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『この厳島甘美にかかればどうということはありませんわ!』第1話 【創作大賞2024・漫画原作部門応募作】

あらすじ
 
超のつくお嬢様、厳島甘美は表向きはキャンパスライフを謳歌する陽気な女子大生。
 陰なる雰囲気を漂わせている巫女、隠岐島現とともに行動している。
 そんな甘美と現には、誰にも知られていない裏の世界での顔があった……!
 広島や中国地方で繰り広げられる、不思議なダンジョンライブツアーをご覧あれ!

本編

 周囲をレンガで覆われた薄暗い道を歩く若い女性が二人。
「今のところ特に変わったことはありませんわね……やはり気のせいでは?」
 長く綺麗な金髪の女性が口を開く。黒いシャツとパンツの上に白いジャケットを羽織っている。その美しく凛々しい表情には気品と自信が同居している。
「……油断は禁物」
 金髪の女性のやや後ろを歩く、黒髪のショートボブの女性がボソッと呟く、神社の巫女さんが巫女舞で着るような衣装を身に纏い、背中に何かを背負っている。こちらも端正な顔立ちだが、どこか陰なる雰囲気を漂わせている。金髪の女性がややうんざりした顔で反応する。
「……そんなことは重々承知しています」
「念には念を……」
「そのフレーズの極端な少なさ、なんとかなりませんこと?」
「口数が多いとクレームをつけてきたのはそちら……!」
「グオオッ!」
 二足歩行の白いワニのような化け物がレンガの壁をぶち壊して現れ、女性たちを襲う。
「やっとお出ましになりましたわね! 参りますわよ!」
「援護する……。~~♪」
 黒髪の女性が背中に背負っていたものから音を奏でる。白ワニの動きがピタッと止まる。
「お仕置きの時間ですわ! はあっ!」
「グオッ⁉」
 金髪の女性が掛け声を発すると、白ワニが吹っ飛び霧消する。金髪の女性が目を丸くする。
「あらら? それだけ? まだイントロすらも終わっておりませんのに……」
 薄暗い道がパッと明るくなる。黒髪の女性が諸々を確認して、頷きながら呟く。
「なるほど、締め切り間際の白いワニか……問題はクリアされたようだ……帰還しよう」
「う……うん……?」
 あるオンボロな雑居ビルの一室で、中年男性が目を覚ます。金髪の女性が覗き込み尋ねる。
「お目覚めになられましたね。いかがでしょうか。良い夢は見られましたか?」
「……は、はい、不思議と心がスッと晴れやかになりました!」
「それは何よりですわ! また何かあれば気兼ねなくご相談下さい!」
 金髪の女性が陽気な声で応える。中年男性はお礼を言って、お金を払い、その場を去る。
「ふっ、さすがは人気のある漫画家……金払いが良い……これで今月はかなりの儲け……」
 黒髪の女性が笑みを浮かべる。金髪の女性が窓から外を眺めながらため息交じりで呟く。
「これはあくまでも『副業』、早く『本業』でお金を稼ぎたいものですわ……」
「前途は多難……」
「この厳島甘美(いつくしまかんび)、『夢世界(ダンジョン)』攻略者ではなく、スーパースターになりたいですわ……!」


「ふう……」
広島市内のとある女子大を厳島甘美は颯爽と歩く。この大学は世間的にはいわゆる『お嬢様大学』というカテゴリーに入る大学なのだが、その中でも日本有数の企業グループである『厳島グループ』の令嬢である甘美の存在感は人一倍強い。ただ大学構内を歩くだけでもたちまち人目が集中する。
「見て、厳島先輩よ……」
(ふう、また噂話の的ですわね……)
「今日もお綺麗ね……」
(明日も明後日もお綺麗ですわ)
「でも、ご存知? バンドをやっているそうですわ」
(ええ、やっていますわ)
「もしかして……不良?」
(いつの時代の価値観ですの?)
「何でも昨年度は単位を全て落としたとか……」
(失礼な、ちゃんと取りましたわ。追試とレポート提出でなんとかギリギリでしたけど……)
「生きざまがロックですわね……」
(別にロックンローラーではないのですが……)
「そういうところも含めて素敵ですわね~」
(お、お気持ちは嬉しいのですが、貴女はそれで良いのですか?)
「……喉が渇きましたわ」
 甘美は近くの自販機に目を留め、飲み物を購入しようとする。
「何をお買いになるのかしら?」
「いちごカフェオレ? オレンジジュース?」
「そんなお子ちゃまな飲み物はお召し上がりにはならないでしょう」
「そうですわよね~」
(ぐっ、メロンソーダを買いづらくなりましたわ……ええい!)
「ブ、ブラックコーヒー!」
「さすが、大人の女性ですわ……」
「ふう……」
 甘美は近くのベンチに腰掛け、ブラックコーヒーを一口飲む。
「絵になりますわね~」
(周囲の視線が……人気者は辛いですわね……苦っ……)
「あ、あの~厳島先輩? お話があるのですが……」
 大人しそうな女子が話しかけてきた。甘美はコーヒーの苦みで少ししかめていた表情を笑顔に変える。
「SNSに上げるお写真? よろしくてよ」
「い、いや……」
「サイン? 転売などはなさらないでね。そんなことはなさらないと思うけど……」
「え、えっと……」
「ああ、握手かしら? 同姓の方ならハグもOKですわよ?」
「す、すみません、そうではなくて……」
「え?」
 甘美は両手を広げて首を傾げる。
「お願いしたいことは他にありまして……」
「……」
「………」
 気まずい沈黙が流れる。
「……直接お話になればよろしいのに」
 廊下を歩きながら、甘美は大人しい女子に語りかける。
「い、いや、あの先輩はちょっと話しかけにくいと言いますか……」
「そうですか?」
「え、ええ……」
「怖いのですか?」
「こ、怖いというか、なんというか、独特なオーラを纏っているというか……」
「む……」
 甘美が立ち止まって額を抑える。大人しい女子が問う。
「ど、どうかされましたか?」
「オーラなら……」
「え?」
「オーラならわたくしもなかなかのものを放っていると思うのですが?」
 甘美が額を抑える指の間から大人しい女子に視線を向ける。
「え、ええ?」
 大人しい女子が戸惑う。
「いかがでしょうか?」
「い、いや、そう言われても……」
 大人しい女子が答えに窮する。甘美が微笑む。
「ふっ、わたくしのオーラに気圧されてしまいましたか……」
「あ、はい、すみません……」
「謝ることはありません……ちょうど着きましたわ」
 甘美がある一室を指し示す。『』とでかでかと書かれた看板が下がっている。
「あ……」
「貴女にお客様ですわ、インチキ占い師さん……」
「インテリ占い師の間違いだろう」
 巫女舞の恰好をしたショートボブの女性が部屋に入ってきた甘美に答える。
「……まったく、大学内にこのような怪しげなスペースを堂々と構えるとは……大学は何を考えているのか……」
「学生の自主性の尊重……」
「聞こえの良いことを言わない」
「実際問題として苦情は一件も出ていない」
「む……」
「よく当たるからな」
「誰にでも当てはまるようなことをもっともらしく言っているだけでしょう」
「そういう考え方も出来る」
「ふん……」
「あ、あの……」
 大人しい女子が遠慮がちに口を開く。
「ああ、失礼。今の話はお気になさらず。ほんの戯言ですわ」
「は、はあ……」
「あらためて、貴女にお客様です」
「……どうぞ、お座りになって下さい」
 ショートボブの女性が自分の前の席を指し示す。
「は、はい、失礼します……」
 大人しい女子が席に座る。ショートボブの女性が軽く頭を下げる。
隠岐島現(おきのしまうつつ)です……お名前は?」
「さ、佐藤春子です」
「佐藤さん、本日はどういったことで?」
「えっと……」
「ちょっと待って!」
 現が手のひらを佐藤の前に突き出す。
「え、え?」
「……分かりました」
「え、ええ?」
「あるお悩みについて占って欲しいのですね、違いますか?」
「す、すごい、当たっています!」
「それはそうでしょう。本当に大丈夫なのかしら、この大学……」
 甘美は呆れ気味に小声で呟く。
「実は……」
 佐藤が言い淀む。現が首を傾げる。
「どうしました?」
「いや、えっと……」
 佐藤が部屋の隅に立っている甘美に視線を向ける。
「ああ、彼女はごぼうか何かだと思ってもらって……」
「ごぼうってなんですの?」
「物のたとえ……」
「たとえって!」
 現が佐藤に向き直る。
「今のはちょっとした冗談です」
「はあ……」
「実はですね……ほらほら……」
 現が手招きする。甘美が首を捻る。
「は?」
「いいからここに座って」
 現は自分の隣の席に座るように甘美を促す。
「なんでですの?」
「なんでもですの」
「はいはい……」
 甘美が現の隣に座る。現が甘美を指し示す。
「彼女は私の助手的なことをやってもらっているのです」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、私を大変リスペクトしていて……」
「お話を捏造しないで下さる?」
 甘美がジト目で現を見つめる。現が小声で呟く。
「話を合わせろ……」
「え?」
 佐藤が首を傾げる。
「いえ、なんでもありません。とにかく彼女はここでの話をいたずらに言いふらしたりはしません。その辺りは安心して下さい」
「はい……」
「では、あらためて、伺ってもよろしいですか?」
「ええ……実は……友人関係で悩んでおりまして……」
「友人関係?」
「はい」
「最近ケンカをされたのですね?」
「いえ……」
「違いますよね、分かっています」
「は、はい……」
「好きな男性の取り合いになったのですね?」
「い、いえ……」
「それも違いますよね、分かっています」
「え、ええ……」
「そのご友人とこのまま友人関係を続けていいものかどうか、お悩みなのですね?」
「あ、当たっています!」
 佐藤が驚く。甘美が呆れながら呟く。
「そりゃあ、いつかは当たるでしょう……痛っ⁉」
 甘美が足の方に目をやると、現の左足が自らの右足を踏んでいた。
「その友人のお金遣いが荒い……!」
「う~ん、それほどでもないような……」
「ですよね、分かっています」
「えっと……」
「その友人の暴力が酷い!」
「いや、それは……」
「それもそうですよね、分かっています」
「ええっと……」
「そのご友人の言葉遣いが酷い!」
「! そ、そうです!」
「ほらね!」
 現が隣の甘美に勝ち誇った顔を見せる。
「それも数撃ちゃあれって奴でしょうよ……痛っ⁉」
 現が甘美のすねを思いっきり蹴る。
「現……!」
 甘美がすねを抑えながら、佐藤に気付かれないように、現を睨む。
「……ちょっと黙っていて」
「黙っていてって……」
「参考までに言葉遣いが酷いとはどういうものですか?」
「おバカさんとかかしら?」
「いいえ」
「お間抜けさんとか?」
「い、いいえ」
「まさか……おブスだとか⁉」
「いいえ、そういう単純な悪口ではありません」
 佐藤が首を左右に振る。
「あ、ああ、そうですか……」
 甘美が黙る。現が笑顔のまま、甘美の方に向き直る。
「甘美さん……?」
「え? 痛っ、痛っ!」
 甘美が足元を覗くと、現が何度もガンガンと蹴ってきていた。
「勝手に話を進めないで?」
「じょ、助手としての役割をまっとうしようとしたまでですわ!」
「あ、あの……」
「失礼、お話は大体分かりました」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、それはもちろんです……」
「本当かしらね……」
 頬杖を突く甘美の横で、現があらためて口を開く。
「相手をランクで分けて付き合うようになった……違いますか?」
「! そ、そうです、そうです!」
「そのランクは一つ違うだけでも、付き合い方の違いがあまりに顕著であると……」
「ええ……」
「佐藤さんはその相手をするのにほとほと疲れ果てたと……」
「ええ、その通りです……」
「占いとしては距離を置くのが吉ですが……それでは良くないのですよね?」
「ええ、中学高校からの付き合いなので……」
「彼女側に変化してもらうしかないと……」
「まあ、出来ればそうであって欲しいのですが……そんなことが可能なのですか?」
「こちらに何点か必要事項をご記入ください」
 現が紙を差し出す。佐藤は戸惑いながら、それに記入する。
「記入終わりました……」
「結構、数日中には良い結果が出ていますから楽しみにしていて下さい」
「あ、は、はい……」
「それではごきげんよう」
 佐藤は困惑気味に退室した。甘美が首を傾げる。
「佐藤さんの夢世界を攻略するのではなくて?」
「違う、攻略するのは……友人の方だ」
 現が紙を甘美に突きつける。
「失礼……」
 甘美が空き教室の後方にやってきた派手目のファッションの女子に声をかける。
「は、はい……」
「鈴木秋子さん?」
「そ、そうですが?」
「わたくしのことをご存知かしら?」
「もちろんです、厳島甘美先輩……お会い出来て光栄です」
「ああ、それはどうもありがとうございます」
 甘美はうやうやしく頭を下げる。
「あ、あの……」
「はい?」
「どうして私の連絡先を先輩が知っているんですか?」
 頭を上げた甘美に鈴木が怪訝そうに問う。
「そうですね……是非一度貴女とお話をしてみたくなってね」
「え……」
「それで方々当たってみたら、貴女の連絡先を知ることが出来たの」
「そ、そうだったんですか?」
「立ち話もなんですから、どうぞ座って下さいませ」
「は、はい……やった♪」
 鈴木は小声で呟きながら甘美から一つ空いた隣の席に座る。甘美が問う。
「今……」
「はい」
「やった♪っておっしゃった?」
「ええ……」
「それはまたどうして?」
「だって、厳島甘美先輩といえば、学内でも屈指のVIPですよ? そんな方からお声がけ頂けるなんて……いや~友達は大事ね~」
「お友達って、佐藤春子さん?」
「え? 春子? あの子は一応友達というか……」
「ランクが低いのかしら?」
「! ま、まあ、そんなようなものです……」
「わたくしとこうしてお話出来るのは、ランクが上のお友達のお陰ということかしら?」
「そうですね……Aランクの子たち? やっぱりSランクの子たちかしら?」
 鈴木がぶつぶつと呟く。それを聞き逃さなかった甘美が両手を広げる。
「!」
 いつの間にか、背後に迫った現が鈴木を眠らせる。
自身の箔付けの為に、友人関係をランク分け……良くない傾向だな
「夢世界へ?」
「ああ」
 甘美の問いに現が頷く。現と甘美が秋子を挟むように座る。
「気は進みませんわね……」
「何事もなければそれで良い……行くぞ」
 現が鈴をしゃんしゃんと鳴らす。甘美と現も夢世界へ向かう。
「極々普通の夢世界ですわ……」
 レンガに囲まれた薄暗い道を甘美は進む。その斜め後ろを歩く現が呟く。
「油断大敵……」
「はいはい……」
「注意一秒、怪我一生……」
「分かっておりますわ」
「いや、分かっていない……」
「ええ?」
 甘美は立ち止まって現の顔を見る。
「この夢世界での傷も現実世界に持ち込んでしまう可能性がある……」
「初耳ですわ」
「何度も言った」
「そうでしたっけ?」
「そうだ」
「ふ~ん……そう言われると聞いたことあるような、ないような……」
 甘美が首を傾げながら呟く。現がため息をつく。
「はあ……随分とお気楽なものだな」
「それはあくまで可能性の話でしょう?」
「まあな」
「それほど恐れることはありません」
「だが……」
「要は!」
 甘美が人差し指を一本ビシっと立てる。
「む……」
「傷つくようなヘマをしなければよろしいのです」
 甘美は再び歩き出す。
過剰な自信は油断や隙を生じさせるぞ
確かな自信は心の余裕に繋がります
「……まったく、ああ言えばこう言うな」
「そういう性分なのですよ……!」
 甘美たちの前に人の形をした影のようなものが数体現れる。
「ん? 誰よ君ら? パーティー出んの?」
「俺らと秋子ちゃんの邪魔しないでくれる~?」
「……なんだかチャラいですわね……」
「交友関係が変わっていく過程で、派手な男性との付き合いも増えてきたと……」
「確かにあまり良くない傾向ですわね……」
 甘美がゆっくりと前に進み出る。
「う~ん?」
「何お姉さん? 俺らと遊びたいの~」
「ってか、君結構かわうぃ~ね!」
結構じゃなくて、超可愛いですわ……
「引っかかるのそこか……」
 現が思わず苦笑する。
「冗談ですわよ」
「援護する……」
「必要ありません……」
 甘美が懐からマイクを取り出す。
「うん?」
「あんだ?」
「マイクテスト、マイクテスト……あ! あ! あ~!」
「うわっ⁉」
「ぐわっ⁉」
「ぶわっ⁉」
 甘美の発した声の音圧に圧されて、チャラ男数体があっけなく霧消する。
「ふん、こんなものですか……発声練習にもなりませんわ……」
「なめんなよ!」
 残っていたチャラ男が甘美の後ろに回り込む。
「~~♪」
「な、なんだ、この音は……ね、眠くなる……」
 チャラ男が横になり、そのまま霧消する。現のキーボード演奏によるものだ。
「言っているそばから、後ろが隙だらけ……」
「前に言ったことをもうお忘れかしら? 後ろは貴女に任せておりますので……ボーカルはバックの演奏を信頼し、ただ前を向くのみですわ
「! 本当にああ言えばこう言う……」
 甘美たちは先を進む。
「しばらく歩いていますが、薄暗いままということは……?」
「問題がクリアになっていないということだ」
 現が甘美の問いに答える。
「チャラ男さんとか何体か撃破しましたが……」
「あれはいわゆる雑魚
「ざ、雑魚……」
「そうだ、夢世界からの規模から考えてみても……」
「考えてみても?」
ボスがいると見ていい」
「は~ボスさんのお相手は疲れるのですよね~」
 甘美が肩を落とす。
「待て、甘美……」
「はい?」
「その角を曲がったところ……いるぞ」
「! ……」
 甘美と現が慎重に曲がり角の先を覗き込む。
「はむ……はむ……もっと食べないと、男を……医者の息子、弁護士の甥、政治家の孫……世の中、なによりもコネが大事……より良いコネを見つける為に、もっと合コンを、食事会を、パーティーを……その為にはランクの良い友達を集めなきゃ……」
 丸々と太った女性の影がそこにはあった。
「あ、あれは……?」
「鈴木秋子さんの深層心理の現れ……」
「自身の出世欲に囚われ過ぎたのね……」
「そんな所だな……」
「さて……」
「ちょ、ちょっと待て!」
 甘美の腕を現が掴む。甘美が首を傾げる。
「なんですの? 現?」
「なんの考えもなしに突っ込むな……!」
「失礼な、考えはありますわ」
「……聞こうか」
「あのボスをぶっ倒しますわ!」
 甘美が右手をグッと握りしめる。
「それを考えなしというんだ……!」
「え?」
「え? じゃない! さっき言ったことをもう忘れたか⁉」
「さっき言ったこと?」
 甘美が首を捻る。
「この夢世界での傷も現実世界に持ち込んでしまう可能性がある……!」
「ああ……」
「どういうことか分かるか?」
「漠然と」
「分かっていないということだな、分かった」
 現が頷く。
「それで? なんですの?」
「あの丸々太った女の影、よくよく見れば、鈴木さんの面影がある……」
「!」
「つまりいたずらに影を傷つけると、現実の鈴木さんにも悪影響が及ぶ可能性がある!」
「……悪影響とは?」
「身体的か、心理的なダメージが……それは分からん」
「そのもっともらしくおっしゃっている仮説ですけど……」
「ん?」
「サンプル数が絶対的に少ないですわ。説としては今一つ弱い……」
 甘美がわざとらしく両手を広げる。現が舌打ちする。
「ちっ、いきなりまともなことを……!」
「というわけで、参るとしましょう……」
「い、いや、もうちょっと慎重にだな」
「貴女よりもこの夢世界での経験は多いのです。あの時も大丈夫でしたでしょう?」
「! あ、あの時はあの時だろう……」
「わたくしは鈴木さんの心の強さを信じます……!」
「あ! ま、待て!」
 甘美が進み出て声をかける。
「失礼、お食事中、申し訳ありません」
「う~ん?」
「あまり良くない栄養の取り方をされているようなので……是正に参りました」
「ア、アンタたち! どこから入ったの⁉」
「さあ? どこでもよろしいでしょう?」
「ど、どうやって⁉」
「それもさあ?ですわ。出来てしまっているのだから仕方がないことでしょう?」
「くっ、異物は排除する!」
 太った女は大きなハンマーを取り出す。甘美は指差す。
「あら、それでぺしゃんこにするおつもりですの?」
「他に何がある!」
 太った女がハンマーを振りかざす。現が声を上げる。
「甘美!」
 甘美が手を挙げてそれを制する。
「ちょっと試したいことがありますので、それに……」
「うおおっ!」
 太った女がハンマーを振り下ろす。
「うああっ‼」
 甘美がマイクで叫ぶ。ハンマーが止まる。
「ば、馬鹿な、ハンマーが動かない⁉」
音の圧で押し返している……」
「そ、そんなことが……⁉」
 現の言葉に太った女は驚く。甘美が笑みを浮かべる。
「はああっ!」
「⁉」
 太った女が空気を抜かれた風船のように萎れていき、霧消する。レンガ造りの道がパアっと明るくなる。甘美が頷く。
「問題はクリアですわね」
「……途中で声色を変えたな?」
 甘美は振り向いて現を指差す。
「気付きました? 丸々としたお体にはシャープで鋭い歌声が効果的かと思いまして……」
「試したいこととはそれか……なにもボス相手に試さなくても……」
「貴重な実戦経験の場ですから」
「大した度胸だ。戻ろう……」
「う、う~ん……」
「あら、鈴木さん、お目覚めですわね。良い夢は見られたかしら?」
「えっ⁉ い、厳島甘美先輩⁉ わ、私なんでこんな所に……ってこの派手な恰好は⁉」
「どうかしたのかしら?」
「い、いえ、なにかご迷惑をおかけしてしまったみたいで……失礼します!」
 鈴木が慌ててその場を後にする。甘美が現にウインクする。
「どうやら、無事に自分を取り戻したみたいですわ」
「そのようだな……さっき言いかけたことはなんだ?」
「え? ああ、援護は不要だと言いたかったのです。貴女の演奏付きのパフォーマンスはもっとしかるべき場所や、条件次第で披露すべきだと……」
「条件……ギャラ次第か……しっかりしている奴だ」
 現が苦笑する。


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