『竜王はワシじゃろ?』第1話 【創作大賞2024・漫画原作部門応募作】
あらすじ
小学四年生の十歳の女の子、将野竜子は自宅でテレビのニュースを見て、急な頭痛に襲われる。
流れていたのは、将棋の竜王戦に関するニュースだった。
やがて竜子は思い出す。自らが異世界からやってきた『竜王の血を引くもの』だということを……!
だがしかし、この世界からもとの世界に戻る方法は今のところ分からない……。そこで竜子はこの現代日本で『竜王』の座を目指す!
驚異の女子小学生、サクセスストーリー!
本編
プロローグ
「……はこれで七冠獲得。残りの竜王戦を勝てば、八冠となり、タイトル独占です」
「うっ……」
後方のテレビから流れる声を聞いて、テーブルの席に座っていた女の子は思わず頭を抑える。明るい髪色のサイドテールが揺れる。向かいの席に座っていた男の子が尋ねる。
「竜子、どうしたの? いきなり頭を抑えて……大丈夫?」
「太郎……い、いや、どうやら大丈夫ではなさそうじゃのう……」
「……竜王戦とは、将棋界では名人戦と並ぶ別格のタイトルで……」
「竜王戦……ううっ」
竜子と呼ばれた女の子がさらに頭を抑える。太郎と呼ばれた男の子が心配そうに問う。
「ほ、本当に大丈夫?」
「なにか、ズキズキと頭痛が痛いんじゃ……」
「頭痛が痛い……日本語がめちゃくちゃだ。うん、とりあえずは平気そうだね……」
「全然平気ではないわ! このシリアスな場を和ます為に冗談を言っただけじゃ!」
「……な、なんだ、結構余裕あるじゃん……」
「なにか……とても大事なことを今の今まで……十歳まで忘れていたような……」
「今度の竜王戦、将棋ファンだけでなく、多くの方からの注目が集まりますね~」
「そうじゃ! それじゃ! 『竜王』じゃ!」
竜子がガバッと勢いよく立ち上がる。太郎が驚きながら三度問う。
「ど、どうかしたの……? あの将棋のニュースが何か関係あるの?」
「……太郎よ、話せば長くなるんじゃが……ワシは竜王の血を引く者なんじゃ、以上」
「話短っ⁉ ど、どうしたの? アニメの見過ぎだよ……あるいはゲームのやり過ぎ?」
「そういうのではなく……ワシはこの家の子ではない。きっと、異世界から送られて来た竜王の忘れ形見なんじゃ。それがパパさんとママさんに預けられたんじゃ……」
「妄想が好きなお年頃なのは分かるけどさ……それはどうだろう?」
「ええい、妄想などではない! なんとなく漠然と思い出したんじゃ!」
「そういうのは思い出したって言わないよ!」
「とにかく、聞いてみれば分かる! パパさん! ……には聞いても無駄じゃな!」
「ええっ⁉ パパかわいそうじゃない⁉ ママは今お部屋でお仕事中だよ⁉」
「ママさん、仕事中すまん! 実はかくかくしかじか……ワシは竜王の血を引く者か⁉」
「ああ、うん、まあ、そう」
「うん、まあ、そう⁉」
竜子と太郎はママのあまりにもあっさりとした返答に驚愕させられる。
1
「いや~とうとうバレちゃったか~」
「ノリが軽い⁉」
自らの後頭部をポリポリと掻くママを見て、太郎があらためて驚く。
「やはり……遠い親戚の子というのは嘘なんじゃな?」
「そだねー」
「そ、そだねーって……」
太郎がママの言葉に思わず苦笑する。竜子が真面目な顔で呟く。
「妙だとは思っていた……写真すら無いというのが……」
「う~ん、隠していたわけじゃないんだけどね。どう切り出したらいいものかと思ってさ……」
「十歳の誕生日にでも言えば良かったじゃろうに」
「いや、いきなり、『あなたは竜王の血を引く者なのよ』って言われたらどうよ?」
「ドン引きじゃな」
「でしょ?」
「ふむ……」
「まあ、この話はまた今度にでも……それよりおやつにしましょう?」
「うわ~い、おやつじゃ~!」
「い、いや、おやつに釣られている場合じゃないでしょ⁉ 絶対に!」
太郎が声を上げる。
「はっ! そう言われてみると確かに……!」
「そう言われなくても気付いてよ!」
「……ママさん、ワシは本当に竜王の血を引く者なんじゃな?」
「……うん」
「竜王というのは異世界のか?」
「そうだね」
「どうしてワシがここに?」
「それは……話せば長くなるけど……」
「うむ……」
「ご、ごくり……」
竜子と太郎が息を呑む。ママが寝室の押し入れを指差す。
「押し入れが異世界と繋がって、王様的な人が『この子を頼む』って……以上」
「短っ⁉」
太郎がさらに驚く。竜子が尋ねる。
「……異世界と繋がったじゃと?」
「後にも先にもそれだけだけどね、ドンドンと叩く音がするから開いてみたら、王様的な人がまだ幼かったあなたを抱いて立っていたの」
「その王様的な人が竜王?」
「うん、『わしは竜王じゃ』って言っていたし……」
「何故にワシをママさんたちに託したんじゃ?」
「それは分からないわ。ただ……見る感じ、かなり切羽詰まった様子だったわね……あまりこういうことは想像したくないのだけれど……恐らく、向こうの世界は戦争中だったんじゃないのかしら」
「戦争中……」
「これもあくまでもママの推測だけどね……戦争に負けそうになったから、自分の子であるあなただけでも逃がそうとしたんじゃないのかしら」
「ふむ……」
竜子が腕を組んで考え込む。ママが申し訳なさそうにする。
「ごめんなさいね……いつかは話さないといけないとは思っていたんだけど……」
「……いや、当のワシが何も思い出していないのに話しても無駄じゃろう……仕方がないことじゃ……」
「そう言ってもらえると助かるわ……」
「しかし、今まで気が付かなかった自分が情けない……」
「それは無理も無いんじゃない?」
太郎が慰める。
「くしゃみをした瞬間火を吐いたり、空を飛べた時、おかしいとは思ったんじゃが……」
「その時点で気付きなよ!」
「一人称ワシが大きなヒントじゃったか……」
「いや、それはわりとどうでもいいよ! ……っていうか、空飛べたの⁉」
太郎が三度驚く。
「ああ、調子が良い時だけじゃけどな」
「え、ええ……気付かなかった……学校とか遅刻しないじゃん」
「それは思いつかなかったのう……シャワーを浴びて、バスタブに入るときによく飛ぶ」
「もったいない使い方⁉」
「まあ、それは良い」
「良いんだ……」
「……」
竜子が顎に手を当てて考え込む。太郎が問う。
「りゅ、竜子?」
「竜子!」
「パ、パパ⁉」
「お前はうちの子だ! 将野竜子(まさのりゅうこ)だ! まぎれもない家族の一員だ!」
寝室に入ってきたパパが涙ながらに叫ぶ。
「うん、まあ、それはこの際どうでも良いんじゃ」
「ど、どうでも良い⁉」
「か、感動的な場面じゃないの⁉ 今のは⁉」
竜子の淡泊なリアクションにパパと太郎が愕然とする。
「……ママさん、異世界に戻る方法は?」
「見当もつかないわ。ママもパパもごく普通の人間だし」
ママは両手を広げて、首を左右に振る。
「ふむ……」
「竜子、帰りたいの?」
「興味はあるが、帰れないのなら考えても仕方がない」
「ド、ドライね……」
「ママさん、テレビで竜王がどうとか言うとったんじゃが?」
「? ああ、将棋の竜王戦でしょ?」
「将棋……」
「……今調べたけど、誰でも挑戦出来るタイトルみたいね」
「……よし、とりあえずはその竜王になるぞ!」
「はあっ⁉」
竜子の宣言に太郎が度肝を抜かれる。
「竜王になるのじゃ!」
「い、いや、将棋やったことあるの?」
「あるわけないじゃろうが!」
「ええっ⁉」
太郎が驚く。
「そんなに驚くことか?」
「将棋未経験なのに、竜王になるっていうのは無謀だよ……」
「無謀かの?」
竜子が首を傾げる。
「だって、将棋が何かも分かっていないでしょ?」
「それくらいは分かるわ。盤上の遊戯じゃろう?」
「う、うん、ボードゲームだよ……ルールは?」
「全く知らん!」
竜子が力強く断言する。
「や、やっぱり無謀だよ……」
「誰だって最初は初めてじゃ! ルールなら覚えれば良いだけのこと!」
「パパ……」
「ほいきた!」
ママが目配せすると、パパが部屋を出ていく。太郎が首を傾げる。
「え? ど、どうしたの? パパ……ああっ⁉」
太郎がまたも驚く。パパが何やら机のようなものを持ってきた。ママが話す。
「親戚のおじさん、あなたたちの大叔父さんから譲り受けた将棋盤よ。『やる気は伸ばせ』が我が家の教育方針……パパから将棋のルールを教わりなさい」
「パパ、将棋分かるの?」
「いや、あくまで初心者レベルだけど……駒の動かし方とかなら……」
「よし! 早速始めるのじゃ!」
「それじゃあ……」
リビングに移動した竜子と太郎、パパが将棋盤を挟んで向かい合う。パパが駒を手際よく並べていく。竜子がそれを興味深そうに見つめる。
「ほう……」
「……出来たよ」
「ふむ……」
「縦に9マス、横に9マスと仕切られた盤で、一回ずつ駒を動かして、相手の王――玉、ぎょくとも言うね――を取った方が勝ちのゲームだよ。すごく簡単に言っちゃったけど」
「王手!っていうやつだ」
「太郎、よく知っているね」
「それくらいはね……」
「続けるけど、これまた簡単に言えば、手前の3列が自分の陣地、3列挟んで、奥の3列が相手の陣地だ。最初は陣地内に駒を置いて、そこから動かす。ここまでは良いかな?」
「うむ……」
竜子が頷く。パパが話を続ける。
「じゃあ、駒の動かし方を……まずこれ」
パパが『歩兵』と書かれた駒を手に取る。竜子がそれを読む。
「ほへい……」
「『ふひょう』と読むんだ。まあ、『歩』、ふ、と呼ぶのが一般的だね。これが一番多い駒で、自分と相手で9枚ずつ、合計18枚もあるんだ。この歩が陣内最前列に並んでいる。この歩は前に1マスだけしか進めない」
「シンプルじゃな」
「シンプルだけど奥深い。歩の使い方で勝負が決まるときもあるよ」
「使い方?」
太郎が首を傾げる。
「ああ、将棋は相手の駒を取ることが出来るんだけど、駒を取ったら自分の駒として使うことが出来るんだよ」
「へえ、味方を増やせるんだ」
「そう、置いては駄目な場所もあるんだけど、それは追々……次は……」
パパが『香車』と書かれた駒を手に取る。竜子がそれを読む。
「かおりぐるま」
「『きょうしゃ』って読むんだ。これは自陣の3列目の両端に1枚ずつある。前方になら一直線に突き進めるよ」
「貫く感じじゃな」
「そう、『槍』というあだ名もあるね。ああ、味方の駒を飛び越えたりすることは出来ないよ、香車に限らず。次は……」
パパが『桂馬』と書かれた駒を手に取る。竜子がそれを読む。
「かつらうま」
「『けいま』と読むんだ。これは香車の隣、これまた1枚ずつある。これは特殊な動き方をする駒でね。2マス前方の右か左のマスに動くことが出来るんだ」
「軽快な感じじゃな」
「そうだね、これは味方や相手の駒を飛び越えることが出来る。ただ、相手の駒は取れるけれど、味方の駒があるマスには移動出来ないよ。次はひとつ飛ばして……」
パパが『金将』と書かれた駒を手に取る。竜子がそれを読む。
「『きんしょう』」
「当たり。これは王の両隣に、これも1枚ずつある。前と両斜め前、左右、後ろに1マスずつ動けるんだ」
「有能じゃな」
「そう、攻守において重要な役割を果たす駒だ。次はこれ……」
パパが『銀将』と書かれた駒を手に取る。竜子がそれを読む。
「『ぎんしょう』」
「また当たり、これは金と桂馬の間に、これまた1枚ずつある。前と両斜め前には動けるけれど、左右と後ろには動けない」
「むっ、物足りないのお……」
「ところがどっこい、両斜め後ろに動けるんだ。金には出来ない動きだよ」
「ほう、渋いのお……」
「まさに『いぶし銀』だね。次はこれ……」
パパが『角行』と書かれた駒を手に取る。竜子がそれを読む。
「かくゆき」
「『かくぎょう』と読むんだ。シンプルに『角』、かく、と呼ぶことが多いね。これは自陣の2列目の端から2番目、自分から見て、左に1枚だけある」
「強そうじゃな……」
「強いよ、なんてたって、斜め方向なら前後問わずどこまでも行けるんだから」
「トリッキーじゃな」
「勝敗を大きく左右する駒だよ。次はこれ……」
パパが『飛車』と書かれた駒を手に取る。竜子がそれを読む。
「とびぐるま」
「『ひしゃ』と読むんだ。これは角の反対側、自分から見て、右側に置かれている」
「これも強そうじゃな……」
「そう、これは前後左右、どこまでも行ける駒なんだ。最後は……」
パパが『王将』と書かれた駒を手に取る。竜子がそれを読む
「『おうしょう』」
「そう、これは自分と相手で1枚ずつ――片方は『玉将』、『ぎょくしょう』と書いてあるけど、同じものだよ――あって、これを取られたらゲームオーバー」
「どういう動き方をするんじゃ?」
「前後左右斜め、どの方向にも進める。1マスだけだけどね」
「ふむ……まあ、王はやたらと動いたりせんか……」
「それでさらに覚えて欲しいのが……駒を進めて、相手の陣内に入ったとするよね?」
「ああ」
「そうなると、王や金以外はこうして……」
「駒を裏返した?」
「そう、これが『成る』っていうことなんだ」
「成る……」
「歩と桂馬と香車と銀は金になって、金と同じ動きをすることが出来る――代わりに元の動きは出来なくなるけど――これが『成金』ってやつ。歩は裏返すと、とって書いてあるから『と金』と呼ばれる。あえて成らないという選択もあり。銀以外は端まで行ったら、成らないと動けなくなるけれどね」
「ふむ、と金……角と飛車は?」
「角は『龍馬』、飛車は『龍王』になって、元々の動きに1マス加わる。龍馬は前後左右に、龍王は斜め四方向に、それぞれ1マスずつ動けるようになる。……動かし方は大体こういう感じ……分かったかな?」
「ああ……どこで将棋は出来る?」
「え、将棋教室とか、道場とか……近所にも道場があったような……ママ?」
「……調べたら、駅前にあるわね」
「よし! 早速行くのじゃ!」
「「ええっ⁉」」
立ち上がった竜子の宣言に太郎とパパは驚く。
「……」
ピシッと、駒が将棋盤に鋭く打ち付けられる音が響く。
「う、う~ん……ありません」
老年に近い男性は頭を下げた。
「……ありがとうございました」
その老年の男性と盤を挟んで、向かい合って座っていたのは、綺麗な黒髪ロングの女の子であった。女の子は丁寧に頭を下げると、パッと向き直る。
「ありがとうございました……いや~参った、参った」
老年の男性が白髪の多い後頭部を抑えながら呟く。周囲に人が集まってくる。
「アマチュア初段の留さんが、またまた負けるとは……」
「またまたとか言うな」
留さんと呼ばれた老年の男性が唇を尖らせる。
「しかし、最近は負けっぱなしじゃないか?」
「まあな……」
「何枚落ち?」
「……四枚落ち」
留さんが言い辛そうに呟く。周囲が驚く。
「え!」
「留さん、ついこの間まで二枚落ちじゃなかったっけ?」
「ああ、『今日は四枚落ちでお願いします』とか嬢ちゃんが言うからよ、ついムキになっちまって……」
「あなたへのハンデを増やしてあげましょうってことだからな……」
「とはいえ、負けは負けだ」
「最初から並べてみてくれよ」
「ええ、良いですよ」
黒髪ロングの女の子が決着のついた盤上の駒を初期位置に並べ直す。
「四枚落ち、つまり嬢ちゃんが飛車と角、さらに両端の香車もなしの状態でスタートだ……先手番は俺……」
「……」
留さんと黒髪ロングの女の子が、最初からテンポ良く将棋を指し直していく。対局の再現だ。周囲がそれを見て頷く。
「……留さん、攻め急いではいないな」
「ああ、ムキになったと言っても、冷静だ」
「このあたりは、さすがはかつてのアマチュア初段か」
「かつてとか言うな、まあ、大分前ではあるけどよ……」
留さんが周囲の茶々に対し、言い返す。
「………」
黒髪ロングの女の子は淡々と指し直す。周囲から感嘆の声が漏れる。
「おおっ、あっという間に形勢が……」
「さっきの6四銀だな。いつの間にか銀が守りから攻めに転じている」
「ああ、それで留さんがバランスを崩しちまった……」
「……ここで俺が投了……一旦攻められたらあっという間よ」
留さんが苦笑気味に周囲を見る。
「いや~強い。アマ初段の留さんに四枚落ちで楽々と勝つとは……もう、女流二段くらいの棋力はあるんじゃねえのか?」
「……こう言ってはなんですが、『女流棋士』には興味がありません」
「え?」
「私が目指すのはあくまでも『棋士』です」
「お、おお、確かに、史上初&最年少の女性棋士誕生も夢じゃねえな……」
「それも興味がありません……」
「ええ?」
黒髪ロングの女の子がバッと立ち上がり、右手で天井の方をビシっと指差す。
「私、伊吹玲央奈(いぶきれおな)が目指すのは、『名人』です!」
「お、おお~!」
周囲の人々が思わず拍手する。留さんが膝を打つ。
「父娘揃っての名人位獲得か! 話題になるな!」
「それも少し違います……」
玲央奈と名乗った女の子が首を振る。
「え? 違うって……」
「名人というタイトルを伊吹家に取り戻すのです……!」
「! と、取り戻すと来たか……嬢ちゃんならば出来そうな気がするぜ」
「……いい加減、嬢ちゃんと呼ぶのをやめてもらえませんか?」
玲央奈が留さんを見つめて告げる。
「え? あ、ああ、悪い、つい癖でよ……小っちゃい頃からこの道場に出入りしているし……」
「そうだな、伊吹九段にここへ連れられてきて……初めの内はすみっこの方でただ遊んでいるだけだったのに……」
「あれよあれよという間に、棋力をメキメキと上げて……」
「まだ四年生なのに、もうこの道場の常連が誰も敵わなくなった……」
「ここは俺らシニア世代だけじゃなく、社会人や大学生、中高生の実力者も顔を出す、それなりにレベルが高い道場なのにな……」
「才能というのはかくも残酷なものだぜ……」
「……才能という言葉で片付けて欲しくはないですね」
「うん?」
「私は常に研鑽を続けています……何もしないでここまでなったわけではありません」
「あ、ああ、気に障ったのなら悪い……」
男性が玲央奈に謝る。玲央奈が首を静かに左右に振る。
「いえ、誤解して欲しくなかっただけです……」
「だ~か~ら~! ここは将棋道場なんじゃろう⁉」
「?」
玲央奈が道場の入口付近にある受付に視線を向ける。
「あ、あまり大きな声を出さないで、お嬢ちゃん……」
「お嬢ちゃんではない! 最初に名乗ったじゃろう⁉ ワシは将野竜子じゃ!」
「え、ええ、そうね、将野竜子ちゃん……」
「この道場で一番強い奴と戦いたい!」
「い、いや、初めて来た子にいきなり言われても……」
「な、なんだ? 子どもが騒いでいるな……」
「ふふっ……」
玲央奈が歩き出す。
「お、おい、嬢ちゃ……玲央奈ちゃん、なにも君が相手することは……」
「まだまだ女子の将棋人口は少ないですから……競技普及も大事な務めです」
「! 振る舞いは既にプロだな……」
「……こんにちは」
受付近くに来た玲央奈がにこやかに竜子に話しかける。
「! こ、こんにちは……って、誰じゃ?」
「私は伊吹玲央奈、この道場で一番強い奴よ。貴女は?」
「ワシは将野竜子! 道場破りに来た!」
「ど、道場破り……?」
玲央奈が戸惑う。
「そうじゃ!」
竜子が満面の笑みで頷く。
「道場破りって、いつの時代から来たのよ……」
「道場とは破るもんじゃろう?」
竜子が首を傾げる。
「認識が偏っているわね……」
「そうかの?」
「そうよ」
「ところで、玲央奈よ」
「よ、呼び捨て⁉」
玲央奈が面食らう。
「今言っていたな。お主がこの道場の中で一番強い奴だと?」
「お主って……ええ、そうよ」
玲央奈が自らの胸に手を当てて頷く。
「それはまことか?」
「まことよ。嘘を言ってもしょうがないでしょう」
「……」
「なに?」
「まだ子どもではないか……」
「! あ、貴女だって子どもでしょう⁉」
「ワシは小四じゃぞ?」
「私も小四だけど?」
「むっ、同級生か……」
竜子がややたじろぐ。
「……小四でマウントを取ろうとしたの?」
玲央奈が呆れ気味に呟く。
「お、お主、どこ小じゃ?」
「ぜ、前時代的な絡み方⁉ べ、別にどこだって良いでしょう……」
「む……まあ、それもそうじゃな……」
竜子が頷く。玲央奈が咳払いをひとつ入れる。
「……おほん、将野さん……」
「竜子で構わん」
「ええっ⁉ りゅ、竜子ちゃん……」
「なんじゃ?」
「一局指したいのでしょう?」
「ん? ここはカラオケもあるのか?」
竜子が周囲を見回す。
「い、いや、一曲じゃなくて、『一局』ね……テレビ局とかの局」
「ああ、お局さんの局か」
「それについてはノーコメント……将棋は対戦を局で数えるの」
「ほう……では一局打つか!」
「違うわ」
「なに?」
「『打つ』のは『囲碁』、将棋の場合は『指す』というのよ」
「ふむ……」
真面目な顔つきだった玲央奈がフッと笑う。
「まあ、細かいことは後でも良いわね……早速指しましょうか」
「ああ!」
「……それじゃあ、こっちへどうぞ」
「うむ!」
玲央奈に促され、二人は空いている席に向かい合って座る。
「……さて」
玲央奈は竜子の分まで駒を手際よく並べる。
「よし! 始めるかの!」
「待って」
「ん?」
「将棋は礼に始まって、礼に終わるのよ……『お願いします』」
玲央奈が丁寧に頭を下げる。
「お、お願いします……」
竜子も頭を下げる。玲央奈は微笑む。
「よろしい……ああ、そういえば……」
玲央奈が自らの駒をいくつか取ろうとする。竜子が首を傾げる。
「……何をしておるんじゃ?」
「何って……ハンデよ」
「ハンデじゃと?」
「ええ、このままだと勝負にならないでしょう」
「ば、馬鹿にするでない! そんなものは無用じゃ!」
「ええ……まあ、良いわ」
玲央奈が駒を並べ直す。竜子が満足気に頷く。
「そうじゃ、それで良い……」
「……先手は……先攻は貴女で良いわよ」
「そうか……ああ、先に言っておかなければな、勝ったらこの道場の看板をもらうぞ?」
「ええ? ま、まあ、良いわよ、勝てるものならね……」
「よし、始めるぞ……こうじゃ」
「! は、8六歩⁉」
竜子の指した手に玲央奈が驚く。竜子が首を捻る。
「? どうかしたのか?」
「い、いえ……」
(いきなり悪手を指してくるとは……駒の持ち方もたどたどしいし……かなりの初心者ね……良い感じに指させて、気分良くなって、将棋を好きになってもらおうかと思ったけれど、かなり難しいわね……いいえ、玲央奈、これも修行の一環よ……)
「お主の番じゃぞ?」
「分かっているわ……」
玲央奈が初手を指す。対局が始まる。それからしばらくして……。
「こうじゃ!」
「む……」
竜子の指した手に玲央奈の顔が若干強張る。
(なかなかの妙手ね……定跡も戦法もなにもない滅茶苦茶な将棋だけど……このままこの子のペースに巻き込まれるとちょっとマズいわ。看板もかかっていることだし、ここら辺で勝たせてもらおうかしら)
「なんじゃ? どうした?」
「なんでもないわ……!」
玲央奈がビシっと駒を指す。そこからしばらく手が進む。玲央奈の端正な顔が次第に険しいものになっていく。
(……私が劣勢⁉ 最近は大人にもそうそう負けないこの私が⁉ こ、この子、一体何者なの⁉ 大会などでは見かけたことが無いけど……)
玲央奈が竜子の顔をじっと見つめる。竜子が不思議そうにする。
「なんじゃ? ワシの顔になにか付いておるか?」
「い、いいえ、なんでもないわ。失礼……」
玲央奈が視線を戻し、次の手を指す。竜子が返す。玲央奈の顔がまたも険しくなる。
(また絶妙な一手を……! ほ、本当にこの子何者? ワシとか言ってるけれど……この辺の子じゃない? もしや広島の子?)
「ふふん、どうじゃ、太郎、パパさん、ワシの対局ぶりは?」
「い、いきなり話しかけないでよ!」
「た、対局に集中して!」
(兄弟の子とお父さんは方言ではないわね……やっぱりこの辺りの子? いや、どちらにしても、これくらいの棋力なら、今まで注目されてこなかった方がおかしい……)
「………」
玲央奈が盤面を見ながらしばらく考え込む。竜子が尋ねる。
「玲央奈の番じゃぞ?」
「分かっているわ……よ!」
「ほい!」
「‼」
竜子が即座に指し返してきたことに玲央奈は驚く。
(わ、私が長考したのに、ノータイムで指してきた⁉ 読んでいたの⁉ あっ……!)
玲央奈が自らの口元を抑える。明らかにマズい手を指してしまったからだ。
(私としたことが! 焦って下手な手を! 流れが完全にこの子に……!)
「これでどうじゃ!」
「⁉」
「……どうしたのじゃ?」
「い、いや、歩を同じ列に置くのは、『二歩』と言って、反則負けになるのよ……」
「に、にふ⁉ 反則負け⁉」
「二歩も知らない子にここまで追い詰められるとは……貴女、棋歴は?」
「きれき?」
「将棋を始めてどれくらい?」
「ついさっきじゃ」
「つ、ついさっき⁉」
「ああ、そうじゃ」
「そ、そう、将野竜子ちゃん……その名前、よ~く憶えておくわ……」
玲央奈が竜子をキッと睨む。