心配なく」
「そ、そうか、頼もしいな……ええっと……」
老中が老年の女性に視線をやる。
「名を申せ」
老年の女性が若い女性に促す。
「『藤花(とうか)』でございます……」
「そうか、藤花よ、公儀の安寧の為、あの忌まわしきものたちを『破壊』せよ!」
「はっ……!」
「吉報をお待ち下さい」
藤花と老年の女性が頭を深々と下げる。その翌日、江戸を出発する藤花がぼやく。
「なにが吉報をお待ち下さいだ、あのババア……私だけ行かせるとは薄情な……しかも早朝に出立しろだと……私は朝が弱いんだよ、まったく……ん?」
藤花が足を止める。目の前に総髪で、長い髪を後頭部上方に丸く収めた長身の男性が立っていたからである。男性は修験者のような出で立ちで、奇妙なことに左肩に楕円形の大きな赤い盾を担いでいた。男性は藤花に向かって丁寧に頭を下げる。
「……おはようございます。藤花さん」
「……誰だい、アンタは?」
「この度、同行させて頂くものです」
「は? そんなの聞いてないけど? ババアに言われたの?」
藤花が首を傾げる。男性も首を傾げる。
「どのババアのことをおっしゃっているのか分かりかねます……」
「誰に言われた?」
「はっきり誰かとはお答えしかねますが……遡れば老中さまにまで行き当たります。よって貴女さまの敵ではありません」
(老中が? ババアめ、完全には信用されていないな……。杖を持っているが武器ではないだろう。盾は護身用か。ということは……なるほど、私の監視役ってところか……)
藤花が男性の顔をじっと見つめる。男性が困惑する。
「あ、あの……」
(精悍な顔つきだな、正直嫌いじゃない……ってそうじゃないだろう、私。ま、まあ、この手の男は案外初心なもんだ。百戦練磨の私にかかればどうとでもなるさ)
藤花は品を作って、男性に尋ねる。
「あの……お名前を伺ってもよろしいですか?」
「え? あ、ああ、これは失礼しました。それがしは『楽土(らくど)』と申します」
「楽土さん、素敵なお名前ですね……女子の一人旅、実は心細かったのです……」
「え、ええ、藤花さんは拙者が必ずお守り致します!」
(おうおう勇ましくてかっこいいねえ、楽土とやら、精々利用させてもらうさ……)
(なんだろう、急に口調が変わったな、藤花さん……苦手な類かもしれないな……)
藤花と楽土、内心それぞれに思いを抱いた女と男が江戸の街を出立する。
壱
「ふう……」
「藤花さん、目的地ですが……」
楽土は前を歩く藤花に尋ねる。
「……」
「藤花さん?」
藤花が振り返る。
「追々お話します……」
「そうですか……」
藤花が再び前を向いて歩き出す。楽土がそれに続く。とある町にさしかかる。
「町ですね……」
「ここで一泊ですか?」
「まさか、そんなに悠長にはしていられません。日の落ちる前に次の大きな町を目指します」
「分かりました」
楽土が頷く。
(……別に夜通し歩いても良いんだが、こいつがどう動くか分からん……ただの監視役ならそれで構わないのだが……しばらく慎重に行動した方が良さそうだ)
藤花は楽土に視線を向けながら、考えを巡らす。
「ヒヒ~ン!」
「!」
「な、なんだ⁉」
「あ、暴れ馬だ!」
「誰か止めてくれ~!」
「いや、危ない、避けろ、避けろ!」
「きゃあ~!」
興奮した馬が通りを暴走する。馬は勢いに乗ったまま、藤花へと迫る。
「む……」
「藤花さん、逃げて!」
楽土が叫ぶ。
「あ、足がすくんで……」
藤花が困り顔を浮かべる。
「くっ!」
「‼」
「ヒヒ~ン⁉」
藤花の前に立った楽土が盾をかざして、馬の蹴りを防ぐ。
「うおおっ!」
「ヒヒヒ~ン⁉」
「なっ⁉」
藤花が驚く。馬の体を楽土が弾き返したからである。
「ヒ~ン……」
倒れた馬が大人しくなる。
「ふう……」
「おいおい! てめえ!」
「うちの馬になにしてくれてんだ!」
「え?」
明らかに質の悪そうな男たちが楽土に近づいてくる。
「怪我でもしてたらどう落とし前付けてくれんだ⁉ ああん⁉」
「そうだぞこら⁉」
「いや、そもそもとして……貴方たちがしっかり手綱を握ってくれていれば、こんなことにはならなかったのですよ?」
「ああん⁉ こっちが悪いっつうのか⁉」
「てめえ、良い度胸してんなあ!」
「ええっと……」
「さしずめ当たらせ屋ってところか、面倒だな……」
戸惑う楽土の横で藤花が小声で呟く。
「ヒン……」
馬の様子を男が覗き込む。
「おうおう大丈夫か⁉ あ~これは怪我してるぜ!」
「お~こりゃあ、金払ってもらわねえとな!」
「ちょ、ちょっと待って下さい……」
「ああん⁉ 払えないっつうのか⁉」
「兄ちゃん、ちょっと面貸せや!」
「落ち着いて下さい……」
「いいから来い! ん⁉」
男が楽土の腕を掴んで引っ張るが、楽土はピクリとも動かない。
「どうした⁉」
「い、いや、こいつが抗いやがる……!」
「お、お前、大人しく従え!」
「し、従う謂れがありません……」
楽土が遠慮がちではあるものの、拒否の意思を示す。
「なんだと、てめえ! ぐはっ⁉」
男の一人が倒れ込む。もう一人が慌てる。
「お、おい! どうした⁉ ごわっ⁉」
もう一人も倒れ込む。楽土が覗き込む。
「針が撃ち込まれている……!」
楽土が視線を藤花に向ける。藤花は首を捻る。
「なにか?」
「さっき髪をかき上げたでしょう? 頭髪に仕込んでいる針を飛ばしたのでは……」
「ほう……」
「違いますか?」
「いえ、なかなか察しがよろしいですね……馬から守ってくれたお礼です」
「なにも殺すことは……」
「人様に迷惑をかけるような連中です。生かしていてもしょうがないでしょう……」
「そ、それは……」
♢
「おい!」
老年の女性が江戸のある屋敷の廊下を歩く眼鏡をかけた男性に声をかける。
「ああ、これはお師匠さま……なにか御用ですか?」
「とぼけるな、なんだあの楽土という奴は?」
「老中さまからのご命令で、任務に随行させました」
「聞いておらんぞ」
「上にも色々事情があるのでしょう……」
「藤花は『からくり人形』の『零号』……始まりの存在にして、最強かつ最凶……助けなどまったくの不要じゃ」
「ふふっ……」
眼鏡の男性が笑う。
「なにがおかしい!」
「性能は認めますが、少々時代遅れの感が否めません……」
「なんじゃと!」
「そこを補わせて頂こうと……」
「補う?」
「ええ、あの楽土はつい先日、『からくり人形』の『拾参号』に定められました……」
「じゅ、拾参号じゃと⁉」
「お言葉を借りるならば、新たな存在にして、最高かつ最硬……どうなるか見てみましょう」
男性は不敵な笑みを浮かべる。
♢
「……」
楽土が藤花をじっと見つめる。
「なにか?」
「いえ、なんでもありません……」
「なんでもないということはないでしょう……」
「本当になんでもありません」
「またまた、分かった、当ててみましょうか?」
「え?」
藤花は悪戯っぽい笑みを浮かべつつ、楽土を指差す。
「私の美しさに見とれてしまったのでしょう?」
「違います」
楽土は即座に否定する。
(そ、即答⁉)
藤花は顔を赤らめる。
「え、えっと……」
「訂正します……」
「はい?」
「全然、違います」
「こ、殊更に言わなくても結構!」
「大事なことなので……」
「ほ、本当は何か問いたいことがあるのではないですか⁉」
「え……」
「嘘を吐いても無駄ですよ! さあ!」
藤花が両手を大きく広げる。
「さ、さあ!って……」
「なんでも聞いてごらんなさいな!」
「な、なんでも……?」
「ただし、年齢と乳房、腹回り、尻の大きさについてはお答えしかねます!」
「そ、そんなこと聞きませんよ!」
周囲がざわつき、視線が藤花たちに集中する。藤花は咳払いをする。
「お、おほん。し、失礼……少々取り乱しました……」
「大分取り乱していらっしゃいましたが……」
「それより! 聞きたいことはなんですか?」
「……それがしを試したでしょう?」
「……何故そうお思いに?」
「貴女なら、あれくらいの速さで走る馬を避けるのはわけないはずです」
「本当に足がすくんだのですよ……なかなか経験出来ることではありませんから」
藤花は首をすくめる。
「確かにそれはそうですが……」
「足が軋んだとでも言った方がよろしい?」
「!」
「大方似た物同士でしょう? 私たち……」
藤花が笑みを浮かべる。楽土がため息をついてから頷く。
「……ええ、そうです」
「あら、てっきり否定するかと思ったのですが……」
「ここで否定しても意味はありません……馬を弾き飛ばしたことで常人ではないということは馬鹿でも分かったでしょうから」
「ば、馬鹿……?」
「なにか?」
楽土がきょとんとする。
「ま、まあ、それはそうですね」
「出来る限りは隠すつもりでしたが……やはり無理でしたね」
「私からも質問よろしいですか?」
藤花が手を挙げる。
「え? ど、どうぞ」
「楽土さん、貴方のお役目は?」
「‼」
楽土が虚を突かれたような表情になる。
「ふふっ……まさか聞かれるとは思いませんでしたか?」
「え、ええ……」
「私、なにぶん馬鹿正直なもので」
「はあ……」
「付け加えると……私、面倒は嫌いなのです。人形同士で腹の探り合いをしたって詮無きことでしょう?」
藤花は小首を傾げる。楽土は戸惑い気味に頷く。
「そ、それはそうかもしれませんね……」
「貴方は私の監視役ですか?」
「……そういう類ではありません」
「本当に?」
「ええ、それがしは藤花さんを『お守り』し、『破壊』任務の手伝いをするようにと仰せつかりました……」
「ふむ……」
藤花が腕を組む。
「本当にそれだけです。ただし……」
「ただし?」
藤花が首を捻る。
「それがしに命じた方の真意は別のところにあるかもしれません……」
「あ~そう来ましたか……」
藤花が額に手を当てて苦笑する。
「それがしにお答え出来ることはそれだけです……」
「ふ~ん……」
「おい、あんたら……」
老人男性が声をかけてくる。楽土が首を傾げる。
「なんでしょう?」
「悪いことは言わん。ここから早く立ち去った方が良いぞ……」
「どういうことです?」
老人男性が倒れている男二人を指し示す。
「この二人……この辺を縄張りにしているならず者の一味だ……仲間がやられたとなったら、他の奴らが出張ってくるぞ」
「そ、それは厄介ですね……」
「ヒヒ~ン!」
「うわっ⁉」
馬が起き上がりまた暴れ始める。
「……!」
「! ヒヒ~ン……」
藤花が一睨みすると、途端に馬が大人しくなった。楽土が驚く。
「が、眼力で制した……?」
「良い子ね、よっと……おじいさん、そのならず者の根城はどこですか?」
藤花が慣れた様子で馬に跨り、老人に尋ねる。
「ま、町の外れだ……山の方の……」
「と、藤花さん、どうするつもりですか?」
「馬をもう一頭拝借しましょう」
「ええっ⁉」
藤花の提案に楽土は驚く。
「さて……」
藤花は馬を進ませる。
「藤花さん……」
馬の後に続く楽土が口を開く。
「何?」
「何故、ならず者の根城に向かうのです?」
「さっきも言ったでしょう? 馬をもう一頭拝借するのです」
「それはあくまでも建前でしょう?」
「はい?」
「本当はあの町を守るためでしょう?」
「は?」
「義の為にならず者たちを成敗するのですよね?」
「はああ?」
藤花はこれ以上ないほど反り返り、楽土の顔を見る。
「ち、違うのですか?」
「全然違います」
「ええ……?」
楽土が困惑する。藤花が体勢を元に戻す。
「だから何度も言っているではありませんか。馬を拝借すると」
「は、はあ……」
「それ以上でもそれ以下でもありません」
「ええ?」
「こちらがええ?ですわ」
藤花が戸惑う。
「な、何のために?」
「知れたこと、移動手段の確保です」
「移動手段?」
「ええ、貴方の分も馬が要るでしょう?」
「そ、それだけですか⁉」
「他に何があるのです」
「い、いや、町を守る為に……」
「それは私の知ったことではありません……」
「そ、そんな……」
「冷たい女だと思いましたか?」
「い、いや、そこまでは……」
楽土は首を振る。
「……この体はほとんど血が通っていないようなものですから、確かに冷たい女と言えるかもしれませんね……」
藤花が右手で左腕をぺたぺたと触りながら自嘲気味の笑みを浮かべる。
「……」
「でもね、知っていますか? 手が冷たい人は心が温かいそうですよ」
「そ、そうなのですか?」
「昔南蛮人にそう聞きました……」
「は、はあ……」
「もっとも私は人形ですから、これには当てはまりませんけど。あははっ!」
藤花は高らかに笑う。
「い、いや……」
「こういう戯言はお嫌い?」
藤花が首を傾げて問う。楽土が困惑気味に答える。
「わ、笑えませんよ……」
「そうですか。お気を悪くしたのならごめんなさい」
藤花が正面に向き直る。
「……心とは……」
「え?」
「心とはなんでしょうか?」
「心の臓のことではありませんか?」
楽土の問いに藤花が左胸を抑えながら答える。
「そ、そんな身も蓋もない……」
「だって、他に答えようがありませんもの」
藤花が笑って首をすくめる。
「いやあ……」
「それではどのようにお思いですか?」
「ええ?」
「お考えを聞いてみたいです」
「わ、分かりません……」
「そういうのは無し。なんでもいいからお答えください」
「そ、そうですね……確かにそこに存在しているかのようで、実際は存在していないもの……でしょうか?」
「ちょっと何言っているか分からない」
藤花が首を傾げる。
「い、いや、例えば、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだりしますよね?」
「ええ、妬んだり、僻んだり、恨んだりします」
「わ、悪いことばかり……」
「冗談です。続けてください」
「そ、そういう気持ちは体から湧いて出てくるように感じるものですが……決して臓物などから発せられているものではないと思うのです」
「ふむ……」
「故に、そこに存在しているかのようで、実際は存在していないものなのではないかと……」
「それでは……心の臓など一部を除けば、臓物がない私たちのようなものにも心は存在すると?」
「え、ええ……」
「だとすると、私たちは人間なのですか?」
「そ、そうかもしれません……」
藤花が体に触れながら問う。
「奇妙な仕組みの体ですよ?」
「そうですね……」
「冷たいですよ?」
「確かに……」
「人形ではないですか?」
「き、気持ちの揺れ動きがあれば……! すなわち心があるということ!」
「!」
藤花が振り向いて楽土を見る。楽土が思わず頭を下げる。
「す、すみません……」
「いえ、なかなか興味深いお話でした……どうやら着きましたね」
藤花が馬を止める。目線の先には古びた山寺がある。楽土が呟く。
「あそこが根城ですか……」
「そのようですね……」
「どうやって馬を……大体いるのかどうか……あれ?」
楽土が視線を戻すと、そこに藤花と馬がいない。
「……馬、もう一頭下さいます?」
藤花が寺の出入り口に立つ、警備の男たちに尋ねる。
「正面から堂々と⁉」
藤花のとんでもない行動に楽土が驚く。
「なんだあ、姉ちゃん?」
「いきなりわけのわかんねえことを……」
「馬、もう一頭下さいます?」
「はあ?」
「なんだって?」
警備の男たちが首を傾げる。
「馬、もう、一頭、下さい、ます?」
藤花がゆっくりと話す。
「うるせえな!」
「聞こえているんだよ!」
「あ、なんだ……」
「なんだじゃねえよ!」
「ちょっと待て、よくよく見りゃあ、それ、うちの馬じゃねえか!」
男が馬を指差す。
「ええ、なかなか良い馬なので、もう一頭拝借にきました」
「ふ、ふざけんな!」
「……もらえませんか?」
「やるわけねえだろうが!」
藤花がため息をつく。
「はあ……それならば仕方がありませんね……」
「ああん? がはっ⁉」
男が崩れ落ちる。藤花が髪の毛先をいじりながら呟く。
「奪い取っていきます……」
「な、殴り込みだ! 野郎ども! ぐはっ!」
もう一人の警備の男も倒れる。その叫び声を聞いて、山寺の境内にぞろぞろとならず者の男たちが集まってくる。
「なんだ⁉」
「殴り込みらしいぞ!」
「なんだと⁉」
「どこのどいつだ⁉」
「私です」
馬に跨った藤花が手を挙げる。
「……」
「?」
「ぶははっ!」
「姉ちゃんが殴り込み⁉ なんの冗談だ!」
「俺らと遊んでくれるのかよ⁉」
男たちが下卑た表情を浮かべながら藤花を取り囲む。
「そういう反応も自然と言えば自然……」
「おっ、よく見りゃあなかなか別嬪じゃねえか⁉」
「体つきもそそるなあ!」
「艶事を期待して、ついついここまで来ちまったんだよなあ~⁉」
「ひゃはっは!」
藤花は顔を俯かせながら呟く。
「そういう言葉も不自然ではない……が! 極めて不愉快!」
「ぶはっ!」
「ぐはっ!」
「ぬはっ!」
藤花が頭髪を大げさにかきむしると、仕込んでいた針が飛び、周囲の男たちの首筋を正確に射抜き、男たちは力なく倒れる。別の男たちが駆け付ける。
「お、お前ら! こ、これは……」
「ひときわ立派な服を着ている……アンタが頭だね」
藤花がビシっと指差す。
「な、なんだ、女! お前は何が目的だ⁉」
「馬」
「う、馬⁉」
「そ、連れの為にもう一頭欲しいの」
「そっちの離れが馬小屋だ! 好きなの勝手に持っていけ!」
「ありがとう……」
藤花は馬小屋を確認しながらも、そこから動かない。頭が尋ねる。
「な、なんだってんだよ⁉」
「……アンタら、不愉快だからぶっ潰すことにした」
「は、はあ⁉」
「頭をやれば終わりよね……」
「ま、待て!」
「待たない」
「お、おい、ただ飯食らい、出番だぞ!」
「う~ん?」
寺の奥から、大男がのっそりと現れる。
「力士?」
「そうだ、江戸でやり過ぎて追放されたところを俺が拾ってやった! こいつがお前の相手をしてやる!」
「お、お頭、女、女、女――!」
力士崩れが藤花を見て興奮する。
「ああ、倒したらお前の好きにしていい!」
「勝手に決めないでくれる⁉」
「勝手に来たのはてめえだろうが!」
「あ、それはそうだ……」
「ふふふ~女~」
力士崩れが涎を垂らしながら、藤花にゆっくりと迫る。
「でかいね~ただ、動きは鈍そうだ……!」
藤花は髪をかき上げる。
「⁉ な、なんかやったか?」
「なにっ⁉」
「な、なんか、ちょこっとだけ、首の辺りがチクっとしたな~」
力士崩れが首をさする。藤花が舌打ちする。
「ちぃっ! 皮膚が分厚いからか、針が通らない⁉ もっと長い針を用意しておくべきだったか、迂闊……」
「来ないなら、こっちから行くぞ~!」
「はっ⁉」
「うおりゃあ!」
「きゃあ!」
藤花が馬ごと吹き飛ばされる。力士崩れが笑う。
「きゃあ!だって、かわいいなあ~」
「くっ……」
今にも倒れ込みそうな馬に藤花はしがみつく。
「これで終わりだ~!」
力士崩れが四股を力強く踏んでから突っ込んでくる。
「そうはさせん!」
「⁉」
「ら、楽土さん⁉」
楽土が藤花たちの前に立ち、力士崩れの突っ込みを盾で防いでみせたのだ。
「ば、馬鹿な……」
「藤花さん、今の内に!」
「! えいっ!」
藤花は馬から舞い上がり、力士崩れの脳天に針を突き刺す。力士崩れは倒れる。
「よしっ! やりましたね、藤花さん!」
「ま、まずい、逃げるぞ!」
「そうはさせないっての!」
「ごはっ……」
藤花の追撃を食らい、頭を始めとしたならず者集団は壊滅した。
「ふう、助かったよ、楽土さん」
「無茶し過ぎですよ、藤花さん」
その後、藤花は馬小屋から立派な馬を連れてくる。
「ああ~大きくて良い馬いたよ……これに乗ると良いよ」
「あ、ありがとうございます……」
楽土は戸惑い気味に頭を下げる。
「なに? 嬉しくないの?」
「人のものですから……」
「どうせ、どこかからちょろまかしてきたものでしょ? ならず者に使われるくらいなら、私たちの方がよっぽといい」
「……それはそうかもしれませんね」
「そうでしょ?」
藤花が笑みを浮かべる。
「最初から……」
「え?」
「最初からこの集団を潰すおつもりだったのではありませんか?」
楽土が問う。
「ははっ、それはどうでしょうねえ?」
「……心あるじゃないですか、優しい心」
「! い、いや~物の弾みだって~」
藤花が恥ずかしそうにする。
「それがしはそう思うことにします。それにしても……」
「なに?」
「そろそろ目的地を教えてください」
「ああ……北にいきますよ、仙台です」
「! 仙台ですか……」
「ええ、あそこは昔からなにかときな臭いですからね」
「ふむ……」
「なにかご不満でも?」
「いえ、それがしたちが進んでいるのは甲州街道。奥州街道ではありません」
「そ、そういうことは早目に言ってよ!」
藤花が恥ずかしそうに声を上げる。